「おじいちゃんが泣いた」。でも、“適当に悩んで出した結論”じゃないから自信があった。|まちづくり会社ドラマチック・今村ひろゆきさんが教える、悩みで立ち止まらない方法。

―今村さんが現在行っている「街づくり」って、業界で言うと不動産になるんですかね。

「おじいちゃんが泣いた」。でも、“適当に悩んで出した結論”じゃないから自信があった。|まちづくり会社ドラマチック・今村ひろゆきさんが教える、悩みで立ち止まらない方法。

―今村さんが現在行っている「街づくり」って、業界で言うと不動産になるんですかね。

今村:そうですね、色々展開しすぎて何だか分かりにくくなってますが、ざっくり分類すると不動産業界ですね。

―伺ったところによると、新卒では元々ITの大手企業にいらしたんですよね。そこから全く畑違いの不動産業界に飛び込むのって、かなり勇気がいると思うんですが・・・。

今村:それは、かなり悩みました。業界も全然違いますし、せっかく大企業に入れたのに、転職先として考えていた街づくりコンサルティング会社は数十名くらい。家族からも「そんなのありえない」って大反対ですよ。特にうちのおじいちゃんは小さな会社でずっと頑張ってきた人だから、「同じ苦労はさせたくない」って泣いちゃって。家族を説得するだけでも、相当苦労しました(苦笑)。でも、ちゃんといろいろなことを調べる努力をして、とことん悩みまくったから飛び込めたというか。適当に悩んじゃうとね、動けないんですよ。

―「適当に悩むな」って、すごい言葉ですね。

今村:ネット検索で出てくる情報だけを見て、大事なことを判断しようっていうのは無理なんですよね。それだと、誰が言ってるのか分からない評判とかウワサとかに、何となく振り回されちゃうんですよ。だったら、生の声を聴くために色んな人に合ったり、あちこち足を運んでみたり、専門書で情報を調べたり。そうして頭の中の理解度のコップが一杯にあふれるまで悩んで考えたら、どっちに動けばいいかわかるんですよね。

僕の場合は、“街づくりがしたい”がキーだったから、まずは本屋で業界本を買い漁ってみて、自分がやりたいことに近しい会社を何十社も調べて、近しい仕事をしている人が身近にいれば話も聞きにいきました。そうやって集めた情報を何度も精査して、徹底的に悩めば「自分がやりたいことは間違いないんだ、飯を食っていけるはずだ」って、信じられるタイミングってあるんですよね。

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PROFILEまちづくり会社ドラマチック 代表社員 今村ひろゆき
1982年生まれ。千葉県出身。大手IT電機メーカーでソリューション営業、街づくりコンサルティング企業にて商業施設のプロデュースなどを経験した後、2010年に同社を設立。ビル型共同アトリエ「インストールの途中だビル」「reboot」や、現代の公民館「SOOO dramatic!」の企画・運営をはじめ、地域を巻き込んだイベント「中延EXPO」「good day 入谷」「浅草エーラウンド」など、従来の枠に縛られないスタイルで街づくりを続けている。

仕事の舞台は、台東区下谷、浅草や品川区の中延など、ちょっと渋い東京の“右半分”。仕掛けるのは、借り手のついていない空きビルのリノベーション。アートスペースやシェアオフィス、アトリエ、現代版公民館など「面白い人が集まる拠点」をつくり、さらには地域の商店街などと一緒にお祭りやイベントまで企画・運営して、街全体を面白くしてしまう。

そんな独創的過ぎる事業を展開しているのが、まちづくり会社ドラマチック代表の今村ひろゆきさん(34歳)です。「適当に悩んじゃダメ」と話す今村さん、学生時代は海外旅行に夢中で、「街づくりを仕事にするなんて考えもしなかった」んだとか。そんな彼が、いかに今の仕事、今の生き方にたどり着いたのか?その道のりを、ちょっと紐解いてみましょう。

学生時代に考えていたのは、新しい世界をつくること

 

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※今村さんが、現在手掛けている仕事の一部



―学生時代は、街づくりよりもITに興味があったんですか?

今村:新卒の面接とかでは、新しい世界をつくっていきたい、最先端なことがしたいってアピールしていました。“IT”ってその当時、時代のキーワードになっていて。その中でトップを行く企業に入って、新しいモノづくりを企画して自分で形にしたいなと思っていたんです。

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※「徹底的に悩んだのは人生で2回。はじめての転職と独立の時です」と今村さん。



―最先端の舞台で企画がやりたかったんですね。

今村:そう、ただITの世界だと、システムとかPCをつくる前に、「半導体をつくる」っていうのが最先端になるんですよね。それ自体は3~5年先を見据えて動く事業なので、面白いんですよ。全然知らない世界だし。

ただ、その未来を考えて企画するのは、技術屋の人の方が向いていると感じました。私は完全に文系で、技術を知らないから企画も実現もできないわけです。そうなると出来る仕事は、今すでにあるものを、企業に提案して売り込むソリューション営業になっちゃう。そこで、このまま電機業界で、しかも半導体の営業というのは、自分の道とは違うのかな?と悩み始めるんです。

―そこで転職を考えたと。

今村:といっても、いきなり「じゃあ、街づくりだ!」って明確になったわけじゃなくて。何がやりたいのかモヤモヤしていたから、最初は面白かったこととか、楽しかった記憶の棚卸しをしてみたんですね。で、学生時代はとにかく旅するのが楽しかったなと。あれはどこだったかな、チェコとかドイツとかヨーロッパあたりを旅したときだったんですけど。ある街に来たら、大きな噴水があって、その前でストリートミュージシャンが音楽をやっていて、お客さんがわーって盛り上がっていたり。僕がその前を通り過ぎようとしたら、向いのピザ屋さんからシェフが飛び出してきて、何かと思ったら、さらに水鉄砲を持ったシェフがバーって追いかけていって(笑)。

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※ヨーロッパやアジアなど10カ国をめぐり見てきた街の様々な風景や営みが、今村さんに大きな刺激を与えました。



―どこかのテーマパークみたいな展開ですね(笑)。

今村:ホントそうですよね。でも、その雰囲気が本当に楽しそうだな、こういう街っていいよなって思った。その記憶が強烈に残っていたんです。皆が楽しく街を自由に使えて、色んな発表や表現もできて、その上で、飲食店とかも経済的に成立している。そういう街づくりが日本でもできたら、最高だなって考えたんですよね。だから、何かモヤモヤしている人がいたら、記憶の棚卸しをしてみるといいと思います。今まで生きてきた中に、きっと「これがやりたかったんだ」っていうヒントはあると思いますから。

知らない業界でも、1年ぐらい頑張れば色々分かってくるもんです


―そこで、「旅」ではなく「街づくり」が、今村さんのキーワードになったのは?



今村:旅行業は、今でもちょっといいなって思ってます(笑)。棚卸しした時も選択肢として考えました。ただ旅行って、旅しかできないじゃないですか。でも街って全部あるんですよ。街をベースに旅行の企画もできるし、「住宅」もできるし、「働く」も全部ある。街に関われば、全部できるじゃん!って。

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※面白い人が集まれば、その街は面白くなる。その考えが、今村さんの企画の原点にあるんだとか。写真は、浅草の履物問屋街にある築54 年の元サンダル屋の店舗をセルフリノベーションし、イベントスペースにしたLwp asakusa(ループ・アサクサ)の様子。現在は、台東区下谷に誕生したrebootに機能を移管。



―でも、知識も経験も全くない世界に踏み出すのは、かなり大変だったのでは?

今村:結構大変でした。転職先は「街づくりコンサルティング会社」で、例えば商業施設でも超高層ビルではなく、施設の中に大きな広場をつくりましょう、その周りをお店が囲むような構造にしましょうっていう提案をしている会社で。その考えに惹かれて入社したものの、僕自身、転職して初めて建築図面を見る感じで。

―じゃあ、図面の読み方から覚えたんですか!

今村:しかも図面って、かなり縮尺されているんですよね。1万平米とか、それの1/100とか言われても、身体感覚がないから初めはイメージもできない。それに資料作りもオフィスソフトから、Illustratorとかデザイン系のソフトに変わって。あらゆることを全部ガラッと変えないといけなかったですね。

―よくその大きな壁を乗り越えられましたね。

今村:でも、1年くらい頑張っているとざっくり分かるようになるんですよ。はじめは建築家の名前もほとんど知らず、「現代の名建築家100人」みたいなムック本を隅から隅まで読み込んで。時間を見つけては、気になる建築物を巡りまくることから始めたんですけどね。大変だったけど、「街づくりがしたい」っていう目標があったし、その会社に街づくりのノウハウが貯まっているのは分かってましたからね。しんどくても、ここで働いて学べていることはすごく刺激的だなって思ってました。

一歩ずつ進んで、悩んで、ようやくやりたいことが明確になった


―その日々の中で、自分のやりたい「街づくり」は明確になってきたんですか?

今村:そう、見えてくるんですよね。知識が増えた一方で、色んなギャップも見つかったんです。新しい商業施設を開発するには、当然予算も莫大にかかります。そうするとテナント賃料も高くなって、入居できるのはどうしても大手チェーン中心で、良い街だけど、どうしても画一的になってしまうんですね。

―今村さんが行っている街づくりとは、180度イメージが違いますね。

今村:例えば、私が普段から行くような、古民家を改装したお店とか、小さいけど接客は抜群!というお店とか。そういう、ちょっと荒さがあっても、新しいアイデアを持っている面白い人たちと、いっしょに仕事がしたいなって思ったんですよね。

ただ、当時はまだそうした取り組みがほとんど行われていなかったんですね。それに私がやりたい街づくりって、大きなお金が回らないビジネスで、正直大きく儲けるのは難しい(苦笑)。会社の人員も限られていますし、そんなチャレンジは難しい。だから会社のことは大好きだったんですが、考えれば考えるほど今の環境では自分のやりたいことは実現できないぞと。だったらもう、自分でリスクをとってやっていこうと。この時も「本当にその選択でいいのか?」って、とことん悩んでその上で独立を決めたんです。

当時は結婚したばかりで、奥さんにも随分心配をかけましたね。でも、いろいろな人に会いに行って、本を読むことで、自分の選択に確証を持てたから、独立に向けた行動を取れたんですよね。

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※「悩める時代になったことは、ある意味チャンスだと思いますよ」と今村さん。



―では、独立するときにようやく自分のやりたいビジョンが見えたんですね。

今村:そうですね、本当に一歩ずつ進むごとに「自分はこれがやりたかったんだ」って見つけていった感じです。「面白い街をつくる」っていう、今の僕らのミッションも、きっと昔から自分の中にあったんですよね。ただ、転職しようとモヤモヤ考えなければ、記憶を遡って種を見つけることもなかったと思います。だから、何か悩んでいることがあったら、すごくチャンスなんですよ!

―悩んだときがチャンスですか!

今村:今って、前途が不安な時代じゃないですか。ツラくて大変なことも多いけど、ちゃんと悩める時代になったなと思うんですよね。みんな自分がやりたいこと、問題に感じていることを見つめて、形にしていく。それでちゃんと食っていくということを考えやすくなったから。

もちろん、悩んで立ち止まってちゃダメですよ。気になることがあれば、その情報がありそうなところに足を運んでみたり、色々な人に会っていくのが大事だと思います。そういう出会いが、考えを膨らませてくれて、自分を前進させてくれるきっかけになりますからね。

(取材・構成 太田 将吾)

※この記事は2016/11/04にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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