「やりたいことやれずに、10年も待てない!」人気ライター・さえりさんの考える、仕事選びの基準とは?

今年3月でLIGを退職し、フリーランスのライター・編集者として活動をはじめたさえりさんのインタビューをお届けします!

「やりたいことやれずに、10年も待てない!」人気ライター・さえりさんの考える、仕事選びの基準とは?

今年3月でLIGを退職し、フリーランスのライター・編集者として活動をはじめたさえりさんのインタビューをお届けします!



胸キュンな妄想ツイートで身悶える女子続出! かと思えば、「私とは何か」という哲学的な疑問について東大教授に話を聞きに行ったり、ハロウィンで仮装している人たちの職業をインタビューしてまわったり!! ライター・編集者としてWeb界隈をいい意味で騒がし続け、今年3月末にはLIGを退職。フリーランスのライターとしての道を歩み始めた「さえり」さん!!

そんな現在のさえりさんは、どうやって生まれたのか? 実は、さえりさんの出発点には、「人間が嫌い」という意外な思いがあったのです。どういうことなのでしょうか? 気になります!! さあ、その真相を本人に聞いてみましょう!!!

「人間嫌い」から心理学を専攻、大学時代には「病み期」も…


―それでは、はじめますね!たしか大学では、心理学科に進まれたそうですね?

さえりさん:はい、心理学は中学生の頃から学びたいと思っていました。理由は、人間に興味があって、人間が嫌いだったからなんです。

―えっ、意外ですね!!人間嫌いなんて!今はそんな風には見えませんが…。

さえりさん:思春期ならでは、でしょうか。かなり感受性が強かったんです。みんなの心の動きが気になってしょうがない。それに、陰口の文化なんかにもすごく疲れていました。

人の気持ちが気になって、知りたくて、考えて、ストレスを感じて。学校では普通に明るい子だったと思いますけど、日記にはよく「もう人と関わらずに生きていきたい」なんて書いていましたね(笑)。それでもやっぱり人間が不思議で、“知りたい”と、思っていたんです。

―ふむふむ。それで、実際に心理学を学んでみてどうでしたか??

さえりさん:“人のことはよくわからない”ってことがよくわかりましたね(笑)。それで少し、気持ちもおおらかになった気がします(笑)。勉強自体は統計学なんかは難しくて、大学2年くらいまでは怠惰な学生生活を送っていました。で、大学3年のときに色々と変化が訪れて。

―えっ、何があったんですか!?

さえりさん:アルバイト先で偶然声をかけられたことから、ラジオでパーソナリティをすることになったんです。番組自体は音楽番組だったんですが、私は5分コーナーをもらって、妄想で海外旅行に行った話をしていました。

―おー!まさかの展開ですね。しかも学生時代から既に「妄想」していたとは!生まれながらの妄想族ってヤツですね!

さえりさん:もともと空想とかって好きだったんですよね。それでその頃、いろいろな大人の人に出会って、楽しそうに働く大人を初めて見て、「あぁこんな風に楽しみながら働けたらいいだろうな」と思いました。企画したい、物を書きたい、出版に関わりたい、作詞したい、個展を開きたい……、次々やってみたいことが浮かんで、楽しかったんです。

―ですが、その後「病み期」もあったということですが…?

さえりさん:「私も楽しく仕事がしたい!」と張り切りすぎてしまったんです。「好き」を仕事にしたくても、実力も経験もないしやり方もわからない。焦って、もがいてトラブルもあったり。それで心身ともに体調を崩して、大学を1年休学して実家の山口に帰ることになりました。その時は、部屋にずっと引きこもっていましたね。


―実家に帰ったら、良くなりましたか??

さえりさん:かなりよくなりました。でも、「楽しく働きたい」なんてもう思わなくなっていましたね。「楽しく働きたいなんて、私には無理だったんだ」と自信喪失した状態で大学に復学しました…。

この先のことはのんびり決めよう、と思っていたとき、大学2年の頃から書いていたブログを読んでくれた出版社の社長が誘ってくださって、学習参考書をつくっている出版社に就職することになりました。

―またも急展開ですねー!でも、学習参考書がメインとなると、結構堅い会社っぽい感じがするのですが…。

さえりさん:そうですね。出版社という特徴上かもしれませんが、あまり新しい組織とは言えませんでしたね。私が入社した後に一般書部門をつくりはじめたのですが、決まった方針が「30代、40代の男性向けのビジネス本をつくること」だったんです。

―あまり、さえりさんらしくない感じがします。ていうか、すごく。

さえりさん:そうですね……。正直、私には馴染みのないジャンルでした。しかも一般書部門は私と上司の二人だけ。いろいろと意見を言わせてもらえる環境でありがたかったんですが、最終的に「10年、20年は待って欲しい」と言われたんです。

―10年は長すぎないですか!?

さえりさん:会社という組織で新人の意見が通らないのはよくわかるのですが、「10年、20年」は私にとっては果てしなく感じました。あとは先ほど言ったように、作る企画を編集者である私が楽しめないなんてどうなの?って思いもありましたし、たった二人の部署でそんな状態でいるのは辛くて、いろいろな理由も相まって退職を決めました。

―ここで、ついに転職を決めるわけですね。その時、誰かに相談はしましたか?

さえりさん:はい、でも周りの友人には「とりあえず3年は?」とか、両親には「辞めて良いけど、次を決めてから転職してね」と言われました。私自身も会社にすごくお世話になったので色々と悩みましたが、もやもやして、いてもたってもいられず、1年程度で会社を辞めました。

―次を決めずに辞めたんですか?

さえりさん:はい。周りからは心配されました。でも、仕事を辞めたいから急いで“転職する”っていうのもなんか違うんじゃないかな? って思っていて。ネガティブな動機で焦って転職先を見つけるのには抵抗があったんです。もちろんそのまま見つからなかったら? という不安はありましたけど、バイトでも何でもやって食い繋ごうって思っていました。

※大学時代のさえりさん。ラジオのパーソナリティなど様々な活動をしながらも、ストレスの発散方法がわからず「病み期」もあったらしい…。


新しい環境で、働くことの面白さを知る


―転職までの時間はどうでしたか?

さえりさん:退職してから動こう、と思ってのんびりしていました(笑)。できたら「編集」の仕事をしたいとは思っていて、紙の編集は3年以上の経験が必要なことが多いので、今度はWeb媒体の編集者になれたらなぁ……と思っていました。

―そしてLIGに転職したわけですね?

さえりさん:退職して2日後にたまたま違う友人2名から「LIGという会社が面白いよ」と教えてもらって、入社が決まりました。縁に恵まれて本当に感謝しています。「あの時焦って決めなくてよかった」と心底思いました。ただ、クライアントのメディア運営を代行する部署に入ったのですが、当時の私はWebにはすごく疎くて、「好きなメディアは何ですか?」と聞かれても、「メディアって何ですか…?」というような状態でした(笑)。

―LIGさんっていったら、前の出版社とはかなり違う環境だと思いますが、実際に入社してどうでしたか?

さえりさん:全然違いましたね。色々とチームリーダーに質問していたら「聞かれても俺らも正解を持ってないから、自分で作って、むしろ俺らに教えて欲しい」といわれたんです。郷に従え! みたいな概念がなくて、みんな手探りだからこそ、「みんな自分で作る」が当たり前だったんですよね。すごく楽しかったです。

―おお!今度こそ求めていた環境だったんですね。

新しい職場で、新しい仲間たちと…。


さえりさん:入社してすぐに担当のメディアがつき、もちろん聞けばみんな丁寧に教えてくれるものの基本的には自分の頭で考えるしかない。そういう風に大部分を任せてもらえると仕事がすごく楽しくなったんです。課題解決のためなら何をやっても間違いではないっていう大枠だけが与えられていると、ものすごく柔軟に考えられるんですよね。

―目的のためなら何をやってもいいって、すごく働きやすいですよね!でも、そんなLIGをなぜ突然辞めようと思ったのですか?

さえりさん:編集の仕事はすごく好きだったのですが、書く仕事の比重を増やしたい、いろいろな仕事を経験したいと考えるようになったんです。副業としてすでに書く仕事をはじめていたこともあり、周りの人に相談しても「辞めない方がいい」という人はいませんでしたね。

―なるほどなるほど。では前職と違って、すんなり辞めることを決断できましたか?

さえりさん:いえ、やっぱり辞めるまでは結構モヤモヤして悩みましたよ。でも、「海外で生活する」っていうのも私の夢のひとつで。いろいろと逆算したら3月で辞めなきゃ!って決心がついて、そこから2週間後とかには辞めてました。

―海外が先なんですね(笑)それで、現在はバレンシアにいるんですね。フリーランスになって、これからやりたいことはありますか?

さえりさん:うーん、じつは学生時代に思っていたこととそう変わっていなくて。作詞も、本も、脚本も、企画もやってみたい。私は書くことが好きなので、書くことを通じていろいろな仕事をしてみたいんです。あまり変わっていないことに自分でもちょっと驚きます(笑)。

※渋谷の街でハロウィンの仮装をしている人たちの職業を尋ねるという企画。仕事に疲れているときに思いついたのだという。


書くことを通じて、自分のことをもっと好きになれる


―じゃあ改めて考えると、さえりさん自身はなんで書くことが楽しいんだと思いますか??

さえりさん:うーん、しんどいことはもちろん一杯あるんですけど…。逆に、絶対にやりたくないことって、いくつかあるんですよ。私はできないことが沢山あると思っていて、お金の計算とか、事務作業とかも苦手だし。できないことの能力が著しく低いんです。

―でも好きなことだったら…?

さえりさん:もっと良くするためなら時間やお金はあまり気にならなくなりますね。自分で言うのはなんですが、もともと“もっと良くしたい”という向上心は強い方なんです。その性質がちゃんと発揮できるように私は“好き”を仕事にしたいですね。

―じゃあ、書く上で大切にしていることはありますか?

さえりさん:まずはクライアントと読者のニーズに応えること、これはすごく大事ですよね。その上で、「自分のやりたいこと」と「人が求めているもの」をマッチさせることができたときほど幸せな仕事ってないと思うんです。そういう文章をしっかり人に届けていきたいですね。

※東大の哲学教授・梶谷真司先生に、インタビューした時の一枚。



―なるほど。さえりさんは、自分自身のことをどう思っていますか。

さえりさん:中高生の頃は、劣等感を感じやすかったんです。でも、劣等感のある人って誰かを見下すことでしか自分のことを良いと思えなくって、辛いんですよね。大学に入ってかなり性格も変わって、自分のことが嫌になることはあるけど、結構自分が好きだなとも思えるようになったんです。自分のことが好きって、すごく大事です。好きだから、もっと良い自分でいたいと思うんです。

すると、良い仕事をする自分になりたくなるし、人に優しい自分になりたくなる。うまくいかない日もあるけど、でも根本的な自己肯定感はものすごく大事だと思っています。

―じゃあ今、自分が好きではない人にメッセージを送るとしたら、何て声をかけますか?

さえりさん:私は、自分が喜ぶことをしていると、きっと人も喜んでくれると信じています。自分に余裕ががあなれば、人に優しくなれる気持ちが湧いてくるはずだから。自分が犠牲になる必要はないと思うんです。自分が楽しいと思える状況をつくり続けることが大切だと思います。

あとはやっぱり、「楽しく働くってことはできるよ」と、数年前の私に伝えたいですね。今はすごく、楽しいです。

日常のささいなことや、今身近にあるものを好きになれるような、そんな仕事をしていきたいと語るさえりさん。



嫌いだった自分から目を背けず、自分のことをもっと好きになろうと取り組み続けてきた、さえりさん。その結果が、「書くこと」という自分の好きな仕事につながってきたのでした。「好き」を貫けば、自分の知らない自分に出会えるかもしれませんね!!!


※この記事は2016/11/04にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています

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