「やさしさ」で築き上げた「世界一キレイな空港」。羽田空港の清掃職人「新津春子」の仕事観

2013年・2014年と「世界一清潔な空港」に2年連続で選ばれた名誉を持つ羽田空港。その陰には、1人の女性清掃員「新津春子」さんの奮闘がありました。

「やさしさ」で築き上げた「世界一キレイな空港」。羽田空港の清掃職人「新津春子」の仕事観

2013年・2014年と「世界一清潔な空港」に2年連続で選ばれた名誉を持つ羽田空港。その陰には、1人の女性清掃員「新津春子」さんの奮闘がありました。

2015年6月にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し大反響を巻き起こした彼女は、現在、羽田空港の環境衛生管理等を請け負う日本空港テクノ株式会社で、たった1人の「環境マイスター」として、職員に清掃方法を指導するなど、清掃業務のレベルアップに貢献しています。

そんな、一清掃員から全国の頂点に立ち、「清掃の職人」へと上り詰めた新津さんに、清掃という一見地味で敬遠されがちな仕事のやりがいや、清掃の仕事に懸ける思いを伺いました。すべてのビジネスパーソンに贈りたいアドバイスが満載です!

日本語が話せず「清掃」しかできる仕事がなかった


残留日本人孤児2世として中国で生まれ育ち、17歳のときに一家そろって日本に来た新津さん。家計が苦しく仕事をしなければ生活できないものの、日本語が不自由。そんな新津さんが唯一見つけた仕事が、ビル内の清掃だったと言います。

「言葉が通じなくても、見よう見まねで覚えることができるのが清掃の仕事でした。もともと、清掃がやりたかったわけではなく、これしかできる仕事がなかったんですよね。最初は、近くのビルでアルバイトからスタートしました」(新津春子さん:以下同じ)

夏休みには、1日3カ所の施設を回るほど働き詰めだった新津さん。高校を卒業後、ヘッドホンを作っている音響機器の会社に入社してからも、清掃のアルバイトは継続していたそうです。結局、その音響機器会社に居場所を見つけられなかった新津さんは3年ほどで退社し、ビルクリーニング管理を学べる「職業能力開発センター」での受講をスタート。

快適で清潔な環境を維持するための建物の清掃方法やメンテナンス、マネジメントなどを一通り学び、23歳のときにアルバイトで入社したのが、日本空港テクノ株式会社でした。

「きみにはやさしさが足りない」亡き恩師が教えてくれた「心」の使い方


新津さんには、清掃をする上でもっとも大切な「やさしさ」を教えてくれた恩師がいます。職業能力開発センターで出会い、現在の羽田空港での勤務に導いてくれた鈴木優常務です。

「私は鈴木常務に何度もお願いして、現在の日本空港テクノ株式会社に入社することができたんです。入社1年後、『ビルクリーニング技能士』の資格を取得して準社員に昇格。その後、『清掃作業監督者』など指導者の資格も取り、順調にステップアップしていきました。そんなとき、鈴木常務に促され『全国ビルクリーニング技能競技会』に出場することになったんです」(同)

全国に数万人いるビルクリーニング技能士の頂点を決めるのが、この大会。自分に居場所を与えてくれ、さまざまな資格の取得に投資もしてくれた鈴木常務に恩返しをしたいと思い、新津さんは1位を目指し、練習漬けの日々を送ったそうです。しかし、「最高の実技ができた」と自信があったにもかかわらず、東京予選大会の結果はまさかの2位。そのとき、鈴木常務に言われた一言が忘れられないと語ります。

取材中もにこにこ笑顔の新津さん。やさしさがにじみ出る。 取材中もにこにこ笑顔の新津さん。やさしさがにじみ出る。



「鈴木常務に『きみにはね、やさしさが足りないんじゃないかな』と言われたんです。技術的な面ではなくて、清掃に対する『気持ち』が足りないという指摘でした。正直ものすごくショックでした。でも、そのときこれまでの自分の清掃への向き合い方を振り返ってみたら、いつも固い表情で作業していたことや道具を雑に扱っていたこと、自分の担当場所さえキレイになればそれでいいと思っていたことに気づいたのです」(同)

それから新津さんは、清掃中はにこやかな表情を心がけ、どんなときもお客さまが気持ち良くいられるように配慮し、道具もやさしく扱うように。その姿勢が評価され、東京予選の2カ月後に行われた全国ビルクリーニング技能競技会で満点を取り、27歳、史上最年少で念願の優勝を果たしました。

「優勝した瞬間は、『やっと鈴木常務に恩返しができた』という喜びでいっぱいでした。清掃にとって一番大切な『心』の使い方を学ぶことができた、かけがえのない経験です」

仕事のモチベーションは自らが得る「成果」と周囲からの「評価」


清掃を「面倒な作業」だと思ってる人は多いもの。好きこのんで清掃を職業にしたいと望む人は、めったにいないかもしれません。新津さん自身も好んで清掃を始めたわけではないものの、やればやるほど清掃の奥深さに魅了されていったそうです。

「清掃は、誰が見ても成果が分かりやすい仕事なんです。形はないかもしれないけど、目で見てキレイになったと実感できる。そして、その場にいるお客さまにすぐに評価してもらえる。『キレイですね』『いつもありがとう』と声をかけてもらえることもあります。ここまで早く成果が見えて、評価してもらえる仕事は他にないんじゃないかと思うぐらい。ひとつの課題をクリアするたびに、すごくやりがいを感じます」(同)

一方で、キレイにした次の瞬間、床もトイレもすぐに汚れていく。やってもやってもキリがないのでは……。

「清掃に対しての目標はありますが、またすぐに汚れるので終わりがないんです。でも、終わりがないってワクワクするじゃない? 私は清掃のそんなところも好きなんです」(同)

マニュアルは使わずに「心」でチェックする


現在は現場で清掃作業をすることはなく、清掃指導や新規製材のテストといった業務に100%徹している新津さん。教える立場になってからもマニュアルには頼らず、常に「心」を使うのを忘れないそう。

「清掃員が清掃したあと、チェック作業をするのですが、私は項目表を使わずに『心』でチェックします。項目に書かれたところだけをチェックすると、清掃員はそこしか清掃しなくなります。また、チェックする側も項目以外の場所がキレイになっていても、清掃員の努力に気づいてあげることができません。お互いに、誰のために、何のためにやるのかを考え『心』を使わないと、最高の仕事はできないんです」

さらに清掃の指導をする際も、一人一人に心を砕くと言います。

「一人一人適性が違うので、すぐに覚えられる人もいれば、そうでない人もいます。だから、それぞれに合ったアプローチをすることを心がけています。みんながひとつずつ仕事を覚え、自分に合った場所でがんばってくれることが、今の私のやりがいです」

陽の当たらない仕事は「価値が低い仕事」ではない
新津さんにとっては天職といえる清掃の仕事ですが、一般的には「地位が低い職業」とされている一面も。これに対して、新津さんは力強く反論します。

「誰もが気持ち良く過ごせる環境をつくる清掃は、すばらしい仕事です。地位が低いなんて、とんでもない。決して目立つ仕事ではありませんが、私は自分を職人だと思っています。陽の当たらない仕事だからといって価値が低いわけではありません。むしろ、清掃は誇りを持つべき職業です」

肩に輝く環境マイスターのしるし 肩に輝く環境マイスターのしるし



新津さんは、清掃業界全体のレベルアップとともに、清掃の社会的地位を引き上げたいと言います。また、健康にも大きく関与する清掃について、未来を担う子どもたちにも指導していきたいと考えているそう。

「子育てをしているママさんたちの中にも清掃ができない人は案外います。でも大人の世代よりも、子どもたちに清掃の基本を教えて、清掃という仕事に興味をもってもらいたいんです。清掃は何よりも『やさしさ』が大事。そのことを子どものころから学んで、将来いい人間になってもらいたいと思っています」

誰でも必ず「いいところ」がある! 自分を信じる強さを持とう


「今の若者は自信がない人が多い」と新津さん。若手のビジネスパーソンに対して、こんなメッセージを贈ってくれました。

「20代のうちは、まだやりたいことが分からない人が多いかもしれません。最初は『好き』『嫌い』という気持ちだけもっていればいいと思います。やりたいことがつかめていないなら、目の前にあることを夢中でやってみること。そうすれば何でも面白くなるし、後々、自分にとって財産になります。

あと、若い世代には自信がない人が多いように思いますが、誰でも必ずひとつは『いいところ』があるんです。たとえば上司に『おまえはダメだ』と言われても、自分を信じてください。もし弱気になってしまったときは、誰かの力を借りて勇気を出しましょう。自分にご褒美をつくるのもOK。私は毎日おいしいものを食べて、自分にご褒美をあげていますよ(笑)。

それでも、どうしても迷ってしまったときは、清掃の道へ来てください。清掃は、生きていくのに必要な環境をつくる大事な仕事。その後どんな道を進むことになっても、必ず役に立ちますよ」

まとめ


力強い言葉で、自身の半生や仕事観を語ってくれた新津さん。「プロ」としての意識やプライドを持って精進することで、彼女のように自信と希望に満ち溢れた顔になれるのでしょう。どんな仕事も「心」がこもっていなければ、ただの作業になってしまいます。誰のための、何のための仕事なのか、今一度、原点に返り、目の前の仕事に向き合ってみてください。


識者プロフィール
新津春子(にいつ・はるこ) 日本空港テクノ株式会社所属。 1970年中国残留日本人孤児2世として、中国瀋陽に生まれる。中国残留日本人孤児であった父の勧めによって一家で渡日。言葉が分からなくてもできるという理由で清掃の仕事を始めて以来、今日まで清掃の仕事を続けている。 95年、日本空港技術サービス(現:日本空港テクノ)に入社。97年に(当時)最年少で全国ビルクリーニング技能競技会1位に輝く。以降、指導者としても活躍し、現在は羽田空港国際線ターミナル、第一ターミナル、第二ターミナルの清掃の技術指導に加え、同社でただ1人の「環境マイスター」として次世代のマイスターを育てる活動を行っている。 著書『清掃はやさしさ: 世界一清潔な空港を支える職人の生き様』

※この記事は2016/07/11にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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