【為末大の未来の授業Vol.2】職業選択学 ―選択、それすなわち他を選ばないことなり- 

為末大/元プロ陸上選手。

【為末大の未来の授業Vol.2】職業選択学 ―選択、それすなわち他を選ばないことなり- 

為末大/元プロ陸上選手。

1978年広島生まれ。2001年のエドモントン世界選手権において、男子400mハードルで日本人初の銅メダルを獲得。05年ヘルシンキ世界選手権にて、再び銅メダルを獲得。トラック種目で2つのメダル獲得は日本人初。12年に現役引退を表明し、現在は株式会社R.project取締役としても活躍。著書に『走る哲学』(扶桑社新書)、『走りながら考える』(ダイヤモンド社)、『諦める力』(プレジデント社)など。

為末大の未来の授業<時間割>


1) 現代キャリア学 ―理想に近づくには遠回りも必要?-
2) 職業選択学 ―選択、それすなわち他を選ばないことなり-
3) 日本人論 ―日本人の世界観は孤立している?-
4) 為末流人生哲学 ―成功体験で得た自信の脆さ-

選択することは他の選択肢を捨てること

 

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例えば、40歳まで仕事一筋で生きて、都内の一等地に家を構えた人は、郊外で子供2人を育てて、広い家を構えた人の人生は手に入らない。どっちにしろ、隣の芝生は青く見えるものなんですよ。でも片方しか選べない。だからこそ、自分が必要と考える幸せを選んだら、違う選択肢は消えるということをよく理解しておく必要がありますね。

日本の場合、どこの大学に行ってもそこまで他の人と人生は変わらないでしょう。でも、どこの会社を選択するかで、それからの人生は、がらっと変わってしまうんです。しかもその事実に入社してから気づかされる。本当はもう少し早く分かったらいいのでしょうけど、システムは変わらない。だからより自覚的に、自分が目指すべきものを理解して、必要のないものを切り捨てる勇気が必要だと思いますね。

「天職」は存在しない


幸いなことに、僕は世界陸上の400mハードルで2つの銅メダルを獲得することができました。ただ、今でも「陸上が天職だったか?」と問われて、素直に「そう思う」って言えないんですよ。もしあのときメダルを取れていなかったら、サッカー選手が天職だったのかもって思うかもしれないし(笑)。それは風向きひとつで変わるものだと思うんです。問題は、「天職に就けたら頑張れる」というムードが一般に広まっていることだと思うんですよね。

じゃあ逆に、「天職に就けなかったから頑張らなくていいのか」というと、決してそんなことはない。「天職」という言葉があるばかりに、仕事選びはスタート地点に過ぎないにも関わらず、それがゴールだと思ってしまっている人がとても多い。それは「自分探し症候群」みたいなものだと思うんですよね。
でも、やりたいことを仕事にしている人(つまり、天職を見つけられた人)は全体の5%もいないんじゃないかな。ほとんどの場合、自分が何をやりたいのかを掴みきれずに人生が終わる。だったら、「天職はない」という前提からスタートして、ぼんやりとした目標をとりあえず設定して、そこに向かって進んでいくという気持ちを持つことが大事だと思うんですよね。

職業はあくまで手段でしかない

 

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職業選択というものは、自分のやりたいことを実現するための手段でしかないと思うんです。でも大概の若い人はそれに固執してしまうんですよね。ポイントは山を登ることにあるのに、登山道具やルートに悩みすぎていると言えばいいでしょうか。「仕事をいざ始めてみると、イメージしていたものと違った」というのはよくあることですが、あまりに手段に固執してしまうと、自分の描いていたものと現実とのギャップに苦しんでしまいます。
でも「職業」を目的にしないで、そのツールを使ってどんなことをしたいか、山のどこまで登りたいかとその先に目標を設定することで、多少のコース変更や道に凸凹があったとしてもそこまで動じないんじゃないかと思うんですよね。

例えば、「ケーキ屋さんになりたい」と将来を描いていたとしても、気持ちの根源を考えてみると、「人の喜ぶ顔が見たい」だけなのかもしれない。そうであるなら、ケーキ屋さんになれなくても、それに合致する仕事はたくさんありますよね。
僕は昔から「世の中の人を驚かせたい・社会にインパクトを与えたい」という気持ちが核にある。陸上競技に従事したのも、「日本人が世界一になるなんて」という驚きを与えたかったからというのもひとつの理由なんです。それができなかったので、今は違う分野でどう社会にインパクトを与えるかを考えて行動しているんです。

自分の中で納得がいくところまで頑張ってみる


昨年現役生活を退いたのですが、自分の中で早すぎも、遅すぎもしない、ちょうどいいタイミングで辞めることができたなと感じています。引退は株の世界で言う「損切り*」なんですよ。
つまり、体力の衰えを感じたら、選手としての競技力やパフォーマンスが高い段階で早々に引退して、その価値を確定させてしまう美学もある。もう一方で、過酷なトレーニングに見合った成果はあがらず、選手としての世間からの価値が下がるリスクがあっても、「もしかしたら」に賭けて、限界まで勝負の世界に身を賭すという美学もあるということなんですね。
僕が一番悩んだタイミングは30歳で北京オリンピック予選に挑み、一次予選を敗退したとき。「この先僕が勝てる可能性は極めて低いだろう、もうバブルは来ないだろう」と悟ったんです。でも、そのとき辞めなかったのは、当時、あまりに陸上競技というものが、自分の人生にとって比重が大きなものになっていたから。

競技への想いや未練が強いタイミングで辞めるというのは、その後の人生においても精神衛生上よくないなと感じたんです。だったら、自分が「やりきった」という満足感を得るまでやってやろうと決意しました。そういう覚悟を持って挑むというのは、たとえ結果に結びつかなくてもその後の人生の凄みや自信につながるんじゃないかなと思ったんです。

とは言っても、競技人生を選択して、引退時期を先延ばすというのは、次の選択肢や可能性を減らし続けることにもなる。だからまったく新しい方向性に進んでも、比較的学ぶ時間の猶予がある34歳というタイミングで、競技人生に区切りを付けられたのはよかったなと実感しているんです。
自分が置かれた場所で、納得がいくまでとことん頑張るというのは、その後の人生の方向性がどこに向かうにせよ、絶対に生きると思うんです。それは職業選択で悩むよりも、大切なことなのではないでしょうか。

*損切り …損が出ることを承知で株を売り、損失を確定すること。

本日の授業のおさらい


1.必要のない選択肢を切り捨ててみよう
2.職業は「やりたいこと」を実現させる「ツール」でしかない
3.職業選択に固執しすぎず、目標を仮設定しよう
4.今続けていることの成果が出なくても、納得いくまでやることで凄みがでる

※この記事は2013/07/03にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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