太田英基の未来の授業<時間割>
1.「5年後どんな自分でありたいか」を想像すれば、正しい選択肢が見えてくる-太田流キャリアプランの方程式
2.人生の選択肢に海外を含める生き方を始めよう -あしたからのグローバル学
毎回、さまざまなジャンルの次世代を担うエキスパートを講師に迎え、来るべき未来への基礎体力を養成する、20代のための授業。第6回目の講師は学生時代に、通常10円するコピー用紙の裏面をメディア化し、全国160以上の大学でコピーの無料化に成功したサービス「タダコピ」を企画した太田英基さん。大学2年生の秋・20歳でオーシャナイズ(「タダコピ」の運営会社)を立ち上げ、丸5年働いた後に25歳で会社を退職。その後2年間世界一周の旅に出ます。そして帰国後、人生2度目の起業をした太田さんはどのようなキャリアプランの方程式を持ってこれまで歩んでこられたのでしょうか?
“大学に行ったらやりたいことが見つかる”は完全に神話だった
宮城県の蔵王町という小さな温泉街で生まれ育った僕にとって、東京への大学進学は自分の人生の視野を広げるまたとないチャンスでした。過酷な受験勉強も高校の先生の『大学に行ったら楽しい未来が待っている』という幻想のような言葉を頼りに乗り越えました。しかし、いざ大学生になり、ふたを開けてみると、授業はまったく自分の期待していたものと違っていました。僕は、そのことがきっかけで一気に学業へのモチベーションが下がり、だらだらと過ごす大学生に成り下がってしまったのです。
そういう状態がしばらく続き、あっという間にGWが過ぎていきました。「このままではマズい」と思い、これまでの自分の人生を振り返ってみると、何が好きで、どんなことが得意なのかをそもそも知らないと思ったんです。だから「やりたいことを見つける以前にまずはいろいろなところに足を運んで、会ったことのない人に話を聞いてみよう!」、「なんでも全力でチャレンジして、人生の経験値をつくっていこう」と、2つの指針を立てて、動きだしたんです。
カフェバー経営、新人バンドのプロデュース…etc.アンテナの赴くままに行動
そこからオーシャナイズを立ち上げるまでは、トライ&エラーの連続でした。2つの指針を掲げてから、僕が最初に行動し、後の会社の創業メンバーの一人と出会ったのは、小さなカフェバー経営サークルでした。
当時から経営や起業に興味があった僕は、カフェの運営にまつわる全て(接客、値段決め、会計処理)が自分たちでできるとうたうビラに「これだ!」と運命を感じて、早速連絡したのです。当時は直感で行動しましたけど、本当紆余曲折ありましたね。例えば、カフェオーナーに嫌われてしまうことから始まったり…(笑)。経営面では、一日で500円しか売り上げがない日があってバイト代なんてもらっていられないから、終業後、自分たちがお金を払ってコーヒーなどのドリンクを飲んでから帰るなんてことも経験しながら、「どうやってお店を赤字にならないで回していくか」を勉強することができました。
他にもライブハウスで音楽を聴くことが好きだった自分は、新人バンドを扱うレコード会社を立ち上げるプロジェクトに携わったりもしました。(途中で計画は頓挫してしまうのですが……。)また別のところでは、起業に興味を持つ人が集う学生団体のイベントに足を運んで、「タダコピ*」のアイデアの種を相談してみたり(そこで広告に詳しい3人目の創業メンバーに出会います)、ちょっとでも自分のアンテナに引っかかったものは全て行動に移していましたね。カフェバー経営サークルで知り合った仲間と自分、そしてイベントで知り合った、広告分野に詳しそうなメンバーを加えた3人でビジネスプランコンテストに「タダコピ*」の企画で応募し、最優秀賞を頂いたことで「時間もアイデアもあるし、会社としてやってみよう」と決まったんです。だから、自分の社会人としての基礎はこの学生時代にとにかく動き回ったことが、大きな軸になっているのかなって思います。
*タダコピ … コピー用紙にカラー広告を掲載することで、コピー料金を無料にするという新しい情報発信媒体。大学構内にタダコピ専用のコピー機を設置してサービスを運営している。
起業してしばらくはとにかく目の前の自分の課題に全力投球だったので、人生やキャリアの長期的ビジョンというのは一切持っていなかったですね。ただ、意識が転換されたのは、会社を創設して2年目に初めて新卒で社員を採用したときです。ベンチャー起業だったので、会社に入ったメンバーも人生の全てを自分たちに預けたというつもりもなかったようですし、こちらも保証はもちろんなかったですが、誰かの人生を背負う重みを感じました。だから会社の経営をよりよくしていくことが、人生最大のプライオリティになっていったんですよね。
30歳までの “MUST” と“WANT”を書き出して気付いた、実現したい目標
20歳で起業してから自分の人生=会社の経営と思って活動していましたが、24歳の誕生日を迎えた時に一度会社という存在を抜きにして、自分の人生というものをもう一度考えてみたいと思うようになったんです。そしてテーマを「30歳の時にどんな自分でありたいか」に絞って考えてみました。そこでたどり着いた答えが、「世界を舞台にグローバルに活躍できる人間でありたい」というものでした。
そして24歳の自分と30歳になったときにこうでありたいという自分との間にどんな隔たりがあるのかをノートに一つ一つリストアップして、取り組むべき“MUST”な課題の優先順位を決めていく中で、「英語力」「世界中に仕事の相談ができる友達をつくる」「世界中のリアルを肌で知って学ぶ」……といったものが上位にあがりました。
次に、人生でいつかやりたいこと“WANT”をリストアップしました。「世界を股にかけてやりたいこと」「遊び」「国内でのビジネス」などやりたいと思っていることを洗いざらい言語化したんです。次に“MUST”を実現できそうな“WANT”を選びだしていきました。そして見つけた“BEST”な回答が世界一周旅行だった。つまり、自分のなりたい未来の延長線上に今の会社が含まれていなかったんです。それが会社を辞めて、世界一周旅行に飛び出した一番の理由ですね。
遠い将来よりも5年後・10年後になりたい自分
よくキャリアプランを立てるにあたって、自分が納得できるゴール(人生の最終目的)をつくらなくてはいけないと考える人がいるように感じますが、僕は現時点でゴールを設定していません。どちらかというと、終着駅のない線路の上を走っているという感覚ですね。どういう線路を走って、どういう駅を通過していきたいっていう「生き方」の理想はあるんですけど……。だから「残りの人生の全てを賭けて、やりたいことは見つけられましたか?」と聞かれることがあるのですが、答えはまだノーなんです。
ただ、当時を振り返って思うのは、5年後にこうなっていたい(=こういう会社にしていきたい)という近い将来の理想は、はっきりと描いてやってきたなと思います。周囲の20代の友人を見ていて危機感を覚えるのは、「今いる会社は居心地も良いし、何となく自身の成長につながっている気がするから満足」と思っている人が企業の大小を問わず多いなということですね。それは、5年後とか10年後に確固たるなりたい自分の姿が描けていないということでもあります。つまり、会社の風向きが変わったときに足をすくわれたり、いざ年を重ねたときに「こんな風に年を重ねたい」と思っても手遅れになっている可能性を含んでいますからね。だからこそ、近い将来のなりたい自分のあり方、どこを成長させていきたいかというプランを言語化する力っていうのは、とても大切だと思いますね。
世界の若者は、仕事を国や地域で選ぶスケール感で生きている
日本人の95%以上くらいの人は転職先を選ぶにあたって、「どこで働きたい?」と聞かれたら、自分の関心がある業界の会社名を挙げるじゃないですか。世界一周の旅の序盤、アジアのとある新興国で23歳の若者たちと仲良くなり、カフェで話していて、「将来どんなところで働きたい?」というお決まりの話がでたんです。僕は“まだ社会経験も浅いのにもう転職の話か、気が早いな”と思っていたのですが、全然予想と違った答えが返ってきたんです。
なんと「数年以内にイギリスで働きたい」「俺はシンガポールか香港だな」「アメリカのシリコンバレーがいい」と国や地名を言い出したんですよ。それは、頭を殴られたような衝撃でしたね。どう考えたって、そういうスケールで“働くこと”について考えた方が楽しいし、仕事のモチベーションになるじゃないですか。果たして、この発想が今の日本人にできるのかなって考え込んでしまいましたよ。
だからもし今の自分に迷っていたり、キャリアプランがはっきりと描けていない人は、それくらいのスケール感をもって、一度“MUST”と“WANT”を書き出してほしいです。そして、やるべきことがはっきりと見えたら、意識と行動が目に見えて変化していくと思うんですよ。ぼんやりと遠い将来の憧れに思いをはせるのではなくて、5年後とか、自分の姿が想像ができる範囲の未来のことを想像する。この習慣を身に付けてほしいと思いますね。
本日の授業のおさらい
1.とにかく動いてみないことには「自分のやりたいこと」など分からない!
2.5年後・10年後「どういう自分になりたいか」を考えてみよう
3.世界規模で“MUST”と“WANT”を書き出してみよう
次の記事はこちら
人生の選択肢に海外を含める生き方を始めよう -あしたからのグローバル学【太田英基の未来の授業-後編】
あなたの天職はもしかしたら海外かも!? 次回はあしたからのグローバル学
PROFILE
太田英基/1985年生まれ。大学2年時にビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得し、株式会社オーシャナイズを仲間と起業。広告事業「タダコピ」を手掛ける。丸5年働いた後、会社を辞めて世界一周へ。「若者のグローバル志向の底上げ」を使命としたサムライバックパッカープロジェクトを立ち上げ、50カ国1000人以上の世界で働く日本人のビジネスパーソンに会う。現在は「留学を志す人が学校選びに失敗しない世の中の実現」を目指すために、フィリピン留学・語学留学の口コミ情報サイト『School With』を運営する株式会社スクールウィズを7月に立ち上げ、代表として奮闘中。著書に『日本がヤバイではなく、世界がオモシロイから僕らは動く。』(いろは出版)など。
※この記事は2013/10/16にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています
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