意外とハードルが低い? 近代文学の金字塔『吾輩は猫である』のおもしろさ【三分で読める名作劇場 #3】

偉大なる文豪たちが遺した、名作文学の数々。社会人ともなれば、教養としてある程度は読んでおきたいもの。けれど、忙しさやハードルの高さを言い訳にして、なかなか手がつけられていない人もいることでしょう。そんな人たちに向けて、文豪の作品に詳しい文筆家の菊池良さんが、押さえておくべき名作を一冊ずつ解説します。第3回で取り上げるのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』です。

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夏目漱石は近代文学の入り口であり、金字塔

「近代文学」と聞くと、難解で手に取りにくいイメージがあるかもしれませんが、夏目漱石はそのイメージを裏切ってくれるでしょう。特に漱石のデビュー作である『吾輩は猫である』は、しゃべり言葉を取り入れた文体で書かれており、なおかつおかしみのある内容で、読みやすくて楽しい小説になっています。

中学の英語教師である苦沙弥(くしゃみ)先生の屋敷に住み着いた猫が、主人とその家族たちを観察しながら、それを小説にしているというのが『吾輩は猫である』の筋書きです。

猫はあるときは人間がタバコを吸うのを不思議そうに眺め、あるときは主人の日記を盗み読みし、あるときは近所にある家に侵入していきます。苦沙弥先生は社交性がなく、学校から帰ってくると書斎にこもっているような人間なのですが、たまの来客で美学者や理学者といった知識人がやってきます。彼らは昨今の恋愛観を語るときもあれば、知識人の鼻について延々と議論するときもあります。猫は彼らのことも観察し、半ば呆れながら文章にしていきます。

この猫は自分のことを「20世紀の猫」と自負していて、なぜか文化芸術のことに詳しく、朗々と講釈をしだすこともあります。『吾輩は猫である』は、ストーリーはあってないようなもので、話は途中で脱線に次ぐ脱線をし、むしろその脱線を楽しむ小説になっています。

登場人物は西洋の哲学者や文学者の名前を出して会話しますが、その内容はくだらなく、ともすればどうでもいいものです。読者は延々とつづく教養ありげなくだらないやりとりに、思わず笑ってしまうというわけです。このおかしみは現代でいえば、ウディ・アレンの映画に似ているなと、筆者は思います。

いわゆる文豪と言われている人の作品を読みたいけれど、何を最初に読んだらいいかわからないという人には、漱石の作品をおすすめします。

「グローバル化」が夏目漱石の文学を生み出した

漱石は1867年(慶応3年)に生まれました。これはとても象徴的な年です。なぜなら、その年に江戸幕府が消滅し、江戸時代が終わったからです。漱石が生まれた次の年に明治政府が誕生し、日本は西洋諸国と肩を並べるために文明開化の道を歩み始めました。漱石はそんな日本の大きな変革を目の当たりにしながら育っていったのです。

学業が優秀だった漱石は、東京大学を卒業して中学の英語教師となりました。そして、33歳のときにイギリスへ2年間留学し、文学の研究に打ち込みました。しかし、このとき、漱石は当時の日本とイギリスの文化的な成熟度や経済発展の差に驚き、打ちのめされたと言われています。そして、神経衰弱を悪化させていきました。のちに漱石自身が「尤(もっと)も不愉快の二年」と振り返っています。

留学を終えて帰国してもなお神経衰弱に苦しむ漱石に、俳人の高浜虚子が小説執筆をすすめました。そうして書かれたのが『吾輩は猫である』でした。雑誌に掲載されるとたちまち人気となり、漱石は小説家として生きていくことになります。

そして、先述したとおり、『吾輩は猫である』は人間という存在を客観的に観察し、文明批評もまじえながら文章をつづっています。その後に書かれる漱石の小説も同様です。江戸時代が終わり、開国による西洋との出会いによって揺れ動く日本人の姿を、自身も悩みながら小説にしたのでした。

西洋文明と日本社会の衝突。今でいえば「グローバル化」です。日本の近代文学はこうやって日の出をむかえたのでした。

「猫」の視点から社会を見つめる『吾輩は猫である』

さて、漱石が生きた時代から100年以上の時間がたちました。私たちの生きる今の時代は、海外に行くことが珍しくなくなり、世界中にはりめぐらされた電子のネットワークによって、人々の距離はより近くなっています。先ほど「グローバル化」という言葉を使いましたが、漱石が直面した問題意識は、かつてより身近になったと言っていいでしょう。

グローバル化によってさまざまな問題に直面している私たち。そのはるかなるアーリーアダプター(先行者)として、漱石の文学は読むことができます。

『吾輩は猫である』を読みながら、「この猫が現代社会を見たらどう思うだろうか?」と考えることも楽しいでしょう。あるいは、私たちが猫になったつもりで現代の世の中を見つめるのもいいでしょう。私たちが猫を見つめるとき、猫もまた私たちを見つめているのです。

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『吾輩は猫である』
著者:夏目漱石
ポプラ社

文=菊池良
文筆家。文豪たちの作品を愛し、それにまつわる書籍を執筆。主な著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX』『芥川賞ぜんぶ読む』など。@kossetsu

編集=五十嵐 大+TAPE

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