ロボットダンスの現代版のような大胆かつユニークさと、日本舞踊のようなしなやかさを併せ持った“アニメーションダンス”を軸に、映像・特殊効果など他ジャンルの要素を取り入れた独自のパフォーマンスを展開するのが、今回ご紹介する、ダンサーの蛮(ばん)さんです。
蛮さんは、あのCirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ)の登録ダンサーであり、2016年には、ニューヨークの名門「アポロシアター」のアマチュアナイトにて、3連続優勝という快挙を成し遂げ、4半期王者に。さらに「サマーソニック2016」では、AQUA ART STAGEにて脚本・演出・主役を担当したショーを披露するなど、国内外で活躍されています。
2015年に神戸からロンドンに渡り、世界を舞台に活動の幅を広げた蛮さん。彼はどんな思いで海外へ飛び立ったのでしょうか?
原点は「ロックスターになりたかった」
―まずはパフォーマーという道を選んだきっかけを教えていただけますか?
中学生のころに見た、GLAYのコンサートに衝撃を受けて、「俺はロックスターになる!」と決意したのが原点でした。
それから20代前半まで、ビジュアル系バンドでボーカルとして活動していたのですが、ステージでただ演奏したり歌ったりするだけではなく、どうしたらもっとエンターテインメントとしてお客さんを喜ばせることができるのか試行錯誤していたころ、素人でしたが今やっているようなアニメーションダンスを踊ったらお客さんの反応がすごく良かったんです。
―ビジュアル系バンドマンだったんですね! 言われてみれば、たしかにビジュアル系のダークでゴシックな雰囲気が出ていらっしゃいますよね。
パフォーマンス自体のお客さんウケは良かったのですが、音楽だけで勝負したいバンドメンバーとはすぐに方向性が合わなくなり、バンドを脱退することになってしまいました。
たった4年、素人から独学でプロに
―それから、今のようにパフォーマーとしての仕事のみで生活できるようになるまで、どれくらいの時間がかかったのでしょうか?
大体4年ほどですね。それまではアルバイトをしながら、独学でダンスを学び、路上パフォーマンスやクラブへの出演を地道に行い知名度を上げていきました。
クラブイベントへの出演を重ねていくうちに声がかかるようになり、イベント、企業のプロモーション…と、どんどん取引先の規模が大きくなっていきました。
―え、たった4年でプロになれるって、かなり早い方ですよね!?
そうだと思います。いわゆる僕のまわりの“ダンサー”と呼ばれる人たちって、小さいころからバレエをやっていたり、遅くても10代前半からダンスをやっていたりします。僕は20代になってからパフォーマンスを始めたので、プロになるのは早い方だったのかもしれません。
―なぜ、ここまで早くプロになれたと思いますか?
一口にダンサーといっても幅広いのですが、ダンサーの人が「好きだから」という理由でダンスを踊っている一方で、僕は始めから「より多くの人を喜ばせたい」という強い思いと、最初からお客さん目線で「どうしたら喜んでもらえるか」を考えながら活動していたことが大きかったのかもしれません。
自分をもっとも評価してくれる場所に行く
―活動の拠点だった神戸で知名度が上がってきた中、なぜ国内ではなく、海外に活動の幅を広めたのですか?
そのころ、作品製作をする自分の中で、常識というものが固まってきてしまって。より視野を広げるために1カ月半ほどかけて、ラスベガス、ロサンゼルス、ニューヨークをまわり、世界のパフォーマンスを実際に見に行ったんです。2013年の時でした。
そこでたくさんの刺激を受け、自分の中にあったアイデアのリミットも外れ視野が広がりました。同時に、自分がやっていきたいパフォーマンスをしているパフォーマーがいなかったことも、日本に基盤を置くのではなく、海外へ行く一つの理由だったと思います。
―まずは日本で知名度をもっと上げてから…という考えはなかったのでしょうか?
世界で大活躍している、とある日本人パフォーマーの女性に出会ったことが大きかったのですが、その方も僕と同じく、以前神戸で活動していたことがあったみたいで。
そのとき「もし私が、今よりもっとすごいことを神戸でしていたとしても、今ほど成功できたとは思えない」って言っていたんですね。「あー、今行かないと!」と思いました。
―活動の拠点を変えたことで、その女性は大成功されたのですね。
僕は、日本にいたら日本っぽく、ロンドンにいたらロンドンっぽいパフォーマンスに偏りがちになるんじゃないかって考えているんです。それは、国や場所によって求められる需要が違うからだと思います。
たとえば、日本でSMや緊縛というと、一般にあまりなじみがなさすぎて、ふたをされたようなアングラな場所で少規模に披露されますが(結構大きいのもあるけど)、ロンドンでは、定期的なそういったイベントに2~3,000人という人数を動員して、多くの人が動きます。
ホームをどこに置くかで、アーティストの評価や将来って大きく変わると思うんです。僕はアルバイト時代に服屋の店員をしていました。そこで例えると、超高級なハイブランドの奇抜な服をすごい田舎で取り扱っても多分なかなか受け入れられませんが、そのデザインに共感する人が多い都心のショップだと売れるのと同じかなって。
アーティストも同じで、自分をもっとも評価される場所で表現をすることが大事だと思ったんです。
―イギリスやニューヨークなど、さまざまな大会で優勝されていますよね。やはり、日本にいたころより評価されていると感じますか?
そうですね。実は、日本の大会では優勝したことがないんです。毎回お客さんの反応は良いので、オーディエンス賞のようなものはいつもいただくのですが、審査員はダンスの技術だけで評価するところがあり、いつも結構厳しい評価をされていました。
でも、たった3~4人の審査員だけのためにパフォーマンスをしたいわけじゃなくて、僕は観客である多くの人たちの笑顔を目掛けてパフォーマンスをしているんだ、そう思ってだいぶ前に日本の大会の出場を辞めました。
意外とキビシイ、ロンドン暮らしの実情
―その後、2015年にロンドンに渡られましたが、なぜロンドンを選んだのですか?
海外じゃなくても、自分がやりたい場所、求められる場所ならどこでも良かったんです。海外って文化の違いや言葉の壁があるからか、敷居が高いイメージを持たれていますが、僕からしたら神戸から東京に新幹線で行くことの延長線上に海外があるって感じなんです。
それで、東京、ドイツ、イギリス、アメリカの4つの場所を拠点候補に考えていたときに、たまたま就労ビザが取れたロンドンに拠点を置くことに決めました(笑)。
あと、ビジュアル系などの僕のルーツは、もともとはデヴィット・ボウイなどロンドンのアーティストたちやゴシックな人や街からきてるんです。彼らのゴシックな音楽って、ゴシックな雰囲気のロンドンの街並だったからこそ生まれた部分は大きいと思うんですね。
それから僕のダンスによく使うダブステップという音楽もロンドン発祥だったらしいので、それらが合わさって決め手になったかなと思います。
―ロンドンに来て、苦労されたことは何ですか?
仕事の売り込みは、まずメールを送ることからなのですが、ビジネス英語はもちろん、自分を売り込むために適切な英語を考えるのに苦労しました。いや、してます!(笑)。ほかにも「サマーソニック出演」や「シルク・ドゥ・ソレイユ登録ダンサー」などの経歴は、日本では驚かれても海外ではイマイチで、「TEDxに登壇」の方が強烈に響いたりします。自分という商品をその場所でどのようにして売り込み知ってもらえば良いのか、いつも試行錯誤しています。
―ロンドンといえば、最近EUの離脱が話題になりましたが、普段の生活はどうですか?
基本的に日本より物価がかなり高いですね。ロンドンの都心だと家賃はワンルームで月20万はするので、シェアハウスが一般的です。あと、ロンドンは「食べ物がおいしくない」といわれていますが、それ以前に物価が高すぎて日本と違って外食があまりできません。
今はEU離脱で値段は落ちてきたものの、それでもランチで1食1,500円ほどしますし、ロンドンでは日本食は高級店扱いなので、「一風堂」のラーメンは1杯で2,000円くらいしてました(笑)。逆に、どこでも売ってるおいしいクロワッサンが1個40円、リンゴなどのフルーツが6個で150円くらいなど、日本より安いものもあります。それらは日本では高いから、一長一短ですね。
気になるパフォーマーの収入。なんと、優勝賞金1億円も!
―気になる収入ですが、パフォーマーってどんなところから収入を得ているのですか?
僕の場合は、スポンサー料、イベント出演料、大会での優勝賞金などが主な収入源になっています。
―大会によってもピンキリだと思いますが、優勝賞金っていくらくらいなのですか?
平均、1回の優勝で賞金100万円くらいでしょうか。賞金でいうと、世界的に有名なアメリカの「アメリカズ・ゴット・タレント」というテレビのオーディション番組で、僕の先輩である蛯名健一さんが2013年に優勝しましたが、賞金は1億円でした。
ストーリーテインメントを発信し続けたい
―い、1億…! さすがアメリカ、桁が違いますね。最後にパフォーマーという仕事の魅力を教えてください。
お客さんが笑顔になる姿を見るのはもちろんうれしいことですが、パフォーマンスのテーマや熱量が、お客さんの心の芯にまで響いたときって、お客さんの「明日」が変わるんです。
感動してくれたり、ファンになってくれたりすること以上にうれしいのは、「元気がでました」「自分も頑張ろうと思いました」って言われることなんです。僕のステージって目ではっきり分かるものがありますが、お客さんもみんなも、それぞれの人生、毎日ステージがありますよね。僕のパフォーマンスを見て生まれたポジティブな気持ちを、それぞれ自分のステージに全力でぶつけてほしいんです。
「頑張ってください」と言われることはうれしいですが、僕は「一緒に頑張っていきましょう」と思っています。これは日本のプロジェクトリーダーが提唱する言葉ですが…お客さんを楽しませるのが「エンターテインメント」、でも僕は、お客さんの明日までポジティブな方向にデザインすることができる「ストーリーテインメント」を発信し続けたいですね。
まとめ
自分を評価してくれる場所は自分で見つける―その真摯で強い思いが、彼が思い切り輝ける場所を与えてくれたのではないでしょうか。世界を駆け巡り踊り続ける蛮さんは、今日もどこかで誰かの“明日”をポジティブにデザインしていることでしょう。
日本国内でも、海外であっても、拠点を変えることでまわりの評価も変わり、新たな自分の魅力の発見や、気づきを得ることができるかもしれませんね。
識者プロフィール
蛮(ばん)
ロボットダンスの現代版のような「アニメーションダンス」を軸に、映像・特殊演出などの要素を取り入れた独自のパフォーマンスで、イギリス・アメリカを中心に世界各地で展開、高い評価を得ている。
チームパートナーのVJと共に、映像技術を使用した世界初の演出(SSA)を開発。ソロダンサーとしては極めてまれな、単独公演を2013年より毎年開催、成功させ、2015年にイギリス最大級ダンスコンペティションで優勝、ニューヨークのアポロシアター大会でも優勝。2016年にはアポロシアター同大会の連続優勝、イギリス最大の日本文化イベントのメインに抜擢、ハリウッドツアーでの渡米、サマーソニック新ステージの脚本、演出、主演を務める。
※この記事は2016/11/30にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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