自分を「役立たず」と思っていた私がもらった、意外な言葉とバターロール

うれしかったり楽しかったり、あるいは悲しかったり苦しかったり。「はたらく」とはそんな瞬間の積み重ねです。そして、その一瞬一瞬の連なりが、人生を彩っていきます。この連載では、各分野で活躍している人に「はたらくこと」についてのエッセイを寄稿してもらいます。第3回の寄稿者は、山小屋で10年働いた稀有な経験を持ち、昨年『山小屋ガールの癒されない日々』という著書を出したエッセイスト・吉玉サキさんです。

「役に立てなくてすみません」

2年前まで働いていた山小屋で、そう謝る新人スタッフが毎年一人か二人はいた。なぜか女性に多い。彼女たちは自己評価が低く、与えられた業務をきちんとこなしているにもかかわらず、自分のことを役立たずと思い込んでいる。

そういう人に出会うたび、わかるなぁと思う。私も「役に立てなくてすみません」と謝ったことがあるから。

山小屋で働く前、パン工場で夜勤のバイトをしていたときのことだ。

自分を変える第一歩として、パン工場のバイトを始めた

23歳のとき、パン工場で短期バイトをすることになった。2カ月間限定の、夜勤のバイトだ。夜10時から朝7時までの勤務で、途中1時間の休憩がある。

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写真はイメージです

私は生地を成形する部署に配属された。そこでは15人ほどの人が働いているが、全員が真っ白な作業着と帽子、マスク姿で、見えているのは目の部分だけ。個人の見分けがつきにくく、表情もわからない。どの人もまったく私語をすることなく、無言で作業している。その様子は人間らしさが感じられず、どこか不気味だった。その日に入ったバイトは私を入れて3人いたけれど、挨拶以外の会話をする機会もないまま、離れた場所に配置された。

部署にはバターロールラインと菓子パンラインがあり、最初のうちはバターロールラインで「鉄板取り」をした。ベルトコンベアで流れてくる生地を16個ずつ鉄板に乗せ、鉄板はラックに重ねていく。ラックがいっぱいになったら生地を寝かせる暑い部屋に持っていき、次のラックを用意する。

少しでもモタモタすると、生地はコンベアから落ちてしまう。生地を落とすと、ベテランらしいおばさんに怒鳴られた。

「ったく、何やってんのよ!」

シュンとする。そのあとの作業中ずっと、おばさんの怒鳴り声が脳内でリフレインしていた。気持ちの切り替えが下手くそで、怒られるといつまでも気に病んでしまう。

でも、どんなに嫌なことがあっても、このバイトは最後までやり遂げたかった。

それには理由がある。私はメンタルが弱く、新卒で入った広告代理店を数カ月で辞めてしまい、その後始めたバイトも続けられなかった。働くのが怖くなって半年ほど引きこもり、自分を変える第一歩として、この短期バイトを始めたのだ。途中で辞めたら、ますます自分を嫌いになってしまう。

怒られてもへこたれないぞ、と自分に言い聞かせた。

意外とつらい単調作業

業務そのものにはすぐに慣れたが、バイトに行くのは憂鬱だった。

一晩中同じ作業をするため、とにかく時間が経つのが遅いのだ。「そろそろ1時間経ったかな」と時計を見ると、まだ15分くらいしか経過してない。早く終わらないか、そればかり考えてしまう。そんなときは決まって、アンパンマンマーチが頭の中をぐるぐる流れた。無言で行う単調作業は、体こそ忙しいものの頭は退屈で、それが地味につらい。私と同じ日に入ったバイトは二人とも、いつの間にか来なくなっていた。

慣れてくると、メロンパンやクリームパン、ハムロールなどを作る「菓子パンライン」に配置されることもあった。

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写真はイメージです

菓子パンラインには、私と同世代の女性社員がいた。江藤さんと川嶋さん(二人とも仮名)だ。20代の女性は私と彼女たちだけで、私はひそかに親近感を抱いていた。

短期バイトの私と違い、彼女たちは正社員としてこの仕事を続けている。本当にすごい。彼女たちがどんな性格で何をモチベーションに働いているのか、知りたいと思った。しかし、私が挨拶すれば目礼を返してくれるものの、相変わらず会話をすることはなかった。

ある日の朝、仕事を終えて更衣室で着替えていたときのことだ。腰に痛み止めを塗っているのを、例の怖いおばさんに見られた。

「あんた、若いのに腰痛いのかい」

このときにはもう怒られることもなくなっていて、おばさんへの苦手意識もほとんど消えていたので、えへへと笑いながら「鉄板取りしてると痛くなっちゃって」と答えた。
すると、おばさんは「気をつけなよ」と言ってくれた。

口調がキツいだけで悪い人じゃないんだよなぁ、と思う。

怒られたときはへこたれそうになったけれど、そんなことでバイトを辞めなくてよかった。

最後の日、バターロールとともに社員さんから貰った言葉

待ちに待った最後の出勤日、いつものようにバターロールラインに入った。

朝になって退勤し、更衣室で着替えていたら、江藤さんと川嶋さんがやってきた。挨拶すると、ふたりはビニール袋を差し出した。中にはバターロールが2袋入っている。この工場の定番商品、スーパーでよく見る6個入りのバターロール。

「2カ月間お疲れさま。これ、お土産」

「今夜焼いたバターロールだから吉玉さんが作ったやつだよ~」

思いがけずフレンドリーに話しかけられて驚く。お礼を言って、袋を受け取った。

初めて見る私服の二人は、働いているときよりも若々しく見えた。こんな顔で、こんな話し方だったのか。2カ月同じ職場にいたのに、私は二人の目しか見たことがなく、声もほとんど聞いたことがなかった。

「短い間でしたが、お世話になりました。あまり役に立てずすみません」

卑屈なことを言うつもりはなかったのに、つい謝ってしまった。すると、江藤さんと川嶋さんはキョトンとした顔で言う。

「そんなことないよ。他を見てみなよ。吉玉さんと一緒に入った人、みんなすぐ辞めちゃったじゃん。人手ほしいときに最後まで働いてもらって、すっごい助かったよ」

「そうだよ。このまま続けてほしいくらい」

言葉が出なかった。江藤さんと川嶋さんがそんなふうに思っていたなんて、考えもしなかった。

私は役立たずだ。

そう、はっきり言語化して思っていたわけではない。でもいつの間にか、言葉にするまでもない当然のことのように、自分を役立たずだと思い込んでいた。「前の仕事をすぐ辞めてしまった」という挫折体験が、自己評価を限りなく下げていたのだろう。

けれど、私は私が思うほど、役立たずじゃないのかもしれない。

少なくとも、江藤さんと川嶋さんは私の働きぶりを認めてくれた。彼女たちが短期バイトに期待する働きを、私はちゃんとできていたのだ。

0点だと思い込んでいた自分に、他人がいきなり花丸をくれた。それはなんだか新鮮で、嬉しさと照れくささ以上に「え、そうなんだ!」と思った。

家に帰るとさっそくコーヒーを淹れて、バターロールを食べた。私が作ったバターロールは、ちゃんと美味しかった。

自分を役立たずと思っている人へ

その後、私は山小屋で10年働いた。

山小屋でも、最初は自分を役立たずだと感じていたが、いつの間にかあまり気にならなくなっていた。自分の働きぶりを認めたり、人から認められる経験を積み重ねたりしているうちに少しずつ、変わっていったと思う。

後輩を指導する立場になって、かつての自分のように「役に立てなくてすみません」と謝る人が一定数いることに気づいた。

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写真はイメージです

彼女たちは、今までの人生のどこかで「自分は役立たずだ」と思い込んでしまったのだろう。だけど、そんなことはないのだ。自分を不当に過小評価しているだけ。

そういう人に出会ったとき、私はしつこいくらいに「そんなことない。ちゃんとできてるよ。ありがとう!」と伝える。どうか、私の言葉を信じてほしいと思いながら。

これを読んでいる人の中にも、自分を役立たずだと思っている人がいるかもしれない。
あなたがあなたに0点をつけても、私はあなたに花丸をあげたい。

文=吉玉サキ
ライター、エッセイスト。山小屋で10年勤務した経験を持ち、昨年、初の著書である『山小屋ガールの癒されない日々』を上梓。現在は人間関係やメンタルをテーマにしたエッセイを中心に執筆中。@saki_yoshidama

編集=五十嵐大+TAPE

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