ピース又吉だけじゃない! 歴代芥川賞作家10人の意外な職歴とは!?

読書芸人のピース又吉直樹さんが『火花』で第153回芥川賞を受賞し、大きな話題となりました。しかし実は歴代の芥川賞受賞者にも、意外な職歴を持つ人物がたくさんいるのをご存知ですか? 今回は、意外な職歴を持つ芥川賞作家をピックアップしてご紹介します!

ピース又吉だけじゃない! 歴代芥川賞作家10人の意外な職歴とは!?

読書芸人のピース又吉直樹さんが『火花』で第153回芥川賞を受賞し、大きな話題となりました。しかし実は歴代の芥川賞受賞者にも、意外な職歴を持つ人物がたくさんいるのをご存知ですか? 今回は、意外な職歴を持つ芥川賞作家をピックアップしてご紹介します!

知ってた? 芥川賞作家の意外な職歴

 

北杜夫(1960年上半期『夜と霧の隅で』で第43回芥川賞受賞):精神科医、医学博士


歌人斎藤茂吉の次男として生まれた北杜夫(本名は斎藤宗吉)は、東北大学医学部を卒業後、慶應義塾大学病院助手を経て、兄が経営する神経科病院に勤務していました。

医師として診療をするかたわら執筆を行い、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。ナチスドイツの時代における精神科医の苦悩を描いた同作品は、精神科医である北杜夫さんだからこそ書くことができた作品だといえるでしょう。

宮本輝(1977年下半期『螢川』で第78回芥川賞受賞):コピーライター


サンケイ広告社でコピーライターとして働いていた宮本輝さん。しかし25歳のとき、不安神経症(現在のパニック症候群)を発症しました。

28歳のときに仕事中に襲う恐怖が極限状態となり退社。以後、本格的に自宅で小説を書き出したそうです。コピーライターとして培った表現力と繊細な感受性が、彼の作品につながっているのかもしれません。

赤瀬川原平(1980年下半期『父が消えた』で第84回芥川賞受賞 ※尾辻克彦がペンネーム):前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家


昨年10月に亡くなった赤瀬川原平さんは1960年にグループ ネオ・ダダ、1963年にハイレッド・センターを結成するなど、前衛美術家として活躍していました。千円札を印刷して芸術作品としたため、刑事事件に問われ有罪となった「千円札裁判」でも知られています。

1968年ごろからは、漫画家・イラストレーターの領域でも活動したのち、70年代末に本格的に執筆活動を開始。1981年に芥川賞を受賞しました。80年代以降は道端の建物や看板などを鑑賞する「路上観察学会」の活動を精力的に行っていました。

辺見庸(1991年上半期『自動起床装置』で第105回芥川賞受賞):共同通信社記者


作家になる前は共同通信社のエース記者として活躍していたのが、辺見庸さん。北京、ハノイ特派員などを務めたのち退社し、作家活動を始めました。

記者時代に中国共産党の機密文書をスクープしたことで、中国当局から国外退去処分を受けたことは、記者としての能力ゆえの出来事でしょう。記者時代に培った文章力が、小説でも存分に発揮されています。

辻仁成(1996年下半期『海峡の光』で第116回芥川賞受賞):ミュージシャン、映画監督、演出家


1985年にロックバンド「ECHOES(エコーズ)」のボーカリストとしてデビューした辻仁成さんは、1989年に『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞し作家デビュー。1997年に『海峡の光』で、芥川賞を受賞しました。

作家、ミュージシャンの他にも映画監督、演出家としての顔も持つ辻さん。江國香織さんとの交互連載という形式で執筆された『冷静と情熱のあいだ』という作品は映画化されたので、皆さんにもなじみがあるかもしれません。

町田康(2000年上半期『きれぎれ』で第123回芥川賞受賞):ミュージシャン


辻仁成さんと同じくミュージシャンから作家になったのが、町田康さん。1981年に「INU」というバンドのボーカリストとして、アルバム『メシ喰うな!』を発表しています。さらに俳優としても活躍するなど、マルチな才能を発揮しています。

青来有一(2000年下半期『聖水』で第124回芥川賞受賞):長崎市役所職員


長崎市役所に勤めるかたわら執筆活動をしていたのが、青来有一(せいらい ゆういち)さん。現在は長崎原爆資料館の館長を務めており、今年5月に発表した『人間のしわざ』(集英社)という作品でも、故郷である長崎が経験した原爆の悲劇に向き合っています。

玄侑宗久(2001年上半期『中陰の花』で第125回芥川賞受賞):臨済宗の僧侶


芥川賞作家である玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんのもう一つの顔は、なんと僧侶! 慶應義塾大学中国文学科を卒業後、さまざまな仕事を経験したのち、京都天龍寺専門道場に入門。僧侶として働くかたわら、執筆活動を行いました。

玄侑さんが暮らす福島県が被災した際には、政府が設置した「復興構想会議」のメンバーにも選出されています。

川上未映子(2007年下半期『乳と卵』で第138回芥川賞受賞):ミュージシャン


川上さんは作家になる以前の2002年、川上三枝子名義でミュージシャンとしてデビュー。アルバム『うちにかえろう?Free Flowers?』を発表しています。その独特の文体からは、ミュージシャンらしいリズム感が垣間見えます。

円城塔(2011年下半期『道化師の蝶』で第146回芥川賞受賞):WEBエンジニア


円城塔(えんじょう とう)さんは東北大学理学部物理学科、東京大学大学院総合文化研究科博士課程、研究員等を経て、2007年から有限会社シングラムのウェブエンジニアに。2008年10月退職し、専業作家となりました。

エンジニアと小説家はまったく異なる職業のようですが、実は『重力ピエロ』や『アヒルと鴨のコインロッカー』といった作品で知られる伊坂幸太郎さんも、システムエンジニアを経て小説家になっています。

まとめ



芥川賞の歴代受賞者をみてみると、近年になるにつれて作家以外の職歴を持つ人物が多く受賞しているようです。

元プロ陸上選手の為末大さんは、以前キャリアコンパスのインタビューで次のように言っています。


僕は、必ずしもそのようにして最短距離で目標を目指すことだけがベストとは思いません。むしろその理想にたどり着くためには、遠回りをすることでしか得られないスキルや知識があると思うんです。

(引用:【為末大の未来の授業Vol.1】現代キャリア学 -理想に近づくには遠回りも必要?-)



又吉さんをはじめ、他の仕事をしながらも芥川賞を受賞した作家たちは、遠回りに見えるような仕事を経験したからこそ、多くの人に受け入れられる作品を世に送り出すことができたのかもしれません。皆さんもひょっとしたら、5年後には今とまったく違う仕事で有名になっているかも?


※この記事は2015/07/28にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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