旅人を呼ぶ「魔法の和食」~モロッコ初の日本人宿を始めたのりこさんのハナシ~

フランスとアラブの文化がミックスされた美しい街並み、古い邸宅を改築し宿泊ができるようにした中庭付きの優美なリヤド、色とりどりのカラフルな雑貨に日本でもブームになったタジンやクスクスなどのグルメ。

旅人を呼ぶ「魔法の和食」~モロッコ初の日本人宿を始めたのりこさんのハナシ~

フランスとアラブの文化がミックスされた美しい街並み、古い邸宅を改築し宿泊ができるようにした中庭付きの優美なリヤド、色とりどりのカラフルな雑貨に日本でもブームになったタジンやクスクスなどのグルメ。

独特の魅惑的な文化を持ち、北アフリカに位置するモロッコは、近年、日本人女性にもっとも人気がある旅行先です。

そんなモロッコについてインターネットで情報収集していくと、旅行者のブログなどで“ある日本人”の名前が頻繁に表示されています。

「のりこさん」

彼女はモロッコの秘境、トドラ渓谷の入り口で宿を営む女性。なんと、モロッコで一番有名な日本人として知られ、多くの旅人が彼女に会うためにのりこさんの宿「Maison d’hote la Fleur」(通称:のりこハウス)へ訪れるのだとか。

一体、のりこさんとは何者なのでしょうか? そして、日本人女性がどうして異国の地で活躍することができたのでしょうか?

今回はライターが実際にモロッコへ出向き、のりこさんの宿でインタビュー。美しいトドラの風景とともに緩やかにお届けします。

離婚を機に夢を追って海外へ

 

Maison d’hote la Fleurのテラスは自然が目一杯広がっている。



「あなたは日本人? ノリコの宿に泊まっているのかい?」

飛行機と長距離バスを乗り継いでトドラ渓谷に到着すると、商店や道行くモロッコ人が口をそろえてこう尋ねてきます。のりこさんの顔の広さに驚きながらも歩みを進め、宿に到着すると「いらっしゃい」とのりこさんが優しく出迎えてくれました。

宿の壁面には、日本の旅行雑誌などにも提供したことがあるという、のりこさんが撮ったモロッコの人や風景のモノクロ写真が飾られています。そしてそこに飾ってある一枚の写真が彼女の人生を大きく変えたのだとか。のりこさんは遠いモノクロの記憶から色をつけていくように、その半生を語りはじめました。

運命を変えた一枚の写真。



「若いころから芸術や旅行が好きで26歳から旅行会社に勤めていたのだけど、結婚のため32歳で退職。それと同時に自宅マンションの一室にデスクを置いて、自分で小さな旅行会社を立ち上げたの。雇われることが苦手だったから結婚を機に独立したのよ(笑)」(のりこさん、以下同)

その後、47歳で離婚。それを機に旅行会社の看板をおろし、心機一転しようと高校時代から憧れていたパリへ渡ったのりこさん。パリでは語学学校と絵の学校に通い、そのときに絵の学校の友人からモロッコ旅行に誘われたことが、この土地との出会いだったといいます。

「そのモロッコ旅行で撮ったモノクロ写真が、2000年の『サロン・ド・オートンヌ』に入選しちゃったの。それがきっかけで、度々モロッコへ写真を撮りに行くようになったわ」

それがこのモノクロ写真のこと。運命を変えた一枚の写真を納めたカメラ、実は別れた旦那さんからいただいたものだったとか。運命とは不思議なものです。

 

モロッコで起業、成功のカギは絶品の和食!?



それからのりこさんはさらに人生を旅します。

ある時、サハラ砂漠の街・メルズーガを訪れたのりこさんは、そこにある広大な砂漠の自然美や夜空に広がる満天の星に魅了され、「ここに住みたい!」と思ったそうです。

「最初は砂漠に家を建てて住もうと思ったの。土の家であれば2LDKの広さの家が30万円くらいで建てられるのよ。友人に相談したら住居兼ホテルを勧められたから、2004年にモロッコ人と共同経営で宿を始めたの」

雄大な景色が広がるトドラ渓谷。



モロッコ人と共同経営だったため、手続きなどは問題なくスムーズに済んだそう。しかし、異国の地での起業、不安や葛藤はなかったのでしょうか?

「不思議と不安はなかったわ。モロッコはパリで習ったフランス語が通じたし。家があってちゃんと毎日ごはんが食べていければ、それだけでいいの」

当時、モロッコに日本人が経営する宿はまだなく、宿泊した日本人客の要望を受けて和食を出したところ好評を得ます。そしてその和食が口コミでどんどん広がり、事業は軌道に乗って行ったのだとか。

その後のりこさんは創業7年目となる2011年にトドラに移動し「Maison d’hote Amand(メゾン・ドット・アーモンド)」を借り上げて3年間経営、2014年に現在の宿「Maison d’hote la Fleur(メゾン・ドット・ラ・フラワー)」を始めました。今年の11月で3周年を迎えるそうです。

「Maison d’hote la Fleur」を訪れる日本人旅行者のお目当ては、のりこさんが作る絶品の和食。毎晩の日替わり定食と、自宅を思わせるような宿の居心地の良さが相まって長期滞在する旅人が後を絶たないのだとか。実際に、宿泊していた30代の日本人女性客も、気づけば1週間ほど滞在してしまっている、と言っていました。日本で食べるのとはまた一味違う、旅の味としての和食。異国の地で食べるからこそ、あらためてそのおいしさが身に染みるのかもしれません。

できたてホクホク。素朴な味わいながら五臓六腑に染みわたる、のりこさんのごはん。



この日の献立は、ダシの効いたお味噌汁にふっくらした白米、旨味が染み込んだ切り干し大根と、サクサクのトンカツ(モロッコでは豚を食べないため鶏肉で代用)。どれもため息がでるほどおいしく「明日も泊まっちゃおうかな」と、後ろ髪を引かれるような味。こんなにおいしい食事を作るのりこさんですが、もともと料理が得意だったわけではなかったそうです。

モロッコでは日本の調味料を仕入れることが困難なため、日本の知人から送ってもらったり、宿を訪れる青年海外協力隊の人たちが分けてくれるものでやりくりしています。特別なことはしていない。ですが、のりこさんが丁寧に作る優しさが詰まった和食が、宿を軌道にのせるための「魔法のアイテム」になったのかもしれません。

とっておきのスパイスはのりこさんの優しさと愛情。


モロッコはお金がなくても困らない



モロッコでは企業に勤める人は都会に住む一部の人だけで、ほとんどの人が自営業なのだとか。温暖な気候にもつられ、町の人や流れている空気はどこかのんびりしています。

「日中は暑いからシエスタといって、13時ごろから16時ごろまでは仕事を休んでお昼寝するの。子どもたちも涼しくなってくる夕方から夜にかけて外に出て遊んでいるわ。モロッコ人の女性は働き者、でも男性は人によるかしら。約束しても『インシャラー』(神のみぞ知る)って言われたりしてね(笑)。でもそれって、約束をしても事故とかあったら100%は行けないよ、とかそういう意味合いなんだけどね」

日本からすると物価がとても安いモロッコ。1リットルのペットボトルは日本円で35円、タジン料理は230~530円程度。平均月収は3万円ほどで、人々の暮らしぶりを見ても決して裕福とはいえません。しかし、モロッコの人たちには悲壮感はなく、どちらかといえば人生を楽しんでいるような印象を受けます。それはモロッコ人が崇拝するイスラム教が深く関わっているのだとか。

「お金に困っている人にはね、誰かがクスクスやタジンといった食べ物を持っていってあげるの。これは貧しい人には分け与えましょう、っていうイスラム教の教え。だからモロッコで飢え死にすることはないと思う。

イスラム教って日本人はネガティブなイメージを持つことがあるかもしれないけど、それはただ知らないだけだからなんじゃないかしら。イスラム教はキリスト教の次に教徒が多い、平和的な宗教よ。モロッコ人はお年寄りを大事にするし、子どもと猫も大好き。みんなとっても優しいの」

 

「何もしない」という究極のぜいたく


そんなモロッコには「日本が失ったものがある」と、のりこさんは続けます。

「モロッコでは孤独死もないでしょうね。モロッコ人はご近所付き合いがとても密で、一人暮らしはほとんどない。家族はもちろん、祖父母や親戚と一緒に住んでいる人も多くて、私の知り合いには25人で住んでいる人もいるわよ(笑)。

モロッコの家にはそれぞれお庭があるんだけど、夜にはシートを広げて月明かりだけで、家族と食卓を囲むの。月明かりが青いってモロッコに来て初めて知ったわ。モロッコにはね、『何にもない』というぜいたくが残っているのよ」

気さくでマイペースなのりこさん。



日本のように食事の種類も多いわけではなく、映画館などの娯楽施設もない。だからこそ1日1日の生活を丁寧に、そしてしっかりと味わうことができる。滞在する旅人たちも、窓から見える雄大な自然をただ眺めたり、渓谷から届く風を感じながら昼寝をしたり、「何もしない」というぜいたくな時間を過ごしていました。のりこさん自身、異国の地で孤独を感じることはないのでしょうか?

「そうねぇ、同年代の友人夫婦を見ていると『あのころ、もし離婚していなかったらどんな人生を送っていたかな?』って考えることはありますよ。同年代の独身の女性の中には、現役のころはバリバリのキャリアウーマンとして働いて、今はその時に貯めたお金で世界中を旅して周るような生活をしている人もいる。その人、すごく楽しそうだし幸せそうなの。

私も今、幸せよ。昼間には好きな本を読んだり昼寝もできるし、年に一度は1カ月の休暇をとって、海外へバカンスに出かけているの。

それに宿に来てくれるお客さんが私の作ったご飯をおいしいって言ってくれるし、何度も何度も来てくれるお客さんもいる。この前はね、この宿に来るだけのために日本から直行直帰で来てくれた女の子がいたんですよ。この喜びは、今の人生を選ばなかったら得られなかったこと。何もなくても、こうやって人と出会うことが私の心を豊かにしてくれているわ」

家族のカタチ、幸せのカタチ

 


果たして家族とは、血縁や婚姻で結ばれる関係だけをいうのでしょうか? のりこさんや彼女に会いに来る旅人たちのエピソードを聞くうちに、のりこさんにはモロッコや日本だけじゃなく、世界中に家族がいるのではないかと感じるほど。

「この客室への階段が上れなくなったら引退ね」と話していたのりこさん。モロッコに海沿いの好きな街があり、引退後は海を見下ろせる丘に小さな家を建てて、野菜を植えたり、 鶏を飼ったりして半自給自足しながら暮らしていきたいのだそう。のりこさんの宿とおいしいこの和食が食べられなくなると思うと残念でなりませんが、最後にこう付け加えてくれました。

「私の和食が食べたい? そうね、ちょっと多めに部屋をつくるから片手間で宿をやってもいいかもね」

人生を変えるきっかけはどんなタイミングでやってくるか分かりませんし、自分がやりたいことに年齢制限はありません。単身で見知らぬ土地に飛び込み、ヒトや文化を受け入れながらも自分らしく生きていくということ。幸せのカタチの多様性。のりこさんの生き方からは、さまざまなことを学びました。

日々忙しくしている20代のビジネスパーソンの皆さんも、たまには“何もしない”というぜいたくを味わってみてはいかがでしょうか。目を閉じて深呼吸をするだけで、雑音や雑念が消え、本当の心の豊かさや自分が幸せだと思えることは何かが見えてくるかもしれません。

のりこさんの宿「Maison d’hote la Fleur」には、今日もまた世界のどこかから旅人がやってきます。そして彼女の作る和食は、これからも多くの旅人の疲れを、魔法をかけるように癒やし続けていくことでしょう。


(取材・文・写真:ケンジパーマ)

識者プロフィール
三原典子(みはら・のりこ)
1950年生まれ。高知県出身。
モロッコに魅せられ、2004年にメルズーガで宿を始め、2014年からはトドラで「Maison d’hote la Fleur」を経営。

※この記事は2017/08/08にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

page top