明日死んでも後悔しない働き方を!ホステル「IRORI」のプロデューサー・中尾さんが見つけた“旅”を仕事にする方法

「後悔しない働き方をしたい」 そう語るのは、日本橋にあるホステル「IRORI Nihonbashi Hostel and Kitchen(以下、IRORI)」のプロデューサー・中尾さん。

明日死んでも後悔しない働き方を!ホステル「IRORI」のプロデューサー・中尾さんが見つけた“旅”を仕事にする方法

「後悔しない働き方をしたい」
そう語るのは、日本橋にあるホステル「IRORI Nihonbashi Hostel and Kitchen(以下、IRORI)」のプロデューサー・中尾さん。

今回、キャリアコンパスは“旅”好きが高じて、ホステルなどのプロデューサーとして活躍している中尾さんのキャリアと、働く上で大切にしている価値観についてお話を伺いました。

中尾さんのキャリアには、“好き”を仕事にするためのヒントがあります。

目次:
手掛けているのは、人と人が出会う場所づくり
旅で人が出会う場所のプロデューサーになるまでのキャリア
中尾さんが考える、後悔しない仕事選びのコツとは?

手掛けているのは、人と人が出会う場所づくり

 


PROFILE:中尾有希さん
‘84年生まれ。出身は兵庫県神戸市。北海道大学工学部建築年学科卒。
大学在学中に“旅”の魅力を知り、国内・外の様々な場所を訪れた経験を持つ。中尾さん曰く、“旅”は自分の視野を広げるために「人と会うためのツール」。株式会社R.projectで、好きな“旅”を仕事にして、“旅で人が出会う場所”のプロデュース業に奮闘している。

―:現在、中尾さんが携わっている仕事について教えてください。

中尾さん(以下、中尾):日本の未活用不動産の再生事業をしている株式会社R.projectで、ホステルをはじめとした“旅で人が出会う場所”のプロデュースをしています。入社後、最初に担当したのが「IRORI」の立ち上げです。「IRORI」は、日本各地の魅力を海外からのお客様に発信していくホステルです。各種メディアにも取り上げていただき、少しずつ反響を得られています。

現在、「葛飾区柴又にある区の旧職員寮を、宿泊施設にリノベーションするプロジェクト」のプロデューサーも担当しており、立ち上げに向けた準備をしています。葛飾区が10年前まで使っていた旧職員寮を借り受けて、リノベーションした後に宿泊施設として運営するプロジェクトです。

柴又の町内会をはじめとした地域の自治体とも協力しながら計画を進めています。これまでも千葉を中心に地域と連繋した運用を行ってきたR.projectならではの個性も打ち出していきたいと考えています。

※「IRORI」の前にてマネージャー・堤さんと

旅で人が出会う場所のプロデューサーになるまでのキャリア


―:中尾さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

中尾:大学では建築学を専攻していました。文化財や遺産、歴史的な建築物を保護する仕事に就きたいと考えていたんです。しかし大学3年生の時に、フランスの遺跡を修復する国際ワークキャンプに参加したことが、考えが変わった大きな転機になりました。

国際ワークキャンプには、フランス人をはじめ、ロシア人やルーマニア人など、様々な国の若者が参加していました。そこで、“考え方や生き方に対する捉え方、習慣の違い、宗教や政治など多様性”に触れました。歴史的な背景から、ロシア人とルーマニア人が喧嘩をしている場面に出くわすなんてこともあったんです。

そんな経験から“様々な人や文化に触れられること”が、建築を学ぶ以上に面白いと思いました。そして“旅”が、多くの人や文化に会い、人生をより豊かにするための「ツール」になると考えるようになりました。

大学卒業後は“旅”に携わる仕事がしたくて、リクルートが運営する旅メディア「じゃらん」で4年間働いた後、世界最大規模の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の東京オフィスで2年間働きました。

―:そのキャリアを形成してきた中尾さんの個性は、どのように育まれてきたのでしょうか。

中尾:“旅”が好きになってからは、ヨーロッパ、アジア、北米・中南米と様々な国に訪れました。もっとも、大学に入学するまで“旅”はおろか、遠出したこともあまりなかったんです。小・中・高校の間は、両親が不在がちで祖父母に育てられました。祖父母と出かける先は、地元であり親戚の多い関西ばかりでしたね。

放任主義の家庭環境でもあり“何でも自分で決めよう”という気持ちが強かったと思います。大人になるにしたがって“関西から出てみたい”という気持ちも沸き起こり、どうせなら遠くにいってしまえ!と、当時関心のあった分野が学べる北海道の大学を選びました。

思い返してみると、北海道に渡ったことが大きなカルチャーショックを受けた瞬間でした。北海道の人たちって、みんな大らかなんです。北海道は全国からいろいろな人が集まって開拓してきた歴史があるからなのかもしれません。北海道の大地は厳しいから、“大らかに皆で協力しないと上手くいかなかった。”当時、そんな話を開拓史を知る人から、教えられました。

大学に入った後、帰省ついでに国内から旅行をするようになって。そこでまた衝撃を受けます。なぜなら日本国内でも地域によって、景色だけでなく人や文化も全然違っていたんです。

大学3年生の時に、フランスの遺跡を修復する国際ワークキャンプに参加したことがその後の人生や、キャリア形成の決定打になりました。しかし、そこまでの間にも自分の興味や関心が、“旅”を通じて変わっていたんだと思います。

―:プロデューサーになったきっかけを教えてください。

中尾:「トリップアドバイザー」の東京オフィスで働いていたなかで、“旅”に関わる仕事へのスタンスを変えたいと考えるようになりました。“旅”を通して生き方・働き方のヒントを得て、より良い人生を送る人が増えてほしい。そんな仕事に携われるようになりたいと思ったんです。でも、具体的にどうするべきか分からなくて、その答えを見つけるために、アメリカ・シアトルでリーダーシップ教育を行っているNPOに参加しました。

シアトルでも、また衝撃を受けました。シアトルで働いている人たちのなかには、ワークライフバランスを大切にしながらMicrosoftやAmazonなど、世界をリードする企業で成果を出している人がたくさんいたんです。それに、社会問題に対する意識も市民レベルでとても高いと感じました。歴史的に先住民やアジア系移民が多い街だったこともあり、多様性に富み、また日系人コミュニティについて知る機会も多く、そこから気づかされたことがたくさんありました。

日本に帰ってきてからは、“旅”により深く関われて、これまで経験してきたことや素晴らしいと感じた文化を広げられる仕事は無いかと探していました。「じゃらん」や「トリップアドバイザー」といったメディアなどの間接的な立場ではなく、“旅”に直接関わる場づくりをしたい気持ちもありました。

その時に、株式会社R.projectに出会ったんです。そして現在は、“旅で人が出会う場所”をつくる様々なプロジェクトのプロデューサーをしています。

※「IRORI」のマネージャー・堤さんと談笑する中尾さん

中尾さんが考える、後悔しない仕事選びのコツとは?


―:様々な働くキャリアを積み重ねてきた中尾さんは、仕事を選ぶ際に何を重視していますか?

中尾:好きな“旅”に携われることを大切にしています。世界中を旅して学んだのですが、やっぱり“好きなこと”を仕事にしている人の方が充実していたように見えたし、この考え方が私には合うと思ったんです。それに、これからの日本で観光業は果たせる役割がまだまだあると思っています。

―:今回ご登場いただいたキャリアコンパスは、“自分らしく働きたい”と考えている25歳くらいの読者にヒントを得てもらうコンセプトがあります。中尾さんと同じように“好きなこと”を仕事にしたいと考えていても、一歩を踏み出す勇気がでない。躊躇してしまうという人も多いと思っています。そういった方たちへのメッセージをお願いします。

中尾:私は、「もし、明日死んでも後悔しないか?」ということをいつも考えています。旅先で出会った人が次の日に亡くなって、もう会えなくなる。そんなことは、往々にして起こるんだと“旅”を通じて感じたんです。だから、常に自分自身に素直になることを心がけて、後悔しない働き方をしていきたいと思っています。

働き方に迷っている方も、自分自身に素直になって考えてみることは一つの手段かもしれないと思います。

(取材・執筆:編集部 磯井啓輔)

※この記事は2016/11/04にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています

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