トップモデルからデザイナーに転身。ファッションの世界に静かな変革を起こすマリエの思い

ファッションモデルとして数々の雑誌やショーで主役を務め、自由奔放な発言で多くのテレビ番組のレギュラーとして活躍したマリエさん。

トップモデルからデザイナーに転身。ファッションの世界に静かな変革を起こすマリエの思い

ファッションモデルとして数々の雑誌やショーで主役を務め、自由奔放な発言で多くのテレビ番組のレギュラーとして活躍したマリエさん。

2011年にニューヨークの名門パーソンズ美術大学へ留学を果たし、2017年6月には自らの名を冠したブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカル マリエ デマレ)」を立ち上げました。「明日、自分が着たい服」をコンセプトに、素材や製法に徹底的にこだわった服たちを、地方都市のセレクトショップとECサイトで販売しています。

「ファッションを通じて、今の時代にマッチした消費のあり方をデザインしたい」と真っ直ぐな瞳で語るマリエさんは、質問に対して言葉を一つひとつ丁寧に選び、真摯に答えてくれました。モデル・タレントからデザイナーへと転身を遂げた彼女に、キャリアチェンジを選択した当時の状況と、今後の「新しいファッションのあり方」について伺いました。

抱えたキャリアへの迷い。選んだのは、本当にやってみたかったデザイナーへの挑戦!


―2011年にパーソンズ美術大学(※1)へ留学をして、2017年にご自身のブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(以下「PMD」)」を立ち上げました。売れっ子モデルとして多忙な日々だったかと思うのですが、留学という決断に不安はなかったのですか?

(※1)1896年創立。マーク・ジェイコブス、アレキサンダー・ワンなどの著名デザイナーを輩出している私立大学。

昔からファッションが好きで、12歳の頃には父にデザイナーになりたいと伝えていましたし、パーソンズに行きたいという目標も持っていました。私は留学のために、テレビやラジオの仕事からいったん離れる決断をしたけど、誰しもどこかのタイミングで進路に悩むときってあると思っていて。進学とか結婚もそうだけど、このまま好きなことを続けていいのかな、っていう若いときならではのモヤモヤというか。

私もこのまま芸能の仕事を続けるか、結婚するか、みんなと同じモヤモヤがあった中で、昔からやりたかったファッションを本格的に学んでみようと思ったんです。パーソンズに行ったのは23歳のとき。私としては、誰しもが経験する進路についての悩みや決断とあまり変わらない感覚です。

抱えたキャリアへの迷い。選んだのは、本当にやってみたかったデザイナーへの挑戦!

 

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―留学中や帰国後には数多くのデザイナーやアーティストに話を聞いたり、工場を見学したりしたそうですね。

そうですね。パーソンズではトム・フォードやアナ・スイ、トミー・ヒルフィガーなど著名なファッションデザイナーが講演をしてくれるのですが、そこで積極的にコミュニケーションを取って、トップデザイナーの考え方やスキルを少しでも吸収するようにしていました。留学中も日本からファッション関係の対談やインタビューのオファーをいただいて、多くの方から話を聞くことができました。

帰国してから、東京ファッションウィークのオフィシャルアンバサダーを務める中で、各地の工場を見学したり、国内外のデザイナー、クリエイターにインタビューを行ったりしてきました。300人は超えているかと思います。

―300人! その行動力の源泉はどこにあるのですか?

やっぱり、好きなことが仕事になっているというのが大きいですね。いろいろな人に話を聞いたり、ファッションの現状を見たりすることで、今の時代に合った生産やデザインの方法があるんじゃないかなと考えるようになりました。留学中にも帰国後にも、日本から仕事のオファーを頂いたことは、今でも感謝しています。

「日本のファンに恩返しを」。それがブランド立ち上げの理由


―ブランドの設立は、実際にご自身の目でリアルなファッション業界の現状を見たことがきっかけになっているのでしょうか?

もちろんそれもありますが、一番はファンへの恩返しです。20代前半の忙しかった頃、1日10回くらいインタビューで「普段どんなものを食べているんですか?」「キレイの秘訣を教えてください!」などと聞かれることがありましたが、そのときに満足のいく答えを返せていなかったことが後悔として残っています。若いときは応援してくれるファンに対して、自分の影響力も考えずあまり知識もないまま「これがイイよ」なんて言ってしまっていたんです。今の自分があるのも日本のファンの応援があってこそだと思うので、今本当に自分が納得できるものを伝えたり、よりよい生き方をサポートしたり、そういった形で恩返しがしたいと思うようになりました。それが一番のきっかけです。

―マリエさんのブランド「PMD」の強みを教えてください。

今って、「カッコよくあること」が当たり前の時代なんです。誰でもメディアを持てるし、デザインできるし、カメラマンにもなれるし……、(インタビュー風景を撮影しているカメラマンを見ながら)あ、ヘンな意味じゃないですよ(笑)。みんなある程度のセンスがいいものは作れる時代で、どうやって差別化を図るか。大義やコンセプトを持って今までとは違う視点から洋服を考えてみるとか、デザインだけじゃなく一歩先を突き詰めたいと考えています。

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―東京では販売しないという戦略もその「差別化」の一環ですか?

「PMD」の洋服を地方で販売することについては、強い思いが込められているんです。ただ買って終わりではなく、お客さまが新しい体験を受け止められるようなシステムを提供したい。「PMD」は仙台や福岡のセレクトショップで販売していますが、たとえば東京に住んでいる人がそれらの都市に旅行や出張で行くときのついでにお店に立ち寄ってくれたらなと。去年は、全国16都市のセレクトショップや工場をバスで巡り、トークショーなどを行う全国ツアーを実施しました。

地方には海外や東京にあってもおかしくない魅力的なセレクトショップがたくさんあるので、東京にいる人にも知ってほしいし、単に洋服を買うだけでない、新しい体験ができる商品展開をしていきたいんです。

地方にあるレベルの高いカフェやショップを見てきて、東京だけがハブではなくなったと感じています。

どこにいてもなんでも手に入る時代だから、ファッションの「売り方」も「買い方」も全部ゼロからデザインしたいんです。それにはまず、生産から変えなければいけない。最後は受け取った人が「どう捨てるか」までデザインできれば、また次のデザインの仕方が変わってくる。そこに循環性が生まれると思っています。

―大量生産で洋服を作り、売って終わり、ではないということですね。

そうですね。差別化といえば、食とファッションの関係性を大切にしている点も「PMD」の強みかもしれません。

問題を異業種間で解決することへの挑戦


―これまでにも企業や飲食店のユニフォームなどを手がけられていますね。そこにはどんなコンセプトがあるのでしょうか?

新しいレストランのあり方として、サスティナブル、つまり持続性があることが大事だと考えています。最近では、東京ミッドタウン日比谷にある「DRAWING HOUSE OF HIBIYA(ドローイング ハウス・オブ・ヒビヤ)」のスタッフユニフォームのデザインを手がけました。

オープンが3月末ということで、シャツは桜の花びらで染め上げています。コンセプトは「育つ空間、育てる空間」と「チームワーク」のふたつです。いずれ、パティシエのユニフォームは季節ごとのフルーツで染めたり、バリスタはエスプレッソの出がらしで染めたり、シェフはブイヤベースで染めたりしていきたいと考えています。お店の白いカーテンもいつか汚れてくるけど、そのときにワインで染めたりして。空間をみんなで育てていこうというコンセプトです。

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東京ミッドタウン日比谷の「DRAWING HOUSE OF HIBIYA」。季節の食材を使った染料がユニフォームを彩る。



もうひとつの「チームワーク」ですが、「DRAWING HOUSE OF HIBIYA」の運営会社とはかれこれ10年くらいのお付き合いなんです。どの店舗もスタッフのチームワークが素晴らしくて、それをエプロンのデザインに反映させています。一反の生地にお店の図面をベースにしたグラフィックをプリントして、パズルのように裁断して縫製するので、それぞれデザインが違うんです。スタッフが1人でも抜けたら図面は完成しない、つまり個々のレスポンシビリティを表しています。

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―レストランから出た食材を使ってシャツを染める、というアイデアは非常に斬新ですね。

これからは異業種間で問題をシェアすることが大事だと思うんです。キッチンで出るリンゴの皮は私たちファッション側の人間からすれば染料として映るように、少し視点を変えれば解決策は見つかるかもしれない。

―異業種間で問題をシェアするという視点は、食とファッションに限らずビジネスにおいて多方面で役に立つように思います。

それを意識するようになったのは、気仙沼にあるオイカワデニムというメカジキの角を原料にしたデニムを作っている企業との出会いがきっかけです。気仙沼はメカジキの水揚げ量が日本一だけど、その分年間何十トンもの骨が捨てられているんです。しかも、お金を払ってそれらを処分している。オイカワデニムの社長がそのことに気づいたきっかけが2011年の震災なんです。もともと高台にあったオイカワデニムの工場は被害が少なかったから、仮設住宅として被災した人たちに貸していたんですね。そこではじめて高台の下にいた漁師たちと会話をして、実情を知ったそうです。その問題を解決するために生まれたのが、メカジキの角を配合した生地で作ったデニム。

水産業界で解決できなかった問題をファッション業界が解決した。それが素晴らしいなと思いました。

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よりよい方法で、より速く目的を実現する。それが「PMD」


―最近ではエシカル(※2)を謳ったファッションブランドも増えてきました。「PMD」もエシカルな要素を持っていますが、特に前面には出していない。その理由を教えてください。

「PMDってどんなブランド?」とよく聞かれるけど、私は「highway brand」と答えています。ハイプライスを目指しているわけでもなければ、ロープライスにこだわっているわけでもない。結果的に高い価格になってしまうこともあるけれど、追っているのは、みんながやりたいことに向かってベストな道でたどり着く方法。よりよい素材で、より環境にも優しく、よりスピーディに目的を実現する方法です。

ただ、目的に対してエシカルが合っていないなら、変えていくという姿勢も忘れないようにしています。最初からエシカルと謳うと、実はできないことがものすごく増えてきます。メカジキの骨を使ったデニムもそうですけど、科学技術で解決できることはたくさんあります。合成繊維にはまだまだ石油を使いますし、目的に対してエシカルな手法が合わないなら、そこは変えていかなくてはならない。間違ったと気づいたらやり直せばいいんです。

(※2)…「倫理的」の意から、倫理的活動を表現する際に使われる言葉。現在では「環境保全」や「社会貢献」という意味合いが強くなっている。

もっと自信を持っていい。だって、真剣に悩んでいるのだから


―最後に、やりたいことがあるけれど最初の一歩が踏み出せない若者に対してアドバイスをお願いします。

このインタビューを読んでいる人は、まわりの人よりも将来について考えている方が多いと思うんです。悩んでもない人が多くいる中で、真剣に悩んでいるだけで素晴らしいと思います。ですから、もっと自信を持っていいはず。

私もこれまでいろんなことに挑戦して失敗して、そこには悲しみも喜びもあったけど、その経験があったから今の自分があると思います。私は昔の自分よりも、今の鏡に映る自分の方が好きです。これを読んでくれている皆さんも、「あのときやっていればよかった」と後悔しないためにも、やりたいことにチャレンジしてほしいですね。

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「挑戦をして、失敗も喜びもあったけれど、だからこそ今の私がある」。チャレンジに戸惑い、不安を感じているという人は、そんなマリエさんの言葉を思い出してみてください。将来と向き合い真剣に悩んでいるあなたにとって、力強い一押しとなるでしょう。

(取材・文:舩山貴之/写真:河合信幸/編集:東京通信社)

識者プロフィール


マリエ
生年月日:1987年6月20日 出身地:東京都 身長:170cm 趣味:暗室作業・映画鑑賞 特技・資格:乗馬4級・普通自動車免許

ファッションモデル、タレント。2005年より女性ファッション誌「ViVi」専属モデルでありながら、数々のバラエティ番組に出演。注目を集める。ファッションモデルとしては、東京ガールズコレクション、神戸コレクション、GirlsAward、福岡アジアコレクションなどのショーに出演してきた。2011年9月に世界3大ファッションスクールとして名高い米国ニューヨークのパーソンズ美術大学に留学し、ファッションを専攻。2012年7月に帰国後、様々なメディアで活躍中。活動の幅を広げている。

※この記事は2018/05/08にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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