承認欲求の塊のような自分を救った、嫌いな知人からの一言「違う自分を作りなさい」

うれしかったり楽しかったり、あるいは哀しかったり苦しかったり。「はたらく」とはそんな瞬間の積み重ねです。そして、その一瞬一瞬の連なりが、人生を彩っていきます。この連載では、各分野で活躍している人に「はたらくこと」についてのエッセイを寄稿してもらいます。第2回の寄稿者は、人気ツイッタラーでありながらコンテンツプロダクション・ヒャクマンボルトも経営するサカイエヒタさんです。

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「自分の名前をネットで検索するなんて、君は何を期待してんだ。相変わらず気持ち悪いね」

パンケーキの表面にしつこくバターを滑らせながら、薄ら笑いのH氏は僕に言った。その食べ方は相変わらず汚くて、僕は彼の言葉をわかりやすく無視した。

その頃の僕といえば、安定した職に就かず、Twitterのフォロワーを増やすために日々試行錯誤していた。子どもの頃から目立ちたがり屋で人から褒められることが大好きだった。でもスポーツはできないし勉強もできない。大きな賞を取ったり偉い人に認められたりすることもない。そんな僕が2010年にTwitterを初めて触ったとき、これは最短ルートで「何者か」になれるツールだとすぐに悟り、マイミクたちのページに夜な夜な足あとをつける悪趣味を卒業した。

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その後は、Twitterで自分の時間を1,200円で切り売りしたり、インド人が描いた似顔絵をECサイトで売ったり、自分の誕生日にプレゼントをばら撒いたり。風変わりな生き方と商売を実行しそれを晒せば晒すほど、Twitterのフォロワーは増えていった。

今ほどマネタイズできるツールやサービスがなかった2011年当時のSNSで、アフィリエイト以外で現金収入をどう増やしていくか模索した。どうしたらもっと稼げるのか。どうしたらもっと注目してもらえるのか。そしてなによりも、死ぬほどモテたい。

そんな僕をいろんな人が面白がって声をかけてくれた。こちらから声をかければ喜んで会ってくれる人もたくさんいる。イベントやラジオ番組にゲストとして呼ばれたり、いろんな媒体で署名記事を書かせてもらったり。Twitterでエゴサーチをすれば、「天才かよ」「面白い!」「会ってみたい!」なんてつぶやきが並び、そしてそんなつぶやきにひとつずつ華麗に星をつければ「ふぁぼられた!」と喜ばれた。(当時はハートではなく星だった)

ネットだけでなく、電車の中や街で声をかけられることも増えていく。承認欲求はひたひたに満たされ、僕はどんどん気が大きくなる。僕を知らない人に会えばイラっとしたし、多少の賛辞くらいでは脳内麻薬も出にくくなっていた。

しかし好意的なフォロワーが増える一方で、やはり僕を好かないアンチも当然増える。エゴサーチをすればネガティブな意見が目につくようになり、容姿や生い立ちのことまで悪く書かれるようになった。それだけでも心臓がキュッとするのに、いちばんキツかったのは友人や家族のことを悪く書かれることだった。そしてそれを書いていたのは、身近な知人であった。

知人が何故そんなことをネットに書いたのかはわからないが、とにかく僕のことが気に入らなかったんだろう。その言葉はいまだに一言一句復唱できてしまう。思い出すたびに腹の奥がズンと重くなり、鼓動が速くなる。哀しいとか腹が立つとか傷付くとか、それらとはまたちがう「信頼していたやつにネットで悪口を書かれた」ときのみ溢れる感情。なるべくなら知りたくなかった感情である。

名前が売れれば売れるほど、苦しくなった日々

そんなことも重なり、僕はいつしかエゴサーチすることが恐怖となり、友人たちに会うことも、Twitterでつぶやくことも、メディアに露出することもつらくなっていった。割に合わないのだ。自分をコリコリと削り燃料にしたところで、月にせいぜい30万円ほどしか収入がない。福利厚生もボーナスもない。そして将来もない。必死になれば「必死すぎて引くわ」と知らない誰かに言われ、大人しくすれば「あいつはもうオワコンだ」と知らない誰かに言われる。知り合いのインフルエンサーには「もっと強くなれ」とか「気にしなければいい」と助言されたが、僕はちゃんと弱いしちゃんと気にする人間だ。もういっそアカウントを消してしまおうと決めた。

そんなとき、パンケーキ好きの知人H氏が「別にアカウントを消すんじゃなく、サカイエヒタじゃない自分をもうひとつ作りなさいよ」と提案してきた。

「今の自分も生かしつつ、もうひとつ地に足つけた自分も用意しなさい。営業を学びたいなら明日から俺の営業アシスタントとして働きなさい。どうせ暇でしょう」

僕は正直H氏のことがあまり好きではなかった。確かに彼には営業力はあるものの、非常に口が悪く、食べ方が汚く、性格もひねくれていて、よく「君はくだらない人間だ」と面と向かって言ってきた(ネットに書き込む人間よりはマシだが)。そもそもネットの文脈も知らぬガラケーすら扱い慣れていないアナログ人間。そのくせやたらと高圧的で自信家だ。あといつも眼鏡のレンズが指紋でベタベタなのも嫌だった。

しかし軽く聞き流していた彼の忠告はその後も長い間熱を帯びて僕の中に残っていて、だんだんとそれは無視できない大きな塊になっていった。悔しいけれどその提案はそのときの自分にとって唯一の救いだったのかもしれない。もてはやしてくれる人々に囲まれていたら、きっと自分はいつか飽きられ消えていく。「サカイ以外の自分もつくる」。僕はサカイエヒタという表に出る仕事を続けつつ、一方でフロントには出ない、もうひとつの自分を育てることにした。

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最初はH氏の管理のもと、さまざまな会社へ営業した。恵比寿の商業ビルの前に着くと、H氏は「全部の階の会社に資料を渡して来なさい。君らネットの人間はこういった行為を笑うけど、やってみてから笑いなさい。笑えないから」。そういってドトールに消えていった。それは確かに笑えなかった。フォロワー数やネットでの評判なんて関係ないから、自分の価値がいったんリセットされてしまったようだ。大手飲料メーカーや不動産会社、歯科医院。こんな泥臭い飛び込み営業をまさか30歳になってやる羽目になるなんて。でも代案が思いつかない。このふざけた営業を回避するために、どうしたら営業や集客がスマートに行えるのか必死で考えた。

しかしその日々が結果的に、現在の僕の会社「ヒャクマンボルト」の礎となる仕事となっていったのも確かだった。

個人と会社代表、ふたつの顔を使い分けてはたらく意味

フロントとバックの人格を作ってからというもの、Twitterでは僕への関心がみるみるうちに消えていくのを感じた。というより、僕自身がSNSや他者の評価に執着しなくなったのだと思う。仕事は順調に増え続け、幾人かのスタッフを雇う余裕も出てきた。パンケーキのH氏には過激な捨て台詞を吐いて汚く別れ(僕は最後まで彼を好きにはなれなかった)、だれの資本も入っていない100%ピュアな会社、株式会社ヒャクマンボルトをつくった。エッセイやイベント登壇の依頼はサカイ個人が受け、記事編集や広告制作はヒャクマンボルトの酒井が受ける。

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僕の中にいくつかの担当者が分業して存在しているような感覚。まるでRPGのパーティのように、誰か一人が倒れたとしても別の自分がそこを補い戦闘する。会社代表の酒井がもらう案件は属人的な仕事ではないため、そのままヒャクマンボルトのスタッフへ委託することができた。なるべく再現性のある提案や仕事を心がけることで、僕の手から離れやすくパラレルに仕事を拡げられる。そういった場では、承認欲求の高いサカイはちゃんと黙らせておく。仕事への意欲も向上し、そして収入も安定して増えていった。大きなプロジェクトの話も来るし、非常に個人的な相談も来る。そのどちらも楽しくて仕方がない。こうしたやり方で、気付けばヒャクマンボルトは4年目を迎えた。

自分の中にいろんな自分を持つということ。最近よく耳にする「多様化」というものは、なにも社会にだけ通用するものではなく、個の中にこそ持つべき時代なのかもしれない。仕事だけでなく環境や対人ごと、SNSごとにキャラクターを変えていい時代。むしろ個の中にどれだけ多様化させた自分を持つかが、生きていく上で役立つスキルなのだと思う。「嫌なら逃げてもいい」ではちょっと自分に優しすぎるから、せめて「嫌なら他の自分にまかせる」。心強いさまざまなジャンルの自分をこれからもこのパーティに加入させていきたい。

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「はたらく、について書いてほしい」とこのエッセイの話をもらった翌日、奇しくもパンケーキのH氏が昨年末に急逝したと知人から連絡をもらった。すっかり彼を忘れて生活していたから、僕の人生への思わぬ再登場に驚き、そしてちゃんと悲しくなった。性格の悪い彼のことを思い出しながら、このエッセイを書き上げた。(ちっともエモくはならなかったが)

僕の多様化のきっかけとなった彼にはちゃんと感謝している。H氏、良き助言をありがとうございました。そちらでパンケーキゆっくり食べてください。

文=サカイエヒタ
株式会社ヒャクマンボルト代表取締役。失恋した人のカット代が無料になるサービス「失恋美容室」や、終わった恋を忘れるためのコーヒー豆「失恋珈琲」など、ユニークなコンテンツを次々に仕掛けて話題を集める。@_ehita_

編集=五十嵐大+TAPE

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