【連載】あの人だって元ビジネスマン!芸人 ニューヨーク・屋敷裕政┃個室ビデオ店で流した涙が芸人の道への第一歩

今回は、ニューヨーク・屋敷裕政さんが登場! 人気バラエティ番組のテレビマンとして、多忙な日々を経験……。そこは噂通りの業界でした。でも、支えとなったのは数少ない同期の存在でした。

【連載】あの人だって元ビジネスマン!芸人 ニューヨーク・屋敷裕政┃個室ビデオ店で流した涙が芸人の道への第一歩

いま、新たな舞台で活躍しているあの人にも、実はビジネスマンとして会社勤めをしていた日々があったそうです。

しかし、なぜ彼らは会社員を続けなかったのでしょうか。ただ単に彼らは向いていなかったのでしょうか。どんなビジネスマンだったのかを訊いてみました――。

今回は、ニューヨーク・屋敷裕政さんが登場! 人気バラエティ番組のテレビマンとして、多忙な日々を経験……。そこは噂通りの業界でした。でも、支えとなったのは数少ない同期の存在でした。

ニューヨーク・屋敷裕政
1986年生まれ、三重県出身。NSC東京校15期生。同志社大学経済学部卒業後、テレビ制作会社に就職し、ADとして勤務。『ネプリーグ』『ザ!鉄腕!DASH!!』など人気番組のテレビマンとして活躍するも、芸人を志してNSCに入校する。2010年に同校で出会った嶋佐和也とニューヨークを結成。

噂通りのテレビ業界の体育会系体質の洗礼を浴びる 

――大学卒業後、番組制作のADを1年されたんですよね。テレビ業界を目指したのは、芸人になる準備みたいな気持ちも多少はあったのですか?

屋敷:いやいや、まったくないです。大学まで行かせてもらったのに、博打のような人生は歩めないと思っていましたから。就職活動をするなかで、一番興味があったのがテレビ・バラエティの世界だったというだけです。

――制作会社に入ったときは、ついに就職先が決まったぞ! という感じで。

屋敷:そうですね、遊びのような毎日は終わりだという意識はありました。めっちゃしんどいだろうと思っていましたから。

入社後1週間は楽しかったです。初日はスーツを着て、番組収録を見学させてもらったり、芸能人を生で見れたり、社員さんたちも優しくて。帰宅も毎日18時でした。

――それはウキウキですね。

屋敷:でも、翌週から状況が一変するんです。そのまま1週間帰れなかったやつがいたり、ソーラーカーで長旅へ出たやつも。

――屋敷さんの担当は?

屋敷:希望していた『ネプリーグ』に入れてもらえて。

――担当していかがでしたか?

屋敷:毎日のように怒られていましたね。たとえば、品川庄司さんが『ヘキサゴン』に出演していたシーンを、『ネプリーグ』で使いたいという話があるとします。

そうなると、まずは『ヘキサゴン』のプロデューサーにハンコをもらってから、編成部に行ってハンコをもらい、次はアーカイブの部署でハンコなど、5つくらいスタンプラリーをするんです。

――同じ局の番組でも、簡単ではないんですね。

屋敷:あるときプロデューサーに、「品川庄司の許可は取ってるの?」と聞かれて、「もちろん取っています」と。「じゃあ、ここに映っている足の女性は?」みたいなことを聞かれて、「ちょっとわからないです」と言った瞬間にキレられて。

正解はいまだにわからないんですけど。もうとにかくすごい剣幕で、頭が真っ白になってしまって。気づいたら社内でぼくが起こした一件についての会議が開かれていました。あれはいまだにトラウマです。

――そこまで!?

屋敷:あと、当時、山手線の田端駅に住んでいて、沿線の大塚駅を通るたびに吐きそうになってたんです。その時の直属の上司の名前が「大塚さん」で、文字を見るだけで恐怖が蘇ってくるほどでした。

――あははは。その名前出しちゃってOKなんですか?

屋敷:もう大丈夫です。お笑い芸人と演出家の関係になってからは、仲良くさせてもらっています。

多忙を極めたAD時代、支えてくれた同期の絆 

――ADの仕事は、どれくらいでコツがつかめましたか?

屋敷:最後まで掴めなかった。でも、『ネプリーグ』から『鉄腕DASH』の担当になって少し良くなりました。というのも、地方にロケへ行く企画が多かったんです。

――地方出張はどうであれ楽しいですからね。

屋敷:西表島に、干潮のときだけ出現する座礁船があって。それを撮影するために僕だけ残ったんです。業界用語で言う「追撮」です。初体験なので夢中で撮っていたら、満潮になっちゃって。

――それヤバくないですか?

屋敷:焦らなかったですね。船の先端にいれば溺れることはないですから。今思えば危険ですけど、過酷な毎日だったので、それくらいはピンチと思えなかった。夜中に6時間くらい舳先でじっとしていました(笑)

――ロケやロケハンの開放感が味わえるだけで、仕事のキツさは同じなんですね。

屋敷:はい、忙しさはハンパじゃなかったです。ロケの5日前から家に帰れず、睡眠時間もほぼナシ。オンエアが終わると、単独ライブが終わったくらいの開放感がありました。

――仕事終わりは遊びましたか?

屋敷:同期のひとりとオンエア日が同じだったので、一段落のタイミングが一緒なんです。その子とは街に繰り出してよく遊んでいました。

あとは、机の中にビールを隠しておいて、徹夜で誰もいないときは同期だけで屋上にあがって飲んだりもしました。今思うとめっちゃ青春みたいで楽しかったです。

――当時、同期は何人くらいいたんですか?

屋敷:結構多くて13人いました。そのうち残っているのは3人。同期のグループLINEがあって、そこに全員いますね。みんな同じときにともに苦労したので仲良いですよ。

個室ビデオ店で見たM-1のDVD Disc2がきっかけ 

――今は「働き方改革」で、最近はADも早く帰れるみたいですね。

屋敷:今はもう全然、若い人が楽しそうに仕事してますから。先日、知り合いの作家さんが僕のいた会社に行ったら、人を殴っている絵に「×印」が書かれたポスターが貼られていたって(笑)

――そんな日々のなか、いつ頃から芸人になりたいと思うようになったんですか?

屋敷:順調に働いて出世した未来を想像したときに、なんかテンションが上がらなかったんです。ということは、一番やりたいことではないんだなと思って。じゃあ一番やりたいことはなんだろう? と考えたら芸人だったんです。

――背中を押すような、大きな出来事があったのですか?

屋敷:当時、仕事の空き時間に個室ビデオに行くのが楽しみだったんです。ある日、個室ビデオでAVを観た後に、M-1グランプリの舞台裏を集めたDisc2を観ていて。そうしたら急に涙が溢れてきちゃって。「あかん、俺はこっち側に行きたい!」と思ったんです。

――いきなりですか?

屋敷:お笑いが昔から好きで、高校生の頃からなりたいとは思っていたんです。でも、そこまでの覚悟はないわけです。

――社会人になってふと立ち止まったときに、やりたいこと・なりたいものがクリアに見えたんですね。

屋敷:うわっ、芸人かっこええ! って。

――それですぐに辞表を出すと。

屋敷:いや、それが、ひとつ上の先輩が突然「実はオレ、芸人になろうと思っているんだ」と言い出して。聞いたらすでにプロデューサーにも伝えていると。そこから3日間くらい、辞めたいけど言えない日々が続きました。

意を決して伝えたら案の定、「あいつに影響されたのか?」と聞かれて。そこはしっかりと「前から芸人になるつもりでした」と言って辞めたんです。


後編:ニューヨーク・屋敷裕政┃会社を辞めた翌日、全身を恐怖に震わせた出来事

【連載】あの人だって元ビジネスマン!
〇ダニエルズ・あさひ┃破天荒な会社員時代 浮気がバレてホームレス状態になったことも
〇フランスピアノ・山本┃「辞めないでくれ!」先輩のメッセージに応えられなかった9ヵ月間のAD生活
〇フランスピアノ・なかがわ┃ 辞めるときは自分で言うから「芸人になりたかったら早く辞めろ」とか言うな!
〇やさしいズ・タイ┃大阪勤めで経験した「面白ければオールOK!」の文化。笑いとともにあった会社員時代
〇ルシファー吉岡┃会社を辞めるに至った3つの出来事。ピン芸人、ミスチル、○○○!
〇GAG・福井俊太郎┃芸人の夢を語らなかった男がある事件で翌日退職。芸人の道へ

文/富山英三郎 撮影:佐坂和也

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