「多くの人を幸せに。それが使命だと思う」―防災ガール代表田中美咲―

災害の多い国でありながら、防災意識の低さが指摘されている日本。そんな現状を打破すべく、防災の重要性をより多くの人に理解してもらおうと活動する「一般社団法人 防災ガール」という組織があります。

「多くの人を幸せに。それが使命だと思う」―防災ガール代表田中美咲―

災害の多い国でありながら、防災意識の低さが指摘されている日本。そんな現状を打破すべく、防災の重要性をより多くの人に理解してもらおうと活動する「一般社団法人 防災ガール」という組織があります。

防災ガールは「防災をもっとオシャレで分かりやすく」をコンセプトに、全国と海外に滞在する防災意識の高い女性たちのソーシャルスタートアップ。防災の方法や重要性を、講演をはじめとして体験できる企画や防災グッズの制作などで分かりやすく知ってもらう活動をしています。

防災ガールを立ち上げたのは、1988年生まれの田中美咲さん。今回は田中さんに、防災ガールの生まれた経緯や、活動の背景にある思い、今の夢などを聞きました。

まずスキルを身につけてから、東北に


東日本大震災が起きたとき、田中さんは卒業間近の大学生。入社してからも、土日を活用して復興支援へ参加していたそうです。

さらに当時田中さんが就職先として選んだのは、復興支援に関わる組織ではなく大手IT企業でした。

「ノウハウも何もない、資格もない人間が復興支援に携わるより、何かスキルや強み持っている人間が関わったほうがいいと思って。入社後は、仕事の傍らマネージメントスキルやカウンセリング、コーチングの資格を取り、同時にIT、デザインスキルも身につけておこうと努力しました」

しかし働いていくなかで、田中さんの心境にも変化が訪れます。

「働いていくなかで、インパクトを出すために必要だと思っていたITやテクノロジーだけではやはりできないことがあることを実感し、そのスキルも持った上で膝と膝を付き合わせたコミュニケーションができる現地に行き、復興にきちんと携わろうと考えるようになりました。そのため、新卒の時点では全く考えていませんでしたが、福島へ移住して、復興支援の仕事をすることに決めたんです」

島に移って気づいた“女性や若者の防災意識の低さ”


福島に移り住み、復興支援活動に従事した田中さんは、あることに気づきます。

「現地で活動をしていると、私の他にも防災の意識がある方や防災の権威はいる一方で、ふと地元に戻れば私の周りの若者や女性たちは全く防災をしていない。あんなに大きなことがあったのに、全くですよ。これからの災害のことを考えたときに、東北の復興支援もそうですが、“女性や若者の防災意識の低さ”という課題を解決する人がいないことにも気づきました。

そのため、私がその先駆けになろうと。自分の身近な地域の人々や他の地域の人々に、今回のようなことを繰り返さないために防災の重要性を広める活動を始めようと決めました。それが、防災ガール誕生のきっかけです」

根底にあるのは「人を幸せにしたい」という思い


実は田中さんは奈良の出身で、震災が起きたときにいたのも東北ではなく、横浜でした。それでも、自身とは直接関係のない福島へ復興支援に行ったのは、自身の根底にある一つの考えが影響していると田中さんは語ります。

「単純に、『より多くの人を幸せにしたい』という考えをずっと抱いていました。それを自分の使命だとも思っているので。

防災を含め、さまざまな社会課題の根本に向き合い、解決の努力をしていく。そのことが、より多くの人の幸せにつながると信じて活動しています。やっぱり私は何をしても、最終的に『多くの人を幸せにしたい』という思いにつながるみたいなんです」

そうした考えは、幼少期から持っていたとか。田中さんはあるエピソードを振り返ります。

「小学校1年生のときに、駅でたいやき屋さんがたいやきを売っている姿を見て、感動したんです。『ちゃんと面と向かって人を幸せにすることができる仕事があるんだな』って。純粋に『そういう人になりたいな』と思ったんです」

マイナスな意見も、自分のなかでプラスに変えていきたい


「多くの人を幸せにしたい」という思いとは裏腹に、活動が多くの人に知られるほど、批判も出るようになりました。防災ガールのコンセプトや名前について、「防災という重要な問題に対して“ガール”や“オシャレ”はそぐわないのではないか」などの声があったそうです。

そうした批判にどう対応したのか、田中さんは次のように語ります。

「やはりこういった組織を運営していると、批判は避けられないことなので、マイナスをプラスに変えることを徹底しています。

もちろん、しっかりと受け止めるべき批判は受け止めて活動に反映しますし、単に感情的になっているだけであったり、受け入れることができない批判に対しては、そのとき感じる悔しさをバネにして頑張るようにしています。気にしすぎたら体が持ちませんからね。

たとえば、批判的な意見を言っていた方ともし実際に会い、議論になったとしたら、絶対に負けないほどの知識量と経験を積んでおくように意識しています」

 

防災ガール田中美咲の夢と田中美咲さん自身の夢


最後に、田中さんの夢を聞きました。

「田中美咲という個人としては、防災ガールだけでなく、いろいろな社会課題を常に解決し続ける人間でありたいと思います。

今は緊急性が高い防災について行動していますが、ほかのさまざまな問題、たとえばシングルマザーの子育て問題、途上国支援など、そのときに緊急性が高かったり、重要性が高い問題を選択し、事業によって解決していく自分が好きなので、そんな自分であり続けたいと思っています」

では、“防災ガール代表の田中美咲”としての夢は?

「防災ガールの田中としては、防災ガールの活動を2016年度末で一旦見直してみようと考えています。

防災ガールでは、『ヒールからスニーカーに変えた』など、どんなささいなことでもいいので、防災ガールと接点を持って防災に関してアクションした方を2016年度末までに全国の消防職員数と同じ16万人にするという数値目標を決めています。

そこから先は、『これからの防災ガールの本当にすべきことは何か』『今のような形態でいいのか』など、防災ガールという組織・取り組みの再構築を始めようと考えているんです」

さらに、「防災に対して、私と同じかそれ以上の熱量を持った子が現れたら、代表の引き継ぎをしたい」と田中さん。

「防災ガールがあったからこそ、“新しい防災”や“オシャレな防災”という概念が徐々に広まりつつありますし、それは少しだけど、社会が変わってきたということでもあると思います。

ですが、私自身は自分のなかにあるリソースを出し切ったかな、という感覚があるんです。もし私とは異なるスキルや経験を持つ人が現れ、防災ガールを運営してくれたら、今の防災ガールにもっと新しい価値を生み出せるかもしれない。

活動を広げていくためには、個人のリソースを次の代表に託し、またその次の代表が新しいリソースを加えて、二倍になったリソースをまた次の代表に託し……というサイクルを繰り返していくほうがいいと思うんです。そうやって防災ガールが大きくなっていくのが、この団体を立ち上げた私の夢ですね」

 

識者プロフィール


田中美咲(たなか・みさき) 1988年奈良生まれ、横浜育ち。立命館大学産業社会学部卒業後、株式会社サイバーエージェントに入社。ソーシャルゲームのプランナーとして管轄月間新人賞5回、MVP、ベストプロジェクト賞獲得。その後、東日本大震災をきっかけとして情報による復興支援を行う公益社団法人助けあいジャパンに転職。福島県に移住し、福島県庁・8市町村と連携した復興支援事業プロジェクトマネージャーとして現地雇用創出・事業推進に従事。2013年12月独立。フリーランスの社会的意義のあるプロジェクトに特化した「ソーシャルプランナー」として、さまざまなプランニング・ファウンダーとして活動。2015年3月11日一般社団法人防災ガールを設立、代表理事を務める。


※この記事は2016/03/18にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています

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