不安も伴う二拠点生活を成功に導くために必要なこととは?【二拠点生活のリアル #5】

北海道と東京、遠く離れた二拠点を行き来する生活を描く連載シリーズ。前回の記事までは二拠点生活のメリットとデメリットについて振り返りました。今回は、二年間に渡り二拠点生活を続けて、その継続に必要不可欠だと感じたことをまとめます。また、コロナ禍で二拠点生活がどのように変わったのかも綴りました。これから二拠点生活を検討している方に、リアルを届けます。

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二拠点生活を支える家族やパートナーと連携する

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二拠点生活を成立させるのに、一番必要だと感じたのは家族やパートナーの協力でした。メインとなる北海道の拠点を長期間空けることは、同居するパートナーの理解がなければ決断できなかったでしょう。そして、もし一人暮らしだったら、リソース不足で継続は難しかったと思います。というのも、長期不在の前後には多くのタスクが存在するからです。

例えば年に一度長期の旅行に行ったとします。不在にする前には食器をすべて洗ったり冷蔵庫を空にしたり、セキュリティに問題がないかチェックしたり、色々な準備をします。また、帰ってきたら換気をしたり掃除をしたりと、無人だった家を再び暮らす場所として巻き戻すためのケアが必要です。こうしたタスクを一人で毎月やっていたら、きっとすぐに面倒になっていたと思います。

私の場合は、二拠点生活を快く受け入れてくれるパートナーが、留守中の家を管理してくれました。このパートナーに関しては、結婚相手や家族に限った話ではありません。同じ場所に住み、互いの生き方を尊重できる相手であれば、二拠点生活について相談して役割分担ができるはずです。

周囲への感謝の気持ちを忘れず謙虚に生きる

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正直に言えば、二拠点生活は一つの拠点にとどまるより、不安になることが多いです。不在時にそれぞれの拠点で迷惑をかけていないだろうか、あるいは自分の存在価値がなくなっていないだろうか、とよく考えます。

コロナ禍でフルリモートになった会社がうまくいかないのは、もともとうまくいっていなかった人間関係やコミュニケーション不足が可視化されるからだと、とあるウェビナーで聞きました。それと同じように、日々の中で無意識におろそかにしていることを、二拠点生活ではまざまざと感じます。

同じ場所にいなくても信頼関係を継続するためには、より多くのコミュニケーションと、互いへの信頼が必要です。その状態になることを自分で選んだのなら、なおさら率先して信頼関係を築こうと努めなければなりません。

ただ、私はそれをデメリットだとは感じていません。二拠点生活をこれからも継続させていきたいからこそ、新しい課題と向き合えたと感じています。以前よりも家族を大切にしようと心がけているし、遠方にいても変わらず仕事をしてくださる取引先への感謝の気持ちが増しました。

周囲の関わる人たちに感謝の気持ちを忘れず、心配りを続けること。決して自分だけの力で生きているわけではないと、謙虚な気持ちを持ち続けること。そういった心構えが、二拠点生活の継続を支えています。こうして書いている今も未熟ではあるけれど、二拠点生活を始める以前の自分に比べれば、少しは変われた気がします。

コロナ禍の二拠点生活、そしてこれから

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2020年春から、二拠点生活の行き来をやめています。情勢を見ながら東京へ行きたいので、あくまで一時的な判断です。ただ、数カ月の自粛期間を経て、社会がオンラインで仕事をすることに以前より寛容になったことはひしひしと感じます。

フルリモートで仕事を完結するスタイルは、以前は申し訳なさを伴うこともありましたが、今はアピールポイントになることもあります。「オンライン取材に慣れているライターさんだから、安心してお願いできる」と言われたこともありました。拠点を気にしない価値観が普及しつつあることで、以前よりオンライン対応への抵抗感が減ったようです。

結局、今のところ東京に行かなくても仕事は続いています。一時はコロナショックで仕事が激減しましたが、9月現在は昨年よりお仕事が増えています。いつでも移動できるけれど、移動しなくても仕事はできる。現在の私の二拠点生活は、以前に増して自由度の高いものとなりました。

取引先の方から、「昨今トレンドのワーケーションじゃないですか」と冗談めかして言われて、ふと考えてみると確かに、とうなずけました。私の住む地域はリゾートではありませんが、豊かな自然や休息を楽しめる穏やかな場所で働いている点は共通しています。

ウィズコロナ時代の二拠点生活を勧めたくて現状について書いたわけではありません。ただ、二拠点生活をこれから選ぶことも、決して間違った選択ではないと思います。

二拠点生活が教えてくれた、忘れていた当たり前のこと

二拠点生活を続けてみて気付けたことは、振り返ればどれも当たり前なことばかりでした。家族や周囲の人に感謝し、協力して働きながら、生きていく。そういう当たり前のことほど、日々を繰り返すうちに忘れてしまうものなのだと思います。

拠点を移動する日々は自分が選んだ道だからこそ、無意識下でおろそかにしがちなこれらを意識させてくれる機会となりました。コロナ禍で遠方への移動が困難になった今も、「いつでも行ける」状態で自粛する姿勢は、二拠点生活を選んだからこそ保てるものです。

二拠点生活について検討している方は、今すぐに拠点を頻繁に行き来するのは確かに難しいかもしれませんが、こうした長期的な視野で見た暮らしのビジョンを持って判断してみると良いかもしれません。どんな時代でも、自分らしく生きる道を模索し続けることは、あきらめずに続けたいものですね。

文・写真=宿木雪樹
編集=五十嵐大+TAPE

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