いま、新たな舞台で活躍しているあの人にも、実はビジネスマンとして会社勤めをしていた日々があったそうです。
しかし、なぜ彼らは会社員を続けなかったのでしょうか。ただ単に彼らは向いていなかったのでしょうか。どんなビジネスマンだったのかを訊いてみました――。
今回は、ピン芸人のルシファー吉岡さんのインタビュー【前編】をお届けします。大学院まで卒業して、前途有望な社員だったにもかかわらず、なぜ安定を捨てて芸人の道を志したのでしょうか。
1979年生まれ。島根県出身。マセキ芸能社所属。東京電機大学大学院修了後、自動車部品メーカーの開発部門に配属されるも、10月で退職してマセキタレントゼミナールに入学する。同校3期生として、2016年以降4年連続で「R-1ぐらんぷり」決勝に進出するなど、今後活躍が期待される。
「えっ!? 芸人にならないの?」忘れられた約束
――ルシファーさんは、理系の大学院を卒業されたエリートなんですよね。
ルシファー:院にいったのは、ただ猶予期間が欲しかったというだけで……。
――大学4年間では足りなかった?
ルシファー:当初は、大学入ってすぐにお笑い芸人になろうと思っていたんです。でも、「せめて卒業してから」と母親に懇願されて延期したんですよ。地元の友だちとコンビを組む約束もしていたのに。
――もともとはコンビだったんですか?
ルシファー:いや、それが大学3年のとき連絡したら、「芸人なんてやらないよ、俺は就職する」と言われてしまって。そこから慌てて進路を考えて、ひとまず大学院に進んだというわけです。
――その友だちとは、あまり濃い関係ではなかった?
ルシファー:まぁ、僕は東京の大学、彼は岡山の大学に進んだので。
――まさかの遠距離! 友だちからしたら、「あの約束、まだ続いてたの?」という感じですよね。
ルシファー:だと思います。高校の文化祭で、後夜祭みたいなのがあるじゃないですか。彼とはそこで漫才をやって、大爆笑をとっているんです! 先生にも「お前は芸人になれる」と太鼓判をもらって。
――そういう人多いらしいですね……。相方に断られたのはショックでしたか?
ルシファー:すごくショックでした。そもそも連絡したのが1~2年ぶりだったんで、嫌な予感はしていたんですけど。断られたらやだなっていうのもあって、あまり連絡してなかったんですよね……。
――お友だちの心境、お察しします。お笑いの養成所や専門学校ではなく、なぜ大学院を選んだのでしょう?
ルシファー:大学院卒だと初任給が高いじゃないですか、入社後の給料の伸びもいいらしいし。
あと、大学3年生の就活時期ってなんか周りすごくないですか? 今まで一緒に遊んでたのに、「みんな急にマジじゃん」みたいな。僕自身も「この雰囲気の中でお笑い芸人やるなんてちょっと言えない」っていうのがあって。
――お笑い芸人を目指しながら、初任給も気にされて。でも、簡単には大学院に入れないですよね?
ルシファー:ちゃんと勉強しました。なんでしょうね。熱心に勉強したのはしたんですが、「就職したくない熱心さ」といいますか。
――理系は院生になってからも忙しいですよね。
ルシファー:そうですね、理工学部だったかな? あまりにも関係なくなっちゃったんで覚えてませんね(笑)。人工血管を研究していました。学会とか研究とかあったりしてわりと忙しかったですね。
――そのころ、お笑いとの接点はどういうものでしたか?
ルシファー:学校から帰ると必ずレンタルビデオ店に行って、お笑いビデオ数本とエロビデオを借りる日々でした。エロビデオ見てから、お笑いのビデオの順ですね!(笑)
――たまにお笑いライブに行かれたりは?
ルシファー:いや、行ってないですね。
――失礼ながら、ここまではただのお笑い好きのような感じですね。
ルシファー:そうなりますね。その何年間かずっとただのお笑い好きですね。
――では、大学院を卒業したらマジメに就職するぞと。
ルシファー:芸人の世界は半ば諦めていました。そもそも、ピンでお笑いをやる考えがなかったんです。ダウンタウンさんが好きだったので、「お笑い=幼馴染がコンビでやるもの」という先入観もあって。
――そうなると、院生の定番コースである、教授に勧められた会社に入るわけですね。
ルシファー:はい。たいてい教授の紹介だと一発で内定が決まるはずなのですが、なぜか最初の一社は落ちて、人工血管とは関係ない会社に入りました。モーターショーに出品するコンセプトカーに装着する、未来感のあるライトを担当していました。
サラリーマンの一番のツラさは「ランチタイム」だった!
――どれくらいの規模の会社だったんですか?
ルシファー:従業員が700~800人くらいですかね。
――大会社ですね。そこを10ヶ月で辞めたわけですよね。
ルシファー:仕事が辛かったというより、サラリーマン生活が辛かったんです。会社から徒歩5分の寮に住んで、朝7時に起きて仕事して、昼休憩して仕事して、たまに残業があったりの繰り返し。朝・昼・晩、社員食堂。そんな毎日を繰り返していたら、「えっ、またランチタイム?」みたいな。昼休みが憎くなってきたんです。
――それは、就職してどれくらいのタイミングでしたか?
ルシファー:夏くらいです。
――仕事自体は楽しかったわけですよね?
ルシファー:面白かったですよ。みんなで協力しながら、でっかいプラモデルを作るみたいな仕事。好きな人はすごく好きだろうなと思いながらやっていました。
――寮生活だったようですが、週末に同僚や同期と遊びに行くこともなく?
ルシファー:全然なかったですね。一緒に仕事をするのは小さいチームだったんで、2~3人上司みたいな人がいて、もう1人先に入った人の5人とかだったんでかなり狭い中で仕事してましたね。でも、そこの関係性に対してもまったく不満はありませんでした。
――そこからどうお笑いの世界に行くのでしょうか。
ルシファー:一番のキッカケは、劇団ひとりさんとバカリズムさんのネタを観たことなんです。ピン芸人でこんなに面白いネタをやる人がいるんだ! と衝撃を受けました。そのときに、「ピンでもやっていいんだ」と思ったんです。
――相方を探す必要がなくなって、ぐっと夢に近づいたわけですね。
ルシファー:そのタイミングでポカリスエットのCMが流れてきて、ミスチルが「♪生まれたての僕らの前にはただ、果てしない未来があって~」(※)と歌うわけです。それを聴いて「くぅーっ!」となったんです。
――名曲『未来』は、自分のために作られたんじゃないかと。
ルシファー:そこからは早かったですね、パーっと開けた気がして。
ランチタイムの苦痛、ピン芸人。そしてミスチルがそろったとき、辞めようという気持ちになりましたね。
――まわりの人はどんな反応でしたか?
ルシファー:会社を紹介してもらった大学教授にはあいさつに行ったんですけど、ちゃんとは言えませんでした。
「やりたいことがあるんで、3年頑張ってみます」としか。そしたら「何をやろうとしてるのか分からないけど、3年でうまくいくはずないから、成功するまで続けなさい」って。
しばらくして、その研究室のHPに、「卒業生にお笑い芸人もいます」みたいな紹介をしてくれていて。「あ、気づいてくれたんだな」っていうことがありました。先生まで届いてよかったなっていうのはあります。
――お母様はどんな反応でしたか?
ルシファー:そこですよ。母親に電話して「会社辞めて、お笑い芸人に」のタイミングで、食い気味で「わ~ん」と泣かれたんです。その速さにびっくりしました。
――名女優のようですね。
ルシファー:そうなんです。そこから30分くらい罵詈雑言が続いて、「アンタなんて面白くないんだから!」「アンタが被り物をしたって誰も笑わないわよ!」って、いつの間にか被り物をする前提になっていたり……。
――あははは。でも、何かしらの異変を感じていたんでしょうね。
ルシファー:そうでしょうね。あとから聞いた話では、ずっと元気がなかったので心配していたらしいんです。
――その解決策が、まさかのお笑い芸人。
ルシファー:転職ならまだしも、母親にとって最悪のアンサーだったわけです。
(後編に続く)
―――
この連載では、会社勤めの経験がある著名人に会社員時代のちょっとやんちゃなエピソードを伺っていきます。後編では、マセキタレントゼミナール3期生の「カルチャースクールの落ちこぼれ」時代から「芸人中途採用」の経緯をお届けします。
後編:ルシファー吉岡┃「カルチャースクールの落ちこぼれ」から「芸人中途採用」へ! 謙虚さが生んだルシファー吉岡の「笑い」
【連載】あの人だって元ビジネスマン!
〇ダニエルズ・あさひ┃破天荒な会社員時代 浮気がバレてホームレス状態になったことも
〇やさしいズ・タイ┃大阪勤めで経験した「面白ければオールOK!」の文化。笑いとともにあった会社員時代
〇フランスピアノ・山本┃「辞めないでくれ!」先輩のメッセージに応えられなかった9ヵ月間のAD生活
〇フランスピアノ・なかがわ┃ 辞めるときは自分で言うから「芸人になりたかったら早く辞めろ」とか言うな!
文/富山英三郎 撮影:佐坂和也
※:Mr.Children『未来』より引用
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