お笑いコンビ・尼神インターを解散した後、フリーの芸人として活躍の幅を広げている誠子さん。芸人としての活動のほか、料理イベントの開催やライフスタイルブランドの展開と、ジャンルにとらわれず活躍されています。
前編では、そんな誠子さんが尼神インターとしてブレイクするまでの下積み時代や、お笑いを好きでいつづけるために意識していること、やりたいことを実現するためのアドバイスなどを伺いました。
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点ではなく、線で捉えれば、失敗も単なる通過点。挑戦を続ける元尼神インター誠子に聞く、不安との向き合い方
芸人として成功するビジョンが見えていたから、迷わず突き進めた
――誠子さんは、高校3年生のときに見たM-1グランプリをきっかけに、大学進学を辞退して、NSC(吉本総合芸能学院)に入学したそうですね。もともとはどういう分野への進学を考えていたのでしょうか。
高校生の頃は将来の夢がなかったので、「とりあえず大学には行っておこう」くらいの気持ちでいくつか大学を受験して、京都の大学の社会学部から合格をもらっていました。社会学部なら、進学後にやりたいことができたときに柔軟に対応できそうだなと思って。
――大学に通いながら、もしくは大学を卒業してからNSCに行くことは考えなかったのでしょうか。
それが、考えられなかったんです。友達にも「大学に通いながらNSCに行ったら?」と言われたし、実際にそういう人もたくさんいるんですが、私は器用じゃないから2つのことは同時にできないなって。
私は普段は周りに合わせるタイプなんですけど、自分がやりたいと決めたことは絶対に譲らない面があるんです。友達には「誠子ってこんな頑固やったんや!」と驚かれました。でも、やりたいことってそうそう見つかるものじゃないからこそ、見つけたときは大切にしたいんです。
――NSC入学後、渚さんに誘われるかたちで尼神インターを結成されています。渚さんとはどういうきっかけで仲良くなったのでしょう。
渚とは帰りの電車が一緒で、授業が終わったあと、一緒に帰ったりご飯に行ったりしているうちに仲良くなりました。お互いに相手のことを「面白いな」と思って意識している感じでしたね。
渚と私は、性格は真逆なのに、人との距離感の取り方や頑固なところが不思議とよく似ているんです。私は人当たりがいいけど実は頑固で、渚は初対面でもすぐ分かるくらいの根っからの頑固(笑)。大切にしている根っこの部分が同じだから、この人とコンビを組みたいと思いました。
――コンビを結成してから、芸人の収入だけで生活できるようになるまで、長い下積み時代があったそうですね。
劇場のメンバーにならないと楽屋でネタ合わせができないんですよ。だから、劇場メンバーに昇格するまでは公園でネタ合わせをしていました。渚と、真冬の寒い日に何時間も練習したことを覚えています。当時は「絶対にここから抜け出すんだ!」と思っていました。
テレビに出られるようになったのは、結成から7年目くらいのとき。下積み時代は芸人の収入だけでは生活できなかったので、毎日コンビニでバイトしていました。7年間もやっていたので、バイト先では発注を任されるくらいになってましたね。
――芸人だけで生活できなかった期間、不安になったり心が折れそうになったりしたことはないのでしょうか。
それが、「尼神インターは絶対に売れる!」という根拠のない自信があったので、不安はなかったんですよね。テレビの仕事はないけど劇場ではウケていたからネタに自信があったし、なにより渚っていう存在が新しいから、世間に見つかったら絶対に売れると確信していて。
だから、いずれ全国放送のお笑い番組にバンバン出るつもりでいたし、売れてからの姿も明確にイメージできていました。
やっぱりイメージする力ってやりたいことを実現する上ですごく大事だと思います。目標をしっかりイメージできていると、自然と達成しやすくなるから、何かかなえたいことがある人は、ぜひ意識してみてほしいですね。
たとえ職業や肩書が変わったとしても、夢をかなえることはできる
――実際に芸人としてブレイクしたあとは、どんな生活を送っていましたか?
ありがたいことに、この頃は365日、朝から晩までお仕事がありました。新宿ルミネの劇場でネタを3ステージやったあとに、大宮の劇場にすぐ移動して、また3ステージやって、それから地方のお笑いライブに行って……。
本当に、自分が今どこにいるのかわからないくらい目まぐるしくて、渚もよくネタのツカミで「ここどこやねん!」ってボケてましたね(笑)。
でも、休みたいとはまったく思わなくて、マネージャーさんにも「来た仕事は全部入れてください」とお願いしてました。公園で寒い中ネタ合わせをしたり、週7でバイトしたりしていた時代があったので、仕事があることが嬉しすぎて。
――下積み時代もブレイクしてからも、芸人を辞めたいと思うことなくブレずに突き進んできたんですね。
たしかに、芸人を辞めたいと思ったことは一度もないですね。高3のときにM-1を見て感じた「お笑いが好き!」という気持ちが、何年経っても冷めることなく、今も日々更新されていってる感じなんです。
――好きなものに対する熱量を下げずに、ひたむきに突き進むための秘訣はありますか?
「お笑いを変わらず好きでいるための工夫」は、普段から意識的にするようにしてますね。例えば、私はルーティンを繰り返す生活が向いていないので、常に新しいことにチャレンジして、自分を飽きさせないようにしているんです。
それから、自分の好きなもの同士を掛け合わせて、新しいコンテンツを生み出すことも意識しています。フリーになってからは、お笑いに料理の要素を掛け合わせたイベントを開催したり。そうやって活動の幅を広げていくと、やりたいことが次々出てくるから飽きる余地がないし、ずっと同じ熱量で続けられると思います。
――ブレイクしてさらに売れ続けるというのは、どんなに熱量があったとしても一筋縄ではいかないことだと思います。若手ビジネスパーソンの中には「好きな仕事だけど、自分より出来る人がいる」「自分には向いていないかも」と悩む人も少なくありませんが、そうした悩みについて誠子さんはどう思いますか?
私の周りにも、芸人を辞めた同期や後輩はたくさんいますが、芸人を辞めたからといって、必ずしも「挫折した」とか「あきらめた」とは言えないと私は思うんです。
例えば、ある後輩は、今は飲食店で働いていて、お店のお客さんをカウンター越しに笑わせてて。たしかにその後輩はもう「芸人」ではないけど、ずっと抱いていた「人を笑わせたい」という夢は、毎日実現できてるんですよね。
だから、もし「やりたかった仕事に就けたけど、なんとなくうまくいってない」という人がいたら、そもそもその職業を通して何を実現したかったのかに焦点を当てて考えてみるのもいいかもしれません。たとえ職業や肩書きが変わったとしても、自分が大切にしたい生き方をかなえられているなら、それでいいんじゃないかなと思います。
後悔のない生き方をしよう。そう思ったのは、両親との別れがきっかけだった
――尼神インター解散の際には、「コンビを組んでいるとコンビらしさを優先してしまい、自分のやりたいことを100%できていない面もあった」とお話しされていましたが、コンビを解散し、フリーになってからはどうですか?
やっぱりスピード感も自由度も上がりましたね。今はお笑いだけでなく、料理イベントや調理グッズのプロデュースなどもやっています。
でも、やりたい仕事をやるためには、やりたくない仕事もする必要があるということも痛感しています。私はフリーの芸人になってもうすぐ1年ですが、吉本時代は事務所がやってくれていたような事務作業も自分でやっているんですね。仕事のメールのやり取りとか、ライブの収支計算とか……。
本当は数字に弱いし、ビジネス用語もよく知らないし、事務作業って苦手なんですよ。だけど、フリー芸人として自分の夢をかなえるためには必要なことなので、頑張って取り組んでいます。やりたくない仕事も無駄じゃないというか。
でも、人によっては本当にできないことってあると思うんですね。そんなときは周囲の人に相談して、頼ってみるのもアリなのかなと思います。人は1人では生きていけないから。私も、いまだに吉本の人に相談したり、教えてもらったりしています。
――やりたくない仕事をやってまで精力的に活動するその原動力はどこから来ているのでしょうか。
実は、6年ほど前に両親が病気で亡くなって。そのときに「夢をかなえるために使える時間には限りがある」ということを強く意識したんです。その経験から、「人生は一度きりだから、後悔しないように常にフルスイングで生きなきゃ」と思うようになりました。
もっと言うと、私、両親が生きているうちに売れることができなかったんですよ。そのことを後悔しているから、人を笑顔にしたり、社会に貢献したりして、それが天国にいる両親への親孝行になればいいなって。そんな気持ちが大きな原動力になっています。
芸人の仕事は、人を笑わせることで元気づけること。ファンの方からも「毎日つらいけど、誠子さんに元気をもらっています」というお手紙をよくいただきます。だけど、元気をもらっているのは、私も一緒なんです。舞台に上がるとお客さんの笑顔を見られるから、どれだけ忙しくても、心が癒されて、またがんばろうって思える。笑いは世界を平和にする魔法なんだなってよく思います。
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点ではなく、線で捉えれば、失敗も単なる通過点。挑戦を続ける元尼神インター誠子に聞く、不安との向き合い方
【プロフィール】
誠子(せいこ)
2007年に大阪の吉本お笑い養成所NSCに入学。漫才コンビ・尼神インターを結成。劇場ライブやバラエティ番組に多数出演。2024年にコンビを解散、吉本興業を退所。現在はフリー芸人として、お笑いライブや料理イベント、ライフスタイルブランド「merci」をプロデュースするなど、今まで以上に新しい分野にも積極的に挑戦中。
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