扉を開けると壁一面の本棚に所狭しと並ぶ本。新刊・古書を問わず、写真集、小説、絵本、雑誌…どれも猫にまつわるものばかり。
猫の本専門書店「Cat's Meow Books(キャッツ・ミャウ・ブックス)」は2017年8月、東京・三軒茶屋にオープンしました。本を買えるだけではなく、猫のラベルが貼られたコーヒーや、猫のイラストがデザインされたビールも飲めるなんてこだわりも!
キャットタワーのような本棚の間を軽快に駆け抜ける猫。窓辺で気持ち良さそうに寝ている猫。お客さんにアゴを撫でられてノドをゴロゴロと鳴らす猫。ここにいる猫たちはみんな、Cat's Meow Booksの店員さん。そして、そのかわいらしい5匹の店員たちと書店を始めたのが、会社員の安村正也さん(49)です。
近年、働き方改革の一つとして、企業が副業や兼業を解禁する動きが広がってきました。あわせて、本業をもちながらお金を稼ぐことだけに限らない社外活動も行う「パラレルキャリア」にも注目が集まっています。昼間は会社員、夜は書店の経営。「好きを仕事にする」をパラレルキャリアで実践した安村さんにお話を伺いました。
保護猫と書店が「助け合う」関係
現在、外資系マーケティングリサーチ企業に勤めている安村さんは、平日は毎朝9時30分に出社。昼間は奥さんの真澄さんが書店で接客にあたり、安村さんは終業後の19時ごろから22時までと、土日の開店から閉店まで書店に立つという働き方をしています。
「もともと、大好きな猫・本・ビールに囲まれて余生を過ごしたいと考えていました」。
2011年、本が好きな安村さんは参加者がそれぞれオススメの本を持ち寄って紹介する「ビブリオバトル」に出会い、店のオープン準備に入るまで没頭していました。たまたまビブリオバトルを初開催する書店に出向いたところ、そこが主催していた「本屋入門」にも参加することになったそう。本屋入門とは、書店の現状や業界事情を知る講座のことで、少しずつ書店経営に興味を持っていきました。
とはいえ、書店を経営するにしても、インターネット通販や電子書籍などの勢いに押され、普通の書店では経営は難しい。そこで、「看板猫がいたらお客さんが店に足を運んでくれるのでは」と安村さんは考え始めます。
アイデアが少しずつ温まり始めたころ、東京・下北沢にあるビールが飲める書店「B&B」代表の内沼晋太郎さんが開催した「これからの本屋講座」に参加。「Cat's Meow Books」のアイデアの原型をプレゼンしたときに内沼さんに背中を押してもらったことが、開業を決意するきっかけになったのだとか。しかし、すでに結婚していた安村さん。本業との兼ね合いやご家族からの理解など、不安なことはなかったのでしょうか?
「本業とのバランスについては葛藤や不安は特にありませんでしたが、店のオープン日が夏休み期間中だったので、会社の夏期休暇を一週間取得して調整するなどの配慮は必要でしたね」。
さらに驚くことに、実は本屋開業の計画がかなり具体的になるまで、奥さまには何も話していなかったそうです。
「でも夫婦ともに今後の人生をどうにかしないといけない、という漠然とした不安を抱えていましたし、私が『猫と本とビール』が好きなことを熟知している妻からは反対されないだろうと確信していました。今となっては、非常に危険な橋を渡って妻に迷惑をかけたな、と大変反省しております」。
安村さんは愛猫の三郎くんと15年間、ずっと一緒に暮らしてきました。三郎くんは母猫に棄てられていた3匹の野良猫の赤ちゃんのうちの1匹。もう2匹の兄弟は残念ながら命を落としてしまいました。彼らを助けることができなかった経験から、世の中の猫たちに何かできないかと考えてきたそうです。
ある時、保護猫・保護犬のシェルターを運営する一般社団法人「LOVE&Co.」の活動を知った安村さん。同法人は保護猫の写真がラベルになったコーヒーを販売しており、その売り上げは猫の保護活動に充てられます。「猫が自分のごはん代を稼ぐ」のコンセプトに刺激を受けたそうです(Cat's Meow Booksで提供しているコーヒーもこの商品)。そこで、書店の売り上げの10%を、殺処分されてしまう保護猫を助ける活動に寄付することを考えました。2016年度の全国における猫の殺処分数は4万匹以上とされており、以前から、猫が殺処分されている事実に心を痛めていたそうです。
「殺処分数は一昔前に比べたら減少していますが、それは猫を保護団体が引き取っているだけで、実は里親が見つからない不幸な保護猫は減っていないんです」。
書店員の猫たちもみんな保護猫。自分なりに何かできることをして、猫たちを助けようと立ち上がった安村さんが目指すのは、「書店と保護猫がともに助け合う店」。近年減少傾向にある「書店」と里親の見つからない「保護猫」。そんな2つの存在が協力し合いながら盛り立てていくような店を目指しています。
この書店の構想を思いついてから、自宅兼店舗として思い切って一軒家を購入。「店がオープンしていない時もいつも書店猫と一緒にいることができます。考えたくはありませんが、仮に書店がビジネスとして立ち行かなくなっても家は残るので、書店猫たちとずっと一緒に暮らしていけます」。その言葉から、その並々ならぬ"猫愛"がヒシヒシと伝わってきました。
パラレルキャリアなら本当に好きなことができる
「書店と保護猫が助け合う」。
そのコンセプトはオープン前から話題となり、さまざまなメディアに取り上げられました。初日から連日、多くのお客さんが訪れましたが、売り上げは伸び悩んでいたそうです。
「オープンした月は見込んでいた客単価より低くて……。お客様の多くはネコカフェをイメージして訪れるので、書店ということがうまく認識されておらず、お茶だけ飲んで帰る方が多かったです」
オープンから約半年。売場作りに工夫を凝らし、メディアの露出を積極的に続けた努力が実を結びます。いまではお店のコンセプトに共感した人たちが来店し、本を買っていくことが増えてきました。
「お客さんの数は減りましたが、売り上げは増えました。『同じ本を買うなら猫のためになるCat's Meow Booksで買いたい』と、わざわざ足を運んでくださるお客さんも多くなりましたね。猫本の買い取りも行っていますが、ありがたいことに多くの方が『買い取りは結構です。猫の保護活動の足しになれば』と本を寄付してくださいます」。
しかし書店だけで生計を立てられるほどの利益が出るかといえば、そうではありません。開業にあたりかかった費用は約500万円(住宅ローンは除く)。税抜き売り上げの10%を寄付しているため、利益はほぼないそうです。
「売り上げの10%を寄付するということは、売り上げが上がれば上がるほど寄付額が増えるということ。そのため、お店の利益は微々たる程度です。おそらく初期投資額の回収はかなり先の話になりますが、長期的に見て最終的にトントンになればいいかなと思っています」。
「利益だけを追求するならば、現状のビジネスモデルは成り立たないでしょう。今だから話せますが、初月の売り上げから寄付金を捻出する時、利益がほとんど残らないことに対し、少し躊躇してしまって。『本当に続けていけるのか?』と不安でいっぱいになりました」。
しかし、「自分が好きなことだし、このまま店を続けていく」と決めます。それは本業があるからこそできた決断です。
パラレルキャリアのメリット
副業とは違い、余暇の活用・スキルアップ・自己成長など、利益の追求だけが目的ではないパラレルキャリア。実際のところ、本業との兼ね合いはどうなのでしょうか。
「不思議な話ですが、会社では疲れを感じていたとしても、書店でレジに立つと元気になるんですよ。会社はお金をもらうために働く場所だとある程度割り切っている部分があるのですが、自分が本当にやりたいことに対しては心が支えになっているので、それほど疲れを感じません。
夕食は閉店後の決まった時間に取れますし、朝も7時から7時30分に猫たちがごはんをくれと騒ぎ出すので、起きてからご飯をあげて妻と掃除をする。身支度を整えて8時30分~9時に家を出て9時30分には出社。そんな朝晩の生活サイクルが保たれているので、健康でいられるのかもしれませんね」。
また、こんなメリットがあったと、安村さんの話は続きます。
「今までは、少し残業してその日のうちに仕事を終わらせればいいやと思っていたところがあります。しかし今は書店があるので、定時までに終わるために、効率よく仕事するようになりました。仕事の段取りやスピードは格段にアップしています」。
パラレルキャリアの業種が全く違う分野だったことも良かったそうです。
「本業とパラレルキャリアが、同じ仕事内容もしくは似たような分野だと、仕事の比重がどちらか一方に引っ張られ、バランスがうまく取れずに支障が出ることもあるかもしれません。しかし私の場合、本業がデスクワーク、パラレルキャリアは接客業。異なる分野なので気持ちの切り替えができますし、仕事にも新鮮味を感じられことで相乗効果が生まれているような気がします」。
好きなことを本業にしてはいけない?
「好きなことを仕事にする」。そんな言葉を巷でよく聞きますが、このことに関して安村さんはこう考えます。
「『好きなことを仕事に』って、もしかしたら本業ではなく、パラレルキャリアのための言葉なのかもしれません。好きなことが本業になると、儲けなくてはならないという気持ちに縛られていきます。それにより、好きなものが好きじゃないものに変わる可能性があると思います。
例えば書店の場合、自分が売りたい本じゃなくて『好きではないけど、売れるから仕入れなきゃいけない本』が出てくる。そういう本が増えれば、売り上げは上がるけど本が好きではなくなって精神的には貧しくなってしまうかもしれない。結果的にその気持ちが猫やお客さん、家族にも伝わり、回り回って売り上げも落ちていってしまうと思うんですね」。
「だから、どこかで心の余裕を担保しなくてはいけません。それはお金かもしれないし、精神的なものかもしれない。個人的には、本業という逃げ道があって、好きなことを仕事にするのが理想なんじゃないかなと思います」。
そんな安村さんから、パラレルキャリアに興味をお持ちの読者に向けてアドバイスをいただきました。
「本業がないがしろになってしまっては、パラレルキャリアで仕事をする意味がないのではないでしょうか。日々の仕事もきっちりこなして、パラレルキャリアで好きなことに本気を出して取り組む。責任を果たした上でそんな働き方をしていれば、きっと応援してくれる人が現れるはず。ですので、まずは本業の仕事に本気で取り組むことが大切だと思いますよ」。
「あくまで本業の収入ベースがあるからこそ、始められるのがパラレルキャリア。日々、『会社にパラレルキャリア(好きなこと)をやらせていただいている』くらいの気持ちで本業に取り組む必要があると思います。逆にそれくらいの謙虚な気持ちがあれば、パラレルキャリアもうまくいくのではないでしょうか」。
働く場所は社会の居場所
ほぼ休みのない日々を送る安村さんですが、「間違いなく今が人生で一番充実した日々」だと語ります。
「休みなく何かの予定があり、毎日が充実していることに幸せを感じています。このままでいいのかな、というぼんやりとした不安もありません。働くことって、社会の中で自分のポジションを得るための行動だと思っています。昼も夜も人に認知してもらえる居場所がある。パラレルキャリアでお店を始めて、あらためて実感しました」。
働き方が柔軟になってきたいま、自分なりのワークライフバランスを実現し、夢をかなえやすい環境が整い始めています。本業がベースにあるからこそ実践できるパラレルキャリアは、本業へのモチベーションを高めたり、自分の視野をさらに広くしてくれたりするきっかけになるかもしれませんね。
(取材・文:ケンジパーマ/編集:東京通信社)
識者プロフィール
安村正也(やすむら・まさや)
1968年大阪生まれ。1991年慶應義塾大学経済学部卒。シンクタンク研究員やシステムエンジニアなどを経て、2004年に現在の外資系マーケティングリサーチ会社に転職。2011年から書評ゲーム「ビブリオバトル」にハマり、本に関する仕事に就くことを意識した結果、「パラレルキャリア」という生き方を選択することに。店舗オープン2年目は、いかにして書店または書店員として外に向けた情報を発信していけるか模索中。
※この記事は2018/02/13にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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