湘南からトップ豚を生み出す宮治勇輔「農業を自分で再定義したら、魅力的な仕事になった」

きつい、汚い、かっこ悪いの「3K産業」として、若者から敬遠されてきた農業。高齢者の離農が進み、次世代を担う若者の就農が伸び悩む中で、そんな農業のイメージを変えようと立ち上がった一人の男性がいます。

湘南からトップ豚を生み出す宮治勇輔「農業を自分で再定義したら、魅力的な仕事になった」

きつい、汚い、かっこ悪いの「3K産業」として、若者から敬遠されてきた農業。高齢者の離農が進み、次世代を担う若者の就農が伸び悩む中で、そんな農業のイメージを変えようと立ち上がった一人の男性がいます。

彼の名前は宮治勇輔(みやじ・ゆうすけ)さん。宮治さんは大学を卒業後、都内のベンチャー企業に4年間勤めたあと、農業をかっこよくて、感動があって、稼げる「新3K産業」にするという思いを胸に、湘南にある実家の養豚場を継ぎました。

宮治さんは実家に戻って間もなく家業を法人化し、2006年に株式会社みやじ豚を設立。弟の大輔さんとの二人三脚で、2008年には全国の優れた一握りの農家に送られる農林水産大臣賞を受賞し、みやじ豚をわずか2年で神奈川県のトップ豚ブランドにまで押し上げました。

何が宮治さんを農業に向かわせたのでしょうか? そのきっかけや、「新3K産業」を実現するための取り組みなどについてお話を伺いました。

実家の養豚業を継ごうと思った、二つのきっかけ


中学・高校のころは歴史が大好きで、いつも歴史小説を読んでいたという宮治さん。織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将に憧れ、「男として生まれたからには天下を取りたい」と思うようになったと言います。

「今は平和な時代だから、隣の農家に攻め込んでいくわけにはいかないですよね(笑)。じゃあ現代の一国一城の主ってなんだろう?と考えたときに、思いついたのが社長でした。だけど当時は具体的にやりたいことがあったわけではなく、漠然と起業がしたいという状態だったので、大学卒業後はまずそのころベンチャー企業だったパソナに就職しました。大手企業ではなくベンチャー企業を選んだ理由は、これから会社をつくり上げていく過程にあるので、若くても裁量権が大きく責任ある仕事を任せてもらえると思ったから。早く経験を積んで、それから起業しようと思っていました。

実家の農業を継ぐ気はなかったんです。当時の農業はきつい、汚い、かっこ悪いの3K産業といわれていて、自分の中にもそのイメージがありましたね。正直、誰が農業なんてやるかなんて思っていました」(宮治勇輔さん、以下同じ)

しかし、会社で働く日々の中で、宮治さんは次第に実家の農業に関心を持つようになっていきます。そのきっかけとなったのは、毎朝早起きをして作っていた自己研鑽のための時間でした。

「社会人1年目のころは毎朝4時半から5時、2年目からは5時半に起きて、出社までの時間にいろいろな勉強をしていました。毎日やっていたのは、時間を決めてA4の紙にやりたいことを思いつくまま羅列すること。これを繰り返すことで、やりたいことが明確になってくるんです。それを見て、参考になりそうな本を読んで、またやりたいことを書き出して……の繰り返し。その中で、自分の関心が実家を継ぐことに向かっていることに気がつきました。

当時、田坂広志さんの『仕事の思想』などを読んで、人はなぜ働くのか?ということをずっと考えていたんです。ざっくり計算すると、人生の7分の5の時間を仕事や会社に捧げることになります。そう考えた時、自分にしかできない仕事をしないといけないと思いました。起業もいいけど、実家を継ぐのも自分にしかできない仕事なんじゃないか。そう気づいてからは、農業関連の本を読んで、関心を深めていきました」

宮治さんが農業を継ごうと思ったきっかけにはもう一つ、大学生のころに友人を呼んでバーベキューをしたという原体験があったと言います。父・昌義さんが育てた豚肉を、友人たちは「こんなおいしい豚肉食べたことない」と大絶賛。しかし「また食べたいけどどこで買える?」と問われた時、宮治さんは答えに窮してしまいます。当時の流通事情では、豚は生きたまま出荷され、どの肉も一緒にされた状態で売られるため、誰が育てたのか・どこで売られているのかは分からなかったのです。

この時の友人たちに答えられなかった残念さや仕組みへの疑問が、「新3K産業」のアイデアの種になっていきます。

「従来の生産から出荷までで終わるやり方だと、農業にはやりがいがなく『きつい、汚い、かっこ悪い』ままになってしまう。でも、生産からお客様の口に届くまでをプロデュースできれば、農業の仕事がもっと魅力的になるのではないか。そう考えているうちに、かっこよくて、感動があって、稼げるという新3K産業の理念がひらめきました。親父の跡を継ごうと決心したのはその時です」

自分の仕事は、自分でつくっていく


退職後は少し前に実家に戻っていた弟の大輔さんと協力し、宮治さんはプロデュース、大輔さんは生産を担当。みやじ豚のブランド化を模索する中で、まず宮治さんが行ったのは自分たちでバーベキューを開催することでした。

「大学生のころ、うちの豚肉を食べて喜んでいる友人の姿を見たのが原点でもありますし、うちみたいな小さな農家が稼げるようになるには直販しかない。でも、そのためにはみやじ豚をまず知ってもらえないと意味がないですよね。そのために始めたのがバーベキューでした。

僕は『BBQマーケティング』と呼んでいるのですが、まずは知人や、社会人の時に名刺を交換した人たちにメールを一斉配信し、バーベキュー開催のお知らせをしました。最初に来てくれたのは約30人。それが3カ月後には60人くらいになって、これならやっていけそうだぞ、と確信しましたね」

親の良いところを受け継ぐ血統と独自で開発したエサ、そしてストレスフリーな育て方にこだわったみやじ豚は、やわらかい肉質とクリーミーな脂身を持ち、うまみ成分は通常の豚肉のなんと約2倍。そのおいしさはBBQマーケティングによって多くの人に知られるようになり、毎月の恒例行事となったバーベキューは今ではいつも予約でいっぱい。グルメな人たちに高く評価され、見事ブランド化に成功したみやじ豚ですが、宮治さん自身は始めてみるまで本当にやっていけるかどうか、自問自答の日々だったと言います。

「考えているだけだと、同じことだけしか頭に浮かばないんですよね。だったら、やってみるしかない。『これからは生産からお客様の口に届けるまでが農業なんだ』と、僕は自分の中であらためて農業を再定義しました。

そうすると自然とやる気が出てくるもので、人から決められた仕事だとモチベーションが上がらなくても、自分で定義すると頑張ろうと思えるんです。農業を継ぐにしても、親父の言いなりになっていたらここまで情熱をかけることはできなかったでしょう。自分の仕事を自分でつくっていくことが大事なんです」

みやじ豚だけでなく、農業全体を変えるために


みやじ豚ブランドの成長を「豚だけにトントン拍子でした」と笑いながら語る宮治さん。設立から3年が経った2009年、農家に生まれた若者たちを支援する「NPO法人 農家のこせがれネットワーク」を立ち上げます。

「僕の目標はみやじ豚が成功するだけではなくて、農業をかっこよくて、感動があって、稼げるという新3K産業として浸透させることです。そのために何が必要かを考えた時、農業の仕組みに問題があると思いました。

農業は後継者不足といわれていますが、後継者がいないのではなく、やりたがらないことが問題なんですよね。それはなぜかと言うと、僕らの親世代は『農業には先がないから、東京に出て働いたほうが幸せだ』と考え、そのまま子どもに伝えている人が多い。みんなそれを聞いて育っているので、農業じゃ駄目なんだと思い込んでいるんです。僕自身もそうでしたし。

でも、いざ自分からやってみると、農業は情熱を注ぐに値する素晴らしい仕事だと気づきました。だから東京で働いている農家のこせがれたちに、その魅力と可能性に気づいてもらおうと始めたのが『農家のこせがれネットワーク』です」

現在まで、政府は減少する就農人口に歯止めをかけるため支援を充実させてきましたが、それらは新規就農者、つまり実家が農家ではなく、ゼロから農業を始めようとする人を対象にしたものばかりでした。宮治さんはこの支援の方法についても疑問を呈します。

「新規就農者がゼロから農業を始めるのは本当に大変なこと。まず自分が一生そこで腰を据える地域を探さないといけませんし、下手に閉鎖的な地域を選んでしまうと最後までよそ者扱いをされてしまうことも。それだけでもかなり勇気がいる上、後から参入するのだから良い土地を借りられる可能性も低い。

そして1年目から売り物になる農作物を作れる人はほとんどいないので、初期投資の費用がかかり、かつ1年目は無収入の状態になるんです。いざ良いものが作れたとしても、販路の開拓も一からになる。新規就農者はモチベーションが高い人が多いですけど、現実は厳しいものだったりするんですよね。

一方、農家のこせがれは実家に帰ればすぐに就農できて、家賃も食費もかからないので自分の収入が少なくてもやっていける。しかも技術指導は父親がやってくれて、販路だってある。なので、こせがれがやる方が合理的なんです」

宮治さんをはじめ「新3K産業」を体現している人を呼んだ講演や、当事者同士が相談できるコミュニティづくりを行うことで、農家のこせがれネットワークは大勢のこせがれが抱いていた農業のイメージを変えました。農業が抱える後継者不足という問題を、少しずつ、しかし確実に解決に導いていることでしょう。

やりがいを追求して見えてくる、仕事の選択肢


自分でもみやじ豚をプロデュースしながら、農業自体を変えようと活動する宮治さん。宮治さんの目に、今の農業はどう映っているのでしょうか。

「世間のイメージはかなり変わってきましたね。10年前は農業というと恥ずかしいものだと思われがちで、自分は農家の子どもだと言いにくい風潮がありましたが、今は田舎暮らしに憧れる人も増えており、ネガティブな印象がなくなってきました。私たちの貢献だけではなく、大きな社会の流れがあったのだと思いますが、変えるためにやってきたという自負はあります。

農業に関しては後継者不足をはじめ、良くないニュースばかりが世間で流れていますが、悪い状況では決してないと思います。僕よりも優秀な経営者が全国にいて、高齢の農家がやめるときはその土地を預かって、自分たちで管理しながら売り上げを伸ばしていくという農業生産法人も増えていますしね。みんな苦労はしていますが、全国で優秀な経営者が台頭していますから、新しい流れは確実に起きているのではないでしょうか」

最後に、これから自分自身のキャリアの選択肢を模索したいと考えている20代の読者に向けて、こんなメッセージを送ってくれました。

「21世紀最大の産業は観光だといわれています。地方へ観光に行く時、真っ先に楽しむのは食ですよね。せっかく足を運ぶのだから、その土地で採れたものを食べたい。おみやげで地域の特産品を買って帰る時も食べ物を選ぶ場合は多いでしょう。

それを作っているのは地方の農業者です。日本文化の多様性は僕たちが担っているとも言えるし、仕事のやりがいとは何かを考える時に、そこは大きなモチベーションになるのではないでしょうか。

農家のこせがれの方は、『実家に転職する』というのも一つの選択肢に考えてみてもいいかもしれません。そういう可能性があることを知り、農業の魅力に気づいてくれる人が一人でもいればいいなと思っています」

実家のみやじ豚を成長させ、農業のイメージを変えようと奔走する宮治さん。精力的に上を目指すその姿勢は、宮治さんが学生時代に魅了された戦国武将の姿とも重なります。

宮治さんは農業を学ぶ高校や大学で講演をする際、「農業をやるなら、一度は就職をしてから農家になれ」と話すそう。それは宮治さんがそうだったように、企業で働くことで得られる人脈やスキル、ビジネスマナーが、必ず農業でも役に立つからなのだとか。

これからのキャリアに悩んでいたとしたら、かつて宮治さんが取り組んでいたように、紙にやりたいことを書きだして、今の自分の関心がどこにあるのか向き合ってみるのもいいかもしれません。そうすることで新たに見えた道が今までの仕事とは全く異なっていたとしても、今まで身につけてきたスキルや経験は、この先きっとあなたを手助けしてくれることでしょう。


(取材・文:小沼理)

識者プロフィール


宮治勇輔(みやじ・ゆうすけ)
株式会社みやじ豚 代表取締役社長
特定非営利活動法人農家のこせがれネットワーク 代表理事
1978年神奈川県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。
2006年9月株式会社みやじ豚を設立し代表取締役に就任。生産は弟、自身はプロデュースを担当し、2年で神奈川県のトップブランドに押し上げる。みやじ豚は2008年農林水産大臣賞受賞。 2009年、NPO法人農家のこせがれネットワークを設立。2010年、地域づくり総務大臣表彰個人表彰を受賞。2017年8月、生産者に最も近いBBQを企画運営する株式会社ファーマーズバーベキューを設立。著書に『湘南の風に吹かれて豚を売る』

※この記事は2017/08/29にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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