1本の電話が運命を変えた! 漆器に魅せられ福井に移住した"漆ガール"、ただいま塗師見習い3年目

日本の伝統工芸品・漆器。みそ汁をよそうお椀やお箸など、食卓で触れる機会も多く、私たちにとっては身近な存在ですよね。

1本の電話が運命を変えた! 漆器に魅せられ福井に移住した"漆ガール"、ただいま塗師見習い3年目

日本の伝統工芸品・漆器。みそ汁をよそうお椀やお箸など、食卓で触れる機会も多く、私たちにとっては身近な存在ですよね。

何気なく使っている人も多いかもしれませんが、これらは一つひとつ、塗師(ぬし)と呼ばれる職人の繊細な手作業によって作り出されるもの。一人前になるためには10年以上もの長い年月をかけて、技術や知識を習得していく必要があります。

そんな世界に若くして飛び込んだ一人の女性がいます。彼女の名前は嶋田希望(しまだ・のぞみ)さん。嶋田さんはたまたま入った東京のセレクトショップで、ある漆器に一目惚れ。求人募集をしていなかったその漆器の会社に電話をかけたそうです。

現在は見習いとして漆器と向き合っている嶋田さん。そんな彼女に、現在の仕事や漆の魅力について聞きました。

(メイン写真撮影:片岡杏子)

漆の面白さに魅せられた高校時代


1992年生まれの嶋田さんは、現在25歳。2年半ほど前に福井県鯖江市へ移住し、200年以上の歴史を持つ漆の工房「漆琳堂(しつりんどう)」で、日々漆器製作に見習いとして携わっています。

嶋田さんの仕事は「塗師(ぬし)」と呼ばれるそう。漆器は身近な存在ながら、なかなかその作り方を知る機会は多くありません。そこでまずは、漆器ってどうやって作るの? 塗師ってどんな仕事? という話から聞いてみました。

「陶器の場合だと最初から最後まで一人の職人がこなすこともありますが、漆器製作は分業制。工程としては、まず木地師(きじし)が木を削って器の原型を作り、下地師(したじし)がそれに下地を塗っていきます。これを塗らないと、漆製品独特のつるんとした艶が出ません。そして次が塗師の出番。器に漆を塗っていき、ものによってはその上に蒔絵師(まきえし)が金などで蒔絵をほどこし完成です。なので、塗師はお椀を作る工程の中で、漆を塗る人のことを指す言葉ですね」。

木地師の作業では木屑がたくさん出ますが、塗師にとって細かな木屑やほこりは大敵。そのため作業も別の場所で行われ、用いる道具や必要な技術もまったく異なるため、分業制をとっているのだそうです。このようにさまざまな工程がある中で、なぜ嶋田さんは塗師を目指したのでしょうか。

「器に興味があったというより、塗料としての漆に魅力を感じていました。漆に興味を持ったのは、通っていた工芸高校の授業の一環で訪れた美術館で、漆を使ったある絵画作品に出会ったことがきっかけです。なんでこの作品に漆を使ったんだろう? どうやって作ったんだろう? そう考えているうちに、もっと知りたいと思いました」。

(写真:片岡杏子)


あるお店での運命の出会い。数日後には電話をかけていた


漆に興味を持った嶋田さんは高校卒業後、京都にある伝統工芸を学ぶ専門学校へ進学。重箱やお椀など、京漆器の伝統工芸を学びます。京都は有名な漆器の産地のひとつ。卒業後は個人作家への弟子入りも考えていたそうですが、しっくりこなかったと言います。

「職人に弟子入りすると収入面で安定せず、長期的に修業が続くような生活になります。話を聞いた作家の方はとてもいい方で、作品も素敵だったのですが……。弟子入りして、自分の生活を続けていけるかどうか不安に思ったことがしっくりこなかった理由のひとつです。実際に弟子入りして働いている方とお話もしてみましたが、皆さん休みなく働いている、とてもストイックな方たちで……。私の理想とは違うのかな、と感じました」。

結果、嶋田さんは卒業すると地元の東京に戻り、書店でアルバイトをする日々を送っていました。そんなある日、ふらりと立ち寄ったセレクトショップで、ある器に目を奪われます。嶋田さんが現在働いている漆琳堂の漆器でした。当時のことを、嶋田さんはこう振り返ります。

「『私がやりたかったのはこういうことだ!』と思いましたね。漆って、実はさまざまな色が作れます。だけどお椀といえば、一般的には赤や黒ばかり。もっといろんな色を使ってみたらいいのにな、と思っていた中で見つけた漆琳堂の漆器は、青や黄色、緑など、色とりどりの漆で塗られていて。商品を見つけて数日後には、会社に電話をかけていました」。

福井県鯖江市にある漆琳堂の直営店。店頭には従来の漆器のイメージを塗り替えるような、カラフルなお椀が並ぶ(写真:片岡杏子)



その当時、漆琳堂に求人の予定はなかったそうです。

「今思えば、東京に住んでいるちょっと漆を知っているだけの若者から突然電話がかかってきて、漆琳堂も戸惑ったと思います(笑)。でも、それを快く受け入れてくれた。そして専務が出張で東京に来た時に実際にお会いして、業務のことや雇用制度について話してくださいました。私が福井県鯖江市に移住したことに対して、皆さんは思い切ったね、すごいね、と言ってくれるんですけど、一番すごいのは受け入れてくれた会社だと思います(笑)」。

「実際、あの頃は専門学校を卒業して2年が経とうとしていて、このままずっとアルバイトを続けるわけにもいかず、ちゃんと働かないといけないと焦りを感じていた頃でした。だから『もしこの会社がダメだったら、漆はすっぱりあきらめよう』という気持ちで電話をかけました。運良く入社することができたので、あの時行動して本当によかったと思っています。やらなかったことへの後悔って、長く引きずることになるから」。

京都の専門学校で漆を学ぶ時も、「一度決めたら迷わなかった」とのこと。嶋田さんのようにやりたいと思ったことへのアクションを積み重ねることが、自分らしい生き方を築く秘訣なのかもしれません。

3年目にしてついに漆を塗る仕事がスタート


そうして漆琳堂がある福井県鯖江市に移住した嶋田さんは、現在入社3年目。塗師見習いとして、1、2年目は下地塗りや下準備をすることが中心でしたが、最近は刷毛を手に、実際に漆を塗る作業を少しずつ任せてもらえるようになってきました。

「会社で塗師の肩書きを持っているのは、社長と専務の二人。私と、入って間もないもう一人が現在塗師見習いとして補佐的な作業を行っています。一人前になるまでの期間が決まっているわけではありませんが、この世界では"下地3年塗り10年"なんてよく言われています。私もあと6、7年くらいすれば、ようやく塗師を名乗れるのではないでしょうか」。

一人前になるまでにはそんな長い道のりが待ち受けていることに関しては、「毎日とても充実しています」と、いまの前向きな気持ちから語ってくれました。

「これまでは下地の作業が中心だったので、漆器を作ることの全貌がつかめませんでした。でも、いざ漆を塗ってみると、『あの下地の作業は、こういう理由で必要だったんだ!』とつながる感覚があります。塗る仕事の奥深さを日々感じています」。

「難しいのは、やっぱり感覚的な部分が多いこと。上司が言葉で丁寧に説明してくれるので、こちらも言われた通りやってみるのですが、仕上がりをみると全然違う、ということが多々あります。漆の種類や色によっても塗りの加減が変わってきますし、塗りを覚えたあとも漆の乾かし方など、完成までに覚えることはたくさんあります。それらを感覚的に身につけていかなければならないので、これだけの時間が必要なんだなとあらためて思いますね」。

ものづくりの街・河和田。移住者との交流も


理想の商品を作れる場所で働き、充実した日々を送る嶋田さん。移住生活についても話を聞いてみました。「漆琳堂で働けるならどこでも行く」と考えていた嶋田さんですが、実際に福井県鯖江市の河和田で暮らしてみて、どのように感じているのでしょうか。

「私は東京出身ですが、実家は都心部ではなくて畑があるような場所にあります。そのおかげかこの土地に来てもあまり不便を感じることもなくて。雪がたくさん降るのは大変ですが、それ以外は快適に過ごしています」。

「驚いたのは、ものづくりに携わっている人がとても多いこと。移住をしてから知ったのですが、鯖江には漆器の他に刃物や和紙、眼鏡、繊維など、産業がたくさんあります。20~30代の移住者も多く、業種を問わず交流も盛んなので、同世代の移住者ともよく遊んでいますね」。

働き続けて感じた、職人の技術を継承するということ


最後に、嶋田さんに自分の将来像について聞いてみました。

「一人前になって、漆琳堂のすべての仕事を任せてもらえるようになるのが今の目標です。現在、すでに私の後輩が一人入社していますが、今後数年のうちにさらに増えていくと思います。そうなった時に、見習いの人たちに技術を教えられるようになりたいと思っています」。

しかし、入社当時からそういった思いを抱いていたわけではないとのこと。「やっぱり、難しい職業なので悩みもありましたが、上司や職場の皆さんに日々よく教えていただいて、技術を継承してもらっているので、考えが徐々に変わってきました。そして、ここで得たものを活かすなら、新しく入ってくる人たちにちゃんと伝えていくことが大切だと思うようになりました」。

「あと、漆琳堂には漆器だけではなく、現在のブランドから派生してできたアクセサリーブランドもあります。そこで器とはまた違ったかたちで、漆の魅力を気軽に伝えられるようなものを作っていきたいとも考えています」。

(写真:片岡杏子)



これがダメなら諦めよう――。そんな覚悟でかけた一本の電話から、塗師の世界に飛び込んだ嶋田さん。「本当に勢いだけだったから、迷惑もかけたと思います……」とはにかみます。しかし、今では土地や職場にすっかり馴染み、後輩に技術を伝えたいと思うようにまでなったことを話すその語り口からは、本当に充実した日々を送っていることが感じられました。

漆職人が一人前と呼ばれるようになるには、平均して10年以上の歳月がかかります。それはたしかに長い道のりです。しかしふと考えてみると、他のどの仕事も、いわゆる一人前になるためにはそれなりの時間を要します。それだけの時間をかけて、今の仕事を極めていきたいと思えるかどうか。一度じっくりと考えてみるのもいいかもしれません。

(取材・文:小沼 理/編集:東京通信社)

識者プロフィール

 


嶋田希望(しまだ・のぞみ)
1992年東京都練馬区生まれ。京都伝統工芸大学にて漆芸を学ぶ。卒業後、福井県鯖江市へ移住。創業1793年漆塗りを代々継承してきた「漆琳堂」へ入社、現在3年目。塗師として修業中。
(プロフィール写真:林直美)

※この記事は2018/02/23にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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