マラソンを陰で支える「ランニングプロデューサー」の仕事とは?

都内の名所をコースに盛り込んだ「東京マラソン」の開催をきっかけに、全国的に広まっているマラソンブーム。

マラソンを陰で支える「ランニングプロデューサー」の仕事とは?

都内の名所をコースに盛り込んだ「東京マラソン」の開催をきっかけに、全国的に広まっているマラソンブーム。

昨今では各主要都市においても大規模な市民参加型のマラソン大会が続々と新設され、その勢いは増すばかりですが、そうしたマラソン大会を「ランニングプロデューサー」という仕事が支えているのをご存知でしょうか。

そこで今回は、ランニングプロデューサーの仕事について、夏の風物詩ともなった「24時間マラソン」に立ち上げから関わり、現在は「湘南国際マラソン」のプロデューサーを務める坂本雄次さんに伺います。

ランナーの自己表現の舞台をつくる


-ランニングプロデューサーの具体的な仕事内容についてお教えください。

坂本雄次さん(以下坂本):開催スケジュールや費用の管理、マラソンコースの設計、救護や給水所の設置、記録の計測、運営スタッフの管理、参加者集めなど、マラソン大会全体のコーディネートをしながら、企画から運営までを行うのがランニングプロデューサーの仕事です。マラソン専業の会社で大会全体の総合プロデュースを行っているのは、きっと私くらいしかいないと思います。


そもそも、今でこそ主要都市や各地方でマラソン大会が開催されるようになりましたが、かつて日本では「マラソン=観戦するスポーツ」で、市民が「大会に参加してみたい」と思っても出られる大会がありませんでした。

しかし、そんな状況が変わったのが昭和50年ごろ。マラソン雑誌が創刊されたのを機に、どんなウェアを着ればいいか、走る前のストレッチや運動後のケアはどうしたらいいのかといった情報がどんどん得られるようになってきたんです。数年後には短い距離の大会も増え、市民の方が自分の練習の成果を発揮できる場ができてきました。

-そうした場が今でいう「市民マラソン」なのですね。

坂本:そうです。とはいえ、当時のマラソン大会を運営していたのはほとんどが学校の先生か市の職員の皆さんで、給水所も満足に準備されていなかったり、記録も手計測によるものだったりと、単純に走ることが好きな人に走ってもらうだけのものでした。プロとしてマラソン大会をゼロから構築し、参加者を集めて受け入れる運営専門の会社はなかったんです。

そうしたなかで私たち(株式会社ランナーズ・ウェルネス)が行ったのは、大会を参加者であるランナーの「自己表現の舞台」として捉えて開催すること、そして公金をもとに開かれる従来の大会とは異なり、参加者からの参加料で、きちんと救護体制を整えるなど費用に見合ったサービスを提供することでした。今では市民参加型のマラソン大会の開催を機に、そうした公金頼りではないスタイルのマラソン大会も多く開かれるようになりましたね。

自分の人生を変えるものに対峙(たいじ)してみよう


-ご自身はどのような経緯でランニングプロデューサーとなられたのでしょうか。

坂本:誰しも学校卒業後に社会に出て仕事を長く続けていくと「自分の人生と仕事」について考えるときがくるはずなんです。私の場合、それは45歳のときでした。


私は大学卒業後に電力会社に就職して、会社で陸上部の監督をしていたのですが、私自身もよく走っていて、自分なりに作った東京・京都間のコースなども持っていたんです。そんななか、芸人の間寛平さんがギリシャのスパルタスロンで246km走るというとてつもないレースへ参加することが決まったのですが、寛平さんが「ギリシャに行く前に東京・大阪間のトレーニングがしたい」ということで、雑誌社を通して私に援助の依頼がきたのです。

その依頼がきっかけで「自分の人生と仕事」について考えたときに、電力会社の技術屋としての自分が、定年までにどうなっていくかという未来はなんとなく見えてしまったんですね。それなら、たった一度の人生だし、15年間やってきたマラソンがもう少し世の中に普及するために一つでも多くの舞台づくりをしたいと思い、マラソンの道を選びました。

実際、寛平さんが参加したスパルタスロンは超ウルトラマラソンで、ランナー全員が「何が何でもそこまで行かなくてはいけない」というミッションを抱えながら246km先のゴールを目指しているわけです。それで私自身、「昼夜で40度近い寒暖差があるなか、完走する体力と精神力って何なんだろう」、「人間ってそこまでできるのか」と感じたことから、長距離マラソンの愛好者がいるなら日本でその舞台づくりをしていくことが、自分にとって取り組みがいのある仕事なんじゃないかなと思ったんです。

-世の中にないことにゼロから取り組むのはリスクも大きいですよね。

坂本:そうですね。ほとんどの場合は失敗するし、そもそも普通だったら待遇も福利厚生も良い電力会社を辞めないですよね(笑)。

でも、私自身その安定の道に進んでいくことが自分の人生の納得につながるかといったら、そうじゃないと感じました。それなら、「今自分の人生を変えてくれようとしているマラソンにもっと対峙してみよう」と、挑戦したんです。

-マラソンの道を選んだなかで、ランニングプロデューサーという裏方の仕事を選んだきっかけは何だったのでしょうか?

坂本:スパルタスロンは本当にヘビーなレースで、150km以上走ると体力的にも精神的にも疲れ果て、休憩も食事も着替えも自分一人でできなくなるので、必ずサポートしてくれる人が必要なんです。

人間は、一人でできることもたくさんあります。でも、そうではないスポーツもあるんだなと知ったときに、裏方は表に立つ人と同じくらい重要なポジションだと気付けたので「裏方になろう」と思ったんです。

-ランニングプロデューサーとして自力で大会を立ち上げていくノウハウはどこで培ったのでしょうか?

坂本:マラソン大会の運営について教えてくれる先生もお手本もなかったので、何が必要なのかは自分で考えていきました。

例えば、自分があるマラソン大会に出たいとすると、まずエントリーの手続きが必要で、それに合わせて参加費を支払わなければならない。その後ゼッケンの通知があって、当日はゼッケン引き換えをし、走る前に荷物も預ける。そんなふうに参加者の気持ちになって、何があればランナーが助かるか、喜ぶかを考え、時にはほかの大会から良いところを見習いながら、ノウハウを蓄積させていきました。

寛平さんがスパルタスロンに再挑戦をする際、「東京の近郊で100kmくらいの練習コースを作れないだろうか」と相談があったので、富士五湖を練習コースとして使っていたのですが、せっかくならみんなで楽しみながら走れるようにと有志でランナーを募り、大会として催したんです。それが私の手がけた最初の大会でしたね。

ランニングプロデューサーは高ぶりで鳥肌が立つ仕事


-ランニングプロデューサーという仕事をしていてよかったことは何ですか?

坂本:まず、参加者との触れ合いがあることですね。例えば100kmマラソンの場合、ゴールしたランナーの多くが、完走できたというご本人の達成感に加え、「よくぞ開催してくれた!」と私たちに対して感謝してくださるんです。ゴールした皆さんの喜びや感謝の声が飛び交うその瞬間があるからこそ、しんどい仕事でもコツコツ準備してきてよかったなという気持ちになります。

完走したいと思うランナーの気持ちと、それをサポートしたいという私たちの気持ちがつながっているからこそ、参加した皆さんの声をダイレクトに受け取ることができるんです。

次に、大きな達成感を味わえることです。例えば大会のプロデューサーになると、あらゆる業務を動かす指揮者のような存在になります。警察や道路関係者、スポンサーといった皆さんの動きを調整しながら、大会当日を迎え、さらに当日の結果を一括で掌握できる。そうした全体を指揮する人にしか分からない醍醐味(だいごみ)が味わえるんです。

最後に、自分なりに味付けした大会が開催できることです。そういう意味ではとてもクリエイティブな仕事であり、飽きません。ゼロベースで作ったものを最後まで自分の手で確認できる仕事はなかなかないですし、数万人規模の大会の運営は緊張もしますが、高ぶりで鳥肌が立つんです。ランニングプロデューサーはそんな仕事です。

予測以外のアクシデントにも臨機応変に対応


-では反対に、ランニングプロデューサーの仕事において大変さを感じるのはどういった点でしょうか?

坂本:予測以外のアクシデントが起こったときに、何事もなかったかのようにきちっと運営するのはやはり大変です。例えばランナーのために道路を規制するのですが、コース上で予期せぬトラブルが起こったり、予想以上の天候の荒れに見舞われたり。

実際に過去の湘南国際マラソンで、台風の影響による高波でコースの一部だった西湘バイパスの擁壁が崩落し、予定していたコースが使用できなくなったことがあるんです。まさかコースの一部が落下するとは誰も思っていなかったのでコース変更の対応に追われて大変でした。あとは、不調を我慢して無理に参加した人が体調を崩してしまったり、一昨年は大会中にドローンが落ちてきたこともありました。

常に考えなければいけないのは大会における危機管理です。ボランティアや自治体、スタッフ、いろんなところでいろんな人が大会に関わっているので、随所で起こりうるさまざまなトラブルを予想し、対策、管理することが必要不可欠です。でも、それは大変というよりも、“しなくてはいけないこと”だと思っています。

あとは開催資金の調達ですね。参加料金だけでは賄えず、公金も使えない自治体が「それでも開催したい」となった場合は、われわれが赤字を覚悟でやらなければいけないときもあるので、そうした大会を抱えているときは資金の工面に苦労します。

最も必要とされるのはマネジメント能力


-ランニングプロデューサーという仕事にはどんな要素が必要とされるのでしょうか?

坂本:仕事上の対象者は多岐にわたり、対象期間は長期に及ぶので、それらを調整していくマネジメント能力が一番求められます。それから、さまざまな関係者と常時連絡を取りながら開催当日まで運んでいくので、スケジュールなどの管理能力も問われますね。

また、参加者を受け入れる側に立つには参加者としての視点も必要です。私の場合、コースの走りやすさ、会場の設備やアクセス、結果がきちんとあとに残る大会かどうかなどを参加者の視点で考えながら、より良い大会にできるよう取り組んでいます。

人生の納得につながることとは何か


いかがでしたでしょうか。「自分の人生と仕事」について考えたときに、「自分の人生の納得につながるから」と、安定が約束された電力会社ではなく、マラソンを選んだ坂本さん。

皆さんも人生と仕事のあり方について迷ったときは、自分の人生の納得につながることとは何かについて考えてみると、進むべき道が見えてくるかもしれませんね。


識者プロフィール
坂本雄次(さかもと・ゆうじ) ランニングプロデューサー。1993年に「100kmウルトラマラソン」や「24時間リレーマラソン大会」など各種の全国大会を企画・運営する株式会社ランナーズ・ウェルネスを設立。日本テレビ『24時間マラソン』には立ち上げから携わり、ランニングを主体としたテレビ番組の監修・運営・タレント指導というテレビ界における新ジャンルを開拓する。2007年には神奈川県初となるフルマラソン「湘南国際マラソン」の立ち上げに尽力。著書に、『ウルトラマラソンのすすめ』(平凡社)、『フルマラソン完走法』(主婦の友社)、『なぜあなたは走るのか 激痛に涙あふれてもなお』(日本テレビ出版)、『あなたもできるフルマラソン』(学習研究社)など。

※この記事は2016/02/24にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

page top