脱サラして周防大島でジャム作り。Iターンで見いだしたワークとライフが融合した生活

瀬戸内海南西の端に浮かぶ山口県の周防大島は、人口およそ1.7万人の島。一年を通して温暖な気候のため、みかんなどの果樹農業もさかんです。

脱サラして周防大島でジャム作り。Iターンで見いだしたワークとライフが融合した生活

瀬戸内海南西の端に浮かぶ山口県の周防大島は、人口およそ1.7万人の島。一年を通して温暖な気候のため、みかんなどの果樹農業もさかんです。

今回ご紹介する松嶋匡史さんは、この周防大島でご家族や30人の従業員とともにこだわりの手作りジャム専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」を営んでいます。お店にはカフェも併設され、地元の方や観光客で連日にぎわっているそう。

京都出身の松嶋さんは電力会社を退職し、2007年に奥様の実家がある当地へと移住した、いわゆるIターン経験者。松嶋さんが感じたという、地方でチャンスをつかむために大切な“土地勘”とは?

きっかけは新婚旅行での「出会い」から


周防大島にある手作りジャム専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」には、常時20~30種類の手作りジャムがずらりと並べられています。その時々に島で収穫される旬の果実を材料に、年間180種類以上のジャムやマーマレードを作っているのだそう。

お店には手作りスコーン、ジャムを隠し味に使ったピザ、マーマレードソーダ、ジャムズラッシー……など、店内に並ぶジャムを使ったオリジナル料理を味わえるカフェも併設。2010年からはお店の近くに果樹園もオープンさせました。


「瀬戸内ジャムズガーデン」の店主を務めるのが、松嶋匡史さん。かつて電力会社に勤務していた松嶋さんは、2001年、29歳のときに新婚旅行で訪れたフランス・パリのジャム屋さんで、日本では見ないようなジャムやその種類の豊富さに感銘を受け、ジャム作りに興味を持ったといいます。

「ちょうどそのとき、フランスではコンフィチュールの新しいブームが起こっていました」(松嶋さん、以下同)

新しいブームのコンフィチュール(フランスにおける「ジャム」の名称)は一般的なジャムとは加工法からして異なり、いろいろな食材を組み合わせたりしてデザートの一品のように果物の風味をしっかりと味わえるものだったそうです。

「そのとき見たコンフィチュールというのは、イチゴとバナナを混ぜてそこにピンクペッパーを入れるとか、ブルーベリーをラム酒で煮込んでミントの葉っぱで香りづけするとか……。日本のジャムしか知らない私からすると、それらはもはやデザートと呼べるほど奥深い世界でした。

かつ、食材は地域産にするなど地域性をとても大事にしており、日本にもこういう文化があったら面白いし、これを日本風にアレンジしたらどうなるのだろうと考えたんです」

お義父さんのもとへ渡った事業計画書がチャンスを呼んだ


新婚旅行から帰国した松嶋さんは、お土産用に購入した30本ほどのコンフィチュールを一つひとつ試食し、そこからジャム作りの自己研究を始めました。週末の空いた時間には口コミでおいしいといわれているジャム店へ足を運び、製造法や瓶詰めなどジャム作りの基礎を学びます。そうしてジャムの試作や開発を行っていくうちに「これは仕事にできる!」と少しずつ手応えを感じ、事業の実現性を検討しようと事業計画書を作成したそうです。

「事業計画書ですから、借入金や売上予測がいくら、粗利がいくら、といったように、たくさんの数字が並びますよね。まず、この計画書を妻に見せてみたところ、数字があまり得意なほうではなかったようで(笑)。結果として妻のお父さん(松嶋さんの義父)にその事業計画書が預けられました。『お父さん、うちの旦那さんがこんなことやろうとしているらしいよ』と軽い気持ちで見せたようなのですが……」

しかし、この奥様の行動が功を奏しました。

「妻の実家は周防大島のお寺さんです。お義父さんを経由して事業計画のことがお寺の檀家(※)さんにも知れ渡ったのです。檀家さんのなかには周防大島で果樹園を営まれている方が大勢いらっしゃって『これならばお手伝いできるよ』という方がたくさん現れ、そこからはトントン拍子に話が進んでいきました」

※檀家:お寺に属して法事などをおこなってもらう代わりに、布施などの経済的援助を行う家のこと

とはいえ、当時の松嶋さんはまだ会社勤め。そこで松嶋さんが「“計画派”の私と違って“行動派”」と評する奥様が定期的に島へ帰り、ジャム作りに専念しました。そうして試行錯誤を繰り返しながら、オリジナルジャムの販売に向けて着々と計画を進め、いよいよ2003年11月に島で採れたいちじくから作る「いちじくジャム」を地元・道の駅に卸して販売を開始。その後もラインナップを増やし、2004年にお店をプレオープンしました。当初は2004年、05年、06年の夏休み限定だったといいます。

「こういう商品のなかには、一過性のブームで終わってしまうものってあるじゃないですか。この島には夏に大勢の観光客がやって来ますから、まずは夏に売り上げを立てられることが最低条件。幸い、夏季限定で3年間継続して運営してみたところ売り上げもよく、リピート客も増えていきました。『これならば……』ということで退職を決意し、2007年から本格的に通年オープンへと切り替えました」

電力会社に勤務していたとき、松嶋さんは新規事業部門に在籍しており、あるとき東京の人材系ベンチャー企業に研修に行かせてもらったことがあったのだとか。「実験的にいろいろ試しながらやってみて、うまくいきそうなところにどんどん投資をしていく、そうした『トライ&エラー』で事業を進めていくことを、そのとき体験していました」――会社員時代に得ることができたその経験が、ジャム作りと店舗経営の「0からスタート」を支えてくれたのかもしれません。

都会ではなく地方にお店を構えた理由


当地の農家さんとの関係性ができていたとはいえ、オープンさせるお店を出身地である京都ではなく周防大島に構えたのはなぜだったのでしょうか。

「新婚旅行のときに訪れたジャム屋さんは、フランスのパリにありました。私は京都出身。パリと京都はどこか重なるところがあったので、当初は京都のどこかの長屋を改修し、そこでジャムを販売して観光客を集めよう、なんて考えたことがあります。しかしジャム作りにこだわればこだわるほど、“農家さんのすぐ横”でやらないことには、本当においしいジャム作りはできないと分かってきました。果物の生産地でやるからこそ、農家さんとリレーションをとりながらこれまでにない、果実作りからこだわったジャムが作れるんです。

もう1つ、もしも京都でオープンさせたとしても、素材作りからのこだわりをもてない環境では、もし有名な料理研究家やパティシエさんが隣で同じ事業をやり始めてしまった場合、きっとうちは負けてしまいます。都会でやれば大きくもうけられる可能性があるのかもしれませんが、地方ならば、時間はかかっても長期的に、かつ、安定的に事業ができると思ったんです」

都会で就職した後に地方へと移り住み、そこで定住して働く「Iターン転職」は、今、20代の間でも転職を検討するなかで1つの選択肢として認められつつあります。松嶋さんの場合も、周防大島には奥様のご実家があったとはいえ、ほとんど見知らぬ土地で始める新事業でした。Iターンで働くときに、成功するためのポイントはなんでしょうか?

「Iターンする方のなかには『会社を辞めた、さっそく移住してみた……さあ何をしましょう?』という方もいるようですね。勢いだけではうまくいかず、下準備の期間と土地勘がないと逆にハードルが高くなってしまうこともあると思います」


土地勘とは、どういうものを指すのでしょうか?

「私の場合、何度もその土地に足を運び、何よりも人とのつながりをつくったうえで事業を始めています。地方とか田舎というのは、どこの誰なのかが認知されるまで相手からの信頼をすぐには得られないもの。きちんと計画を立て、自分の目で見て、その土地の人とじかに触れあってから事業などを始めたほうが、絶対によい結果に導けると思いますよ」

バランスは自分で決める


移住生活で価値観が変わったかとの問いに対し、「そんなに焦ってもしょうがないとじっくり腰を据えて働く、またそうせざるを得ない価値観が地方にはあって、それが自分には合っている」と言っていた松嶋さん。最後に移住してよかったと思うのはどんなときか、聞いてみました。

「ワーク・ライフ・バランスなんて言われて久しいですが、私の場合は家のなかで仕事もするし、その場に子どもがいることもよくあります。だからワークとライフが“融合”しているんです。そういう生活が嫌いな人に地方暮らしはオススメできませんが、家族ぐるみで仕事することが楽しい私のような人間には、とてもぴったりの生活スタイルだと思います」

ワーク・ライフ・バランスという言葉が定着してきました。仕事も生活も、より自分らしく生きて行くためにはどのようなバランスがベストなのか。自分自身でデザインすることができるようになった今だからこそ、働く場所の選択肢を増やしてみてもいいのかもしれません。


(取材・文:安田博勇)

識者プロフィール


松嶋匡史(まつしま・ただし)
1972年京都府生まれ。中部電力に10年以上勤務したあと、山口県大島郡周防大島へ移住し、2007年手作りジャム専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」をオープン。地元で収穫された果実から年間180種類15万本以上のジャム、マーマレードを販売している。
http://www.jams-garden.com

※この記事は2017/07/25にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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