「自分だけの輝き」を持て。丸々もとおから学ぶ唯一無二の肩書きを掲げる方法

これまでに夜景に関する50冊以上の書籍の執筆をはじめ、工場夜景クルージングの企画や夜景検定など、 “夜景評論家”や “夜景&イルミネーションプロデューサー”という新しいポジションを自らの手で開拓してきた丸々もとおさん。

「自分だけの輝き」を持て。丸々もとおから学ぶ唯一無二の肩書きを掲げる方法

これまでに夜景に関する50冊以上の書籍の執筆をはじめ、工場夜景クルージングの企画や夜景検定など、 “夜景評論家”や “夜景&イルミネーションプロデューサー”という新しいポジションを自らの手で開拓してきた丸々もとおさん。

2015年には152万9103球ものLEDライトで作った、夜景空間『Myoko Happiness Illumination』がギネス記録に認定されるという偉業も成し遂げています。

37歳のとき、会社を退職してまで自分の好きなことに進んでいったその胸の奥には、一体どのような覚悟があったのでしょうか。好きなことを仕事にするための秘訣(ひけつ)を伺います。

「自分だったらこうする」を形にしてきた



--日本でただ一人、丸々もとおさんが開拓した“夜景評論家”というジャンルはテレビやラジオでも大きく取り上げられていますが、そもそもはどのような経緯でその地位を確立したのでしょうか?

出版社で編集者として働いていた27歳のとき、子どものころから大好きだった夜景の本を作ろうと思ったんです。

自分が働いている出版社では企画を提案しづらかったので、いろんな出版社へ足を運びながら自分でプレゼンして、やっと形になったのが1992年に出版した『東京夜景1』という本です。いくつも本を執筆していますが、特に思い入れのある1冊ですね。

この本を出版したとき、すでに夕陽評論家として執筆活動していた油井昌由樹さんという方がいたので、「じゃあ私は夜景評論家として活動しよう」そう決めたのが今の肩書きの出発点。


出版後はそこで満足して終わりとはならなくて、逆にいろいろな「夜景」に対する課題が目につくようになってしまったんです。

例えば夜景が見えるレストランとかホテルへ行ったとき、「こんなにきれいな夜景がテーブルの向こうに見えるのに、なんで雰囲気を壊すような照明にしてるのだろう」とか、「美しい夜景を楽しむための特別メニューがあればいいのに」とか。

考えやアイデアがたまりにたまったときに、そうだ、自分で夜景を提供する場をつくろう!と思い立ち、店舗のプロデュースを始めました。

--思ったことを次々と形にしていく、その行動力はすごいですね。

何かに興味を持ち始めると疑問が自然と湧いてくる。自分だったらそれをどう解決するか考え、着実に実行に移してきたんです。

ホテルとタッグを組んで部屋から夜景を楽しめる宿泊プランの提案をしたり、飲食店やホテルなどをメインに夜景のサービスという付加価値をつけたり、結果としてそれが集客アップにつながっていきました。

そうやって成功を積み重ねていくことで、ただ自分で名乗っているだけではなく、「夜景プロデューサー」としての肩書きが周囲にも認められるようになったのだと思います。

龍が駆けるギネス認定の「アパリゾート上越妙高イルミネーション」



さらには“夜景そのもの”をつくりたくなって『Myoko Happiness Illumination』(新潟県妙高市で行われたイルミネーションイベント)も実現させました。今はとにかく夜景に関わること全般をやっています。

4月初旬まで開催している「西武園ゆうえんちのイルミージュ」。幻想的な世界が一面に広がっている。


やりたいことをかなえられない人生ってつまらない



--そもそも夜景に興味を持ったのはいつごろでしたか?

小学生のときです。ボーイスカウトのキャンプで山梨へ行って夜景を見たとき、「こんなに素晴らしい世界があるんだ」と、その美しい光景に心をわしづかみにされたんです。それからもっといろいろな夜景を楽しみたいと、学生時代は夜な夜な自転車で走り回っていましたね。

--幼いころから夜景を追いかけて毎日を過ごして来られたのですね。何をきっかけに会社員を辞めてまで今のお仕事に絞ったのでしょうか?

当時は37歳。前職の出版社から転職し、リクルートでリクナビの副編集長を任されていました。編集の仕事は好きだったし会社を辞めるつもりはなかったのですが、副編集長になると部下が作ったページのチェックをするだけで、自分は現場に行くことはない。立場もありますが、自分がやりたいことをやれていない葛藤というか、どこか心がモヤモヤしていました。


ある日、残業をしていたときに、夜景に関する本ってどんなものが作れるか、ぼんやり考えてたんです。気づいたら1人で30の企画を思いついていました。そこで思い出したのが、1999年に出版した『東京癒しの夜景』のこと。この本は、色彩心理の観点から夜景を切るという内容だったのですが、本業の傍らいろんな先生を取材し、カラーセラピーも自ら学んで、制作期間は3年もかかったのです。

もし、思いついたすべての企画を形にするとしたら何年かかるか。1冊を作るのに仮に3年、それが30通り。ということは、単純計算でここから90年は必要。ハッと視界がひらけ、退職を決意しました。

--ええと…それは、どういうことでしょうか?

つまり、会社員として働きながら自分が作りたい夜景の本を作るには、あまりにも時間が足りない。夢をかなえるためにはもっと時間と、近道になる手段をつくらなくてはならないと思って独立を決めました。

--なるほど。37歳で仕事を辞めて夢を追いかけるというのは、すごく勇気が必要だったのでは。

自分のやりたいと思ったことがやれない人生って、私はつまらないと思うんですよ。今って、海外へ行きたいと思ったら行けるし、食べたいものがあったら食べられるわけだし、それと同じようにかなえたいと思ったことがかなえられないのはつらいこと。

会社と自分の夢を天秤にかけたときに、夢の方が全然上の次元にあるなと思ったのです。


--収入に関して不安はありませんでしたか?

もしもお金がなくなったらバイトをすればいいと思っていました。お金って1つの手段であって、お金のために生きるのではなくて、欲求をかなえるためにお金が必要なだけなんです。

独立をしたい人はそうやって振り切れるかどうかではないでしょうか。しかし、中にはそう簡単に振り切ることができない人もいるだろうなと思います。だけど、1回きりの人生ですからね。

今の仕事から転職することや独立することに悩んでいるうちは、会社員として働いた方がよいでしょう。「辞めようかな」じゃなくて、「辞めなきゃ自分が夢をつかめない」という考えになるまで追い込んでいかないと、人って動き出さないし、輝きを放たないでしょう?

何をすれば気持ちいいかを考えて、最終的に残ったのが夜景だった



--丸々さんみたいに自分の好きなことを仕事にするためには何が必要でしょうか?

実は、好きか嫌いかの軸だけで判断してはいけないんです。社会に出るとライバルはたくさんいるので、ちょっとした好きというレベルを自分の軸にしてしまうと、人と比べたときに負けた!と思ってしまいます。

私がよく言っているのは、気持ちいいか気持ちよくないかで振り返るということ。音楽にしても、食にしても無心で取り組んでいることは人と比べようのないものじゃないですか。

私の場合、幼稚園のころから振り返って、自分の気持ちいいと思ったことを紙に書いてグルーピングしていったとき、前述した山梨での夜景をはじめ、「夜の風景」が一番大きなパワーを秘めたグループになっていたのです。

ただ、仕事として置き換えたときに自分だけが気持ちいいと満足しているだけだと、ただのマニアでしかありません。原稿を執筆しても、写真を撮るにしても、誰かの反応があってこそナンボだと思ってるんです。

私はふと読者を意識したときに、自分の快感は人に気持ちよくなってもらってこそ初めて得られることに気づいたので、この先も夜景評論家としてやっていこうと決めました。だから、今やっていることは自分のためというより、誰かのためだったりするんです。

こんな世界があったら気持ちいいだろうな、そう思ってイルミネーションを作るのですが、最終的にはそれを見に来た家族や恋人たちが、感動したり楽しんでいる姿を見て心からうれしく思います。


--今後、どのようなことをやってみたいと思っていますか?

夜景を愛でる価値観というのは日本独自なものであり、世界に誇れる文化です。海外では日本の漫画やアニメが人気ですが、夜景は観光コンテンツの一つとして、世界中の人に楽しんでもらうべきだと考えています。

今は日本に来ないと見られないイルミネーションに重点を置いてますが、いつかは南アフリカのだだっ広い原野で、日本のイルミネーションイベントをやってもいいと思っています。夜景の魅力をどんどん輸出するのが目標ですね。

自分探しをするなら社会人になってから


自分には何が気持ちいいのか考えたときに浮かんだのが、夜景だったという丸々さん。

「大学生でよく自分探しをしたがる人がいますけど、肝心なのは社会人になってからやること。社会に出ると目の前の仕事に忙殺されたり、いろんな人の価値観が入ってくるから自分を失いがちになるんです。そんな環境の中で自分を振り返ることが、すごく重要なことになりますよ」と話していました。

あなたの今までの人生を思い返して、気持ちいいと思えることは何でしたか? 「気持ちいい」は、「好き」という感情よりも強くてブレない、自分にとって確かな感覚。

その一つひとつを思い出して土台から組み立てていくと、これから一生をかけて背負いたい「自分だけの肩書き」が見つかるかもしれません。


(取材・文:真貝聡/写真:菊池貴裕)

識者プロフィール
丸々もとお(まるまる・もとお)夜景評論家/夜景プロデューサー/イルミネーションプロデューサー/夜景観光コンベンション・ビューロー代表理事。
1965年生まれ、立教大学社会学部観光学科卒。1992年『東京夜景』上梓、日本でも唯一無二の夜景評論家として本格的活動を始める。「夜景」の美しさを景観学、色彩心理学などをベースに評論するなど、夜景の本質を浮き彫りにする独自の「夜景学」の構築に取り組んでいる。「夜景検定(夜景鑑賞士検定)」及び「イルミネーション検定」総監修。日本初の工場夜景クルーズを手がけ「かながわ観光大賞」を受賞。イルミネーションプロデュースに「アパリゾート上越妙高イルミネーション」「門司港レトロ」「小倉イルミネーション」「ハウステンボス」「東京ドイツ村」「長崎グラバー園」「奧日光雪まつり」「ぐんまフラワーパーク」「いくとぴあ食花イルミネーション」等。ライトアップに「出島」「大浦天主堂」(国宝)、中町教会、北九州アイアンツリー等多数。
※商標登録『夜景評論家』第4408194号※照明コンサルタント(社団法人 照明学会認定)ボーイスカウト埼玉県連盟広報大使
http://www.yakei-cvb.or.jp

※この記事は2017/03/18にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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