兼松佳宏/1979年秋田生まれ。
CSRコンサルティング会社でアートディレクターとして勤務後、2006年フリーランスとして独立し、ソーシャルデザインのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わる。2010年、「greenz.jp」編集長に就任。2013年2月から鹿児島に移住。
兼松佳宏の未来の授業<時間割>
(1)20代の「働き方」に必要な2つの指標とは?-仕事のソーシャルデザイン学入門
(2)拠点を東京から鹿児島へ、自分のほしい未来に近づくためには?-働くカンキョウ学
前回に引き続き、講師はソーシャルデザインのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」編集長の兼松佳宏さん。後編では、現在は東京を離れ、奥さんの実家がある鹿児島県を拠点に置く、兼松さん自身のこれまでの生き方と現在に迫っていきます。自由な働き方をしているように感じられる兼松さんは、どのような工夫をして鹿児島で編集長業を行っているのでしょうか?
半年後の自分を頼りに、無茶ぶりしてみる
「人によって「肩書きで自分がカテゴライズされるのは嫌だ」という人もいますが、僕自身は肩書きが好きなんですよ。僕の20代はノリで憧れの肩書きを自分につけて、それに追いついていくようにガムシャラに働いていましたね。駆け出しなのに、堂々とデザイナーと名乗ってみたり、憧れの人たちがクリエイティブディレクターという肩書きをつけているから、僕もつけてみようとか。今思うと、若気の至りですが(笑)。
30歳で『greenz.jp』の編集長になったときも最初は試行錯誤の連続で、「編集長!」って人に呼ばれて、「あ、僕のことか」って思えるようになるまで半年くらいかかりました。」
--自分に無茶ぶりをしてみる……ということですか?
「まさにそうです。そこで大事なのは、自分の伸びしろを理解しておくこと。背伸びではあるんだけど、『きっと自分ならできそうだ』と思えることだけをやろうと心掛けていました。だから肩書きをつける前に、『こっちの方向かな?』って手探りをするといいと思います。努力することが楽しく続くのならそれは合っているし、そうじゃないものは諦めた方がいい。あとは、憧れの肩書きの人が読んでいそうな本を読んだり、仕事をしていそうな場所に行ったりして、イメージを膨らませながら真似てみることもしていました。」
--自分がなりたいものがあって、そこに近づけそうな行為は全部やるってことですね。
「そういうことを続けていくと、会うべくして人に会うんですよね。それは3日後かもしれないし、10年後かもしれない。でも絶対に巡りあうタイミングがある。僕の周りでうまくいっている人たちに共通するのは、『今の仕事のパートナーはたまたまカフェで隣の席だった』みたいに、偶然を引き寄せる力なんだと思います。自分をコツコツと磨きながら、心を開いてその時期を楽しみに待つ。それだけでいいじゃないかって。」
--将来憧れの職業があったり、転職を悩んでいる人には参考になりそうですね。
「僕が好きな禅語に“そっ啄の機(そったくのき)”というのがあって、「お互いのちょうどいい時機に出会う」という意味なんです。一期一会にも通じるものがありますが、いつ、どの出会いが自分の未来を左右するかは分からない。極論、今日偶然会った人と結婚するかもしれない(笑)。だからこそあいさつにしてもFacebookのメッセージひとつにしても、コミュニケーションを丁寧にしようと心がけるようにしています。」
--すごい名言ですね(笑)。会うべき人に会う努力をしたり、自分がやりたいことを周囲に言いふらすことで、向こうからいろいろなチャンスが巡ってきたり、引き寄せられると。
「もちろん偶然に全て委ねるだけでは行き当たりばったりになるので、時には思い切った決断も必要だと思います。2010年に編集長になるときも、当時の編集長で今は発行人をしている鈴木菜央に直談判したんですよ。実は悶々と悩んでいた時期で、「ダメなら辞める!」くらいの勢いで。」
--最近の大きな決断といえば、拠点を鹿児島に移したことですよね。「greenz.jp」の編集長をやりながら、鹿児島に居るのはなかなか苦労も多そうな気がしますが、いかがでしょう?
「それなりに大変ですね(笑)。でも、大変=悪いというわけではないので、たくさん学ばせてもらっています。ハングアウトやLINEなどのツールを使って、ミーティングをしたり情報共有したりしてはいますが、やっぱり面と向かわないと言えない本音ってありますよね。仲間とたまに東京で顔を会わせるときに、『実は…』って切り出されるというのはあります。だからこそ、月に1~2回ほどの東京出張のときは、メンバーとの時間を最優先にしたいなと考えています。離れている分、お互いの信頼関係を維持する努力は、意識的にしないといけないですね。」
--会ったときの時間の密度はより濃いものになりそうですよね。
「もちろん鹿児島に来たことでいいこともたくさんありますよ。今50人くらいのライターさんがいるんですが、これまでは100%東京だったので、東京の話題も多かったし、読者も関東が圧倒的でした。でも鹿児島からみたら東京もローカルのひとつなので、より他の地域のライターさんたちとフラットにつながれるようになったと思います。ライターさんも関西や九州、東北にもたくさん増えましたし、ロンドン、ニューヨーク、プーケットなど世界にも点在しています。僕が東京のメンバーと仕事を進めているノウハウが、ライターさんのマネジメントにも生かされている感じです。」
子どもができて『ワークライフバランス』の大切さを知った
--インタビューさせていただくにあたって他の記事を読ませてもらったんですけど、印象的だったのが、「働くことと生活することを切り離して考える必要がない」といった要旨についてを語られていたことです。お子さんができて、鹿児島に拠点を移された今、『ワークライフバランス』というものをどのように考えますか?
「そのコメントは現時点では撤回したいところです(笑)。子どもがいなかったころは、自分自身のリズムを整えることで、『ワークライフバランス』という言葉がいらないくらい、ワークとライフは一致できていたと思います。でも子どもが生まれた今は、正直てんてこ舞いでまだリズムをつかめていません。日々刻々と状況が変わるので、『ワークライフバランスを意識しなくては!』と本気で思うようになりました。まあ、子どもができる前は視野が狭かったということですね。」
--これまでは自分の中で折り合いがついていれば24時間働く覚悟でもよかったものが、家族ができて、そうは言っていられなくなったということですよね。
「そうですね。優先順位が一気に繰り上がる存在とともにいるのは、結構な修行です。大変ですが、おかげさまで経験としては充実しています。生まれてから2カ月は出張もしなかったですし、育休気味の暮らしができていたのは、本当にメンバーの支えのおかげです。今も夜の料理は僕の担当なので、17時には仕事を終えるようにしていますが、それもメンバーには伝えていますし、Googleカレンダーにも「家事」と入力しているので、予定をいれさせないようにしています(笑)。
やっぱりNPO法人グリーンズとしては、家族を最優先にしたいと思うんです。そこが安定しているからこそ、仕事でもいいパフォーマンスを出せる。打ち合わせよりも子どもの運動会の方が絶対大事、そんな価値観を共有していきたいですね。若いメンバーでも、いつか親になるときがくるし、そういう想像力をベースに仕組みを整えてゆきたいなと思っています。何より僕自身のためでもあるのですが。」
--よく「日本は男性が育休を取りづらい」といわれていますが、将来的には「greenz.jp」のようにフレキシブルな組織が増えたり、労働環境というのは変化していくと思いますか?
「ひとついえるのは、仕事で心身ぼろぼろになったり、自分の限界を知るほどの経験をしないと、次のステップに進めないっていう思い込みは、そろそろなくなってほしいですね。限界を知ることで結果的に成長につながるとしても、深い傷を負って戻ってこれない人だって居ますから。僕自身つらい思いをたくさんしてきましたが、自分で自分を追い込むのと、他人から追い込まれるのでは状況は全然違います。もちろん、いい無茶ぶりなら大歓迎なんですけどね。
大事なのは、いろんなことが起こったとして、自分の深いところと向き合う時期を持てるかどうか、だと思うんです。僕は詩人の山尾三省さんの『魂の濃度』という表現が気に入っているのですが、その濃度を高めるために日々どう過ごすのか。自分の納得感に誠実に向き合って、本音でぶつかれる仲間と出会い、手応えのある仕事を重ねていってほしいなと思います。」
悩んでいる人のために、「greenz.jp」のレイヤーを増やしたい
--兼松さんが考える「greenz.jp」の今後の展望は?
「『greenz.jp』を始めて今7年目ですが、新しく『greenz people』という寄付会員の仕組みを始めたり、『greenz global』という英語サイトを始めたり、『リトルトーキョー』という新しい場所を持ったり、まだまだチャレンジは続きます。やるべきことがたくさんあるのはありがたいことですね。これまで一つの仕事を10年間務めあげた経験はないので、単純に10年続けないと見えない景色を見てみたいと今は思っています。
それにも関わることですが、僕の最大の挑戦は次の『greenz.jp』を担う世代をどう育てるかということかもしれません。僕に『編集長やらせてください』って直談判してくれるような人が現れるのを楽しみに待ちたいと思います。」
--それでは、兼松さん個人の展望は?
「展望というほどのものはありませんが、夢はたくさんありますよ(笑)。まず何の楽器もできませんが、フジロックの舞台に立ちたい。ステージからの景色を、みてみたいです。あとは小説を書きたいし、還暦を過ぎたら役者もやりたい。オーケストラの指揮者も落語家も。さっきの肩書きの無茶ぶりは、これからの人生かけて一つ一つクリアしていきたいと思っています。
とはいえ、ベースにあるのは”勉強家”としての生き方。あるとき「僕が一番得意なのは勉強することなんだ!」って気付いたときがあって随分気が楽になったんです。移り気でいろんなことに興味があるのも、その体験を通じて自分なりに理解し、それを贈り物として誰かに言葉で届けたいんだなって。だから”勉強家”というのは、ずっと変わらない一生モノの肩書き。
そういう意味では、いま南日本新聞のコラムニストをさせてもらっていますが、作家やコラムニストのような生き方が次の目標なのかもしれません。と、ここで宣言させていただいたので、なんだか半年後が楽しみになりますね(笑)。」
本日の授業のおさらい
1.憧れの職業があるなら肩書きを名乗ってしまおう! 真似をしよう!
2.良い出会いやチャンスが「たまたま」やってくる人は、自ら率先して動く人である
3.無理をして苦労をせずとも、仲間と共に信念を持って仕事に励めば、成功者にだってなれる
※この記事は2013/09/18にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています
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