アートって、ビジネスに使えるかも。「はたらける美術館」に聞く、創造力を養うアートのみかた

「はたらける美術館」は、閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいました。そこにあることを知らなければ、気づかず通り過ぎてしまいそう。

アートって、ビジネスに使えるかも。「はたらける美術館」に聞く、創造力を養うアートのみかた

「はたらける美術館」は、閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいました。そこにあることを知らなければ、気づかず通り過ぎてしまいそう。

ここは単なる小さな美術館ではなく、本物のアート作品に囲まれながら働くことができるワーキングスペース。自分の好きな絵画と向き合いながら、洗練された空間の中で自由に好きなことができます。アートのある空間でワークをすることには、一体どのような意義があるのでしょうか? 今回はアートに秘められた可能性やビジネスパーソンとの関係について、「はたらける美術館」の館長・東里雅海(あいざと・まさみ)さんにお話を伺います。

美術館の中で好きな過ごし方を


「はたらける美術館」は、若者の起業支援を行うGOB Incubation Partners株式会社とアートギャラリー・至峰堂画廊銀座店の共同経営によって、2016年の4月にオープンしました。現在は9つの画廊の協力のもと、貴重な絵画を館内に飾り、プライベートな美術館という空間をつくり上げているのだとか。現在は東里雅海さんがこの小さな美術館の館長を務められています。

はたらける美術館館長・東里雅海さん



「本物の絵画が飾られた小さなこの空間で、一人でマイペースに仕事や読書をしたり、誰かと会議や企画出しをするなど、自由な使い方をできるのが特徴です。また『ART for BIZ』というアートを鑑賞しながら創造力を養う、対話型鑑賞をベースに開発したプログラムも開催しています。私たちはオフィスに代わる空間と、ビジネスに役立つスキルという2つの価値を、アートを通じて実現することを目指しているんです」(東里さん、以下同じ)


誰にも邪魔されることのない、まるで自分のためだけに設えられたかのような佇まいのワーキングスペース「はたらける美術館」。浮かんでくるのは「なぜ仕事をする場と美術館との融合を選んだの?」という疑問です。それには日本のオフィスに対する東里さんの問題意識と、アート界が抱える“ある事情”がありました。

「私自身も就活の時期に、いくつか企業のオフィスを訪問しました。その時に、どこの会社のオフィスもなんだか画一的でどこかピリッとした緊張感があり、仕事以外の話がしにくい印象を受けました。

長期間のインターンも経験しブレストにも何度か参加しましたが、息苦しく感じる場所でアイデアを出すのはとても難しかった。今度は息抜きに、一人でカフェに行ってみてもざわざわして落ち着かない。その経験から、本当に気持ち良く働ける場所って他にないの?という思いを持ったんです」


扉を開くと、ふわっと立ち上る木の香り。通路にヒノキが組まれ、つるんと丸いきれいな石に敷かれた黒の石畳をトントンと歩いてゆく。



では、アート業界が抱える“ある”事情とは?

「実は日本人って世界的に見ても非常に展示会が好きで、美術館にも頻繁に足を運んでいるんです。それはもちろんいいことなのですが、人が集中しすぎるあまりに一部のところでは、学芸員さんが館内の作品やその歴史背景を説明をする本来の職務を果たせず、まるで警備員のようなことをせざるを得ない状態になっているんです」

「The Art Newspaper」の発表によれば、昨年日本で開催された「ルノアール展」の来場者は約67万人で、昨年の世界の美術展来場者数ランキングでトップ10入りを果たしました。今年開催された「ミュシャ展」の来場者数も約66万人になり、日本の美術展人気がうかがえます。確かに、数カ月の展示でこれほどの人数の対応をする職員さんが大変なのは想像にたやすいもの。

「一方で、美術館と同じくアート鑑賞ができる画廊は、集客で伸び悩んでいる状況。行ったことがない方からすると敷居が高い、画廊としてはたくさんの人に来て欲しい思いはあるけど高級感は保ちたい。どっちつかずの状態なんです」

大学卒業後は起業家として活動をしていた東里さんはそんなアート業界の課題を知り、それを解決するビジネスモデルの発案に取り掛かります。その解決策の一つとして生まれた「アートの中で働く環境を作る」というアイデアに自身の就活での経験が重なったそう。

「もし、静かで洗練されたアート作品がすぐ近くにある、“自分だけの美術館”のような環境で働けたら、とてもいい刺激があるのではないか。アート作品は画廊から借りて展示すれば、その美術館へ来てくれた人が画廊へ足を延ばすきっかけにもなるかもしれません。そうしてこの『はたらける美術館』の構想が生まれ、GOBの支援のもと、その一事業部として運営が始まりました」

 

来るべきAI時代。自分の価値を高める鍵は創造力


こうして実現した「はたらける美術館」は、従来のオフィスや、よく耳にするようになったコワーキングスペースとも全く異なる雰囲気に仕上がっています。

「オフィスともカフェとも美術館とも別様の価値をつけるために、和室のようなデザインを採用しました。そんな当館のコンセプトは、『禅』。仕事や自分自身とじっくり向き合えるようにという願いを込めています」


静かで洗練された空気感が漂うこの場所だったら、余計なものに惑わされず、しっかり仕事と向き合うことができそう。そして、少し頭をあげれば一級のアートを目と鼻の先で鑑賞できる。それだけでも質の高い時間を過ごせるのではないでしょうか。

「月に一回ほど、はたらける美術館でご自身の作品のアイデア出しにいらっしゃる漫画家さんがいます。その方は『ここでひらめいたアイデアは、アートを見てこそ思いつけたんだ。一級のアートに囲まれた空間にいることで生まれたアイデアには、価値があると自信が持てる』とおっしゃっていました」

良質な時間と場所に浸りひらめいたアイデアは、なんだか誰かに話す勇気が湧いてくる。この感覚に共感できるという方は、多いかもしれません。

そもそも、世界的に見ればアートとビジネスはすでに親密なものであるのだそう。

「海外では美術館で仕事をしたり、読書をしたりというのは、とてもポピュラーなことなんです。さらに企業の上級管理職のアートへの関心も高く、例えばコンサルティングを生業とする方がキャリアアップする時、MFA(美術学修士)を持つとMBAを取得するのと同じくらいの評価されることがあるそうです。採用サイドもアートについての理解のある人を採用する構造が成り立っているんですね」


臨床心理学者の前田基成さんは奥村高明著『エグゼクティブは美術館に集う』の対談の中で、海外の金融関係などのエリート層がアートを学ぶ潮流を「美術の考え方を生かした問題解決の仕方を学ぶ目的ではないか」と述べています。ビジネスとアートを結びつける理由としては、答えのない問いに向かい合うビジネスの世界において、アートを通じて身につく「創造力」が求められていることが挙げられそうです。

「アートに知見があれば、アイデアを伴う問題解決力があると評価されるのかもしれません。そのような創造力こそ、AIがこれからますます社会に台頭する流れの中で、ビジネスパーソンに欠かせないスキルとなっていくという理解が成り立っているのでしょう」

自分の仕事が、10年後はAIにとって代わられるかもしれない。そのために自分にしかできない仕事をして自身の価値を高めるためには、今後は職種にかかわらず創造性が重要な鍵となるのでは、と東里さん。

「そこで役立つのがアートなんです。創造力って、なにも絵を描いたり、モノを作る力のことだけではないのかもしれません。アートを鑑賞し思考を巡らせ、それを言葉にしてみる。脳の非言語領域にあるイメージを対話によってうまく言語化していくという癖が身につけば、自分の中でまだ形になっていない思いをアイデアとして表現できるようになるんです」

ぼんやりした想像をアイデアへ昇華する、アート鑑賞の可能性


アート作品の鑑賞法のうち、アート作品を見て感想やそこから自分が想像したことを他者と話し合いながら観賞を行う「対話型鑑賞」というものがあります。ニューヨーク近代美術館で開発されたこの鑑賞法は、美術館スタッフなどから解説を受けるだけの鑑賞法と異なり、ナビゲーター(美術館のスタッフなど)や他の参加者と会話のキャッチボールを楽しむことで成立するもの。創造力や考える力を養い、また話す力や他人の話を聴くコミュニケーション能力を育てることに効果を発揮するのだとか。確かに、これらの能力はまさにビジネスパーソンのスキルとして欠かせないものではないでしょうか。

「この『対話型鑑賞』を日本のビジネスパーソン向けに構成した『ART for BIZ』というプログラムもここで実践しています。『はたらける美術館』に飾られた絵画には、説明や値段どころか画家名や絵のタイトルすら書かれていないんです。参加者の方にはこれらの作品を鑑賞して、どう感じたかなどを文字や言葉にしていただきます。そうして他の参加者の意見を聞きながら自由に会話をし、解釈を広げていくんです。そして最終的には絵にタイトルをつけてもらっています」

 

「ART for BIZ」の風景。口頭で表現するのが苦手なビジネスパーソンを考慮し、まず紙上に文字で作品を鑑賞し感じたことを自由につづってもらう。



「絵の解釈には失敗も正解もありませんし、私も最後まで本当の絵のタイトルはお教えしないんです。解釈を言葉にできた時点で鑑賞としては成功。違う意見を受け入れ、視点の違いを楽しむこと。これこそが対話型鑑賞の目的でもあり、ビジネスで人間関係を築いていく上でとても有効なのではないでしょうか」

働く場所としての美術館と、コミュニケーションを通じて創造力を培う鑑賞方法。今まで経験したことのなかったアートとの触れ合いを通じて、その新たな価値に気づく利用者の方も多いそう。

「『仕事に活きるスキルが身につくなんて、実はアートって便利なのね』とおっしゃっていただけます。アート関係の方からすればちょっと違う感覚かもしれませんが、アートの世界に足を踏み入れる入り口になっていますよね。

ほかには、プログラムを体験した後日、『オフィスに絵がかかっていることに初めて気がついた』という感想をくださった方がいらっしゃいました。街中や建物の中にもアートは意外にたくさんあるのですが、目に入っていなかったということですよね。でもアート鑑賞の仕方を身につけることで、世界を見る視野が広がったのかもしれません」


アイデアを生むきっかけと自信をもたらし、ビジネスに活きるスキルを養うツールともなるアートの可能性。創造力を養うべく、アート作品を見る時に意識したいポイントについても東里さんにお教えいただきました。

「ぜひ、五感を使ってアートを楽しんでください。『この作品は誰が、何年に、どういう背景で』なんて、授業のような見方じゃなくてもいいんです。自分がどう見たいのか、どう見ているのかを見つめていただければと思います。まず目の前の作品の好き、嫌いをジャッジしてみましょう。その後に、なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかを自分の言葉で考えてみてください。

分からないものと出会った時こそ、脳が『なんだ、これは!』と、すごく活性化するんです。そのカオスの状況を整理して言葉にする訓練を普段からしておくと、例えば予定外の質問をされた時にスッと答えられる瞬発力も身につきます。自分にとって未知のものと接する回数を増やすほど、アイデアや思考をアウトプットできるようになりますよ」

 

「ここで働くからこそ」。場所に価値を見つけよう


アート業界の課題を解決するとともに、働ける場所として新たな価値を創出している「はたらける美術館」。最後に、東里さんから20代のビジネスパーソンに向けてメッセージを頂きました。

「誰もが自分の働く場所を選びたいと思っているはずです。以前、ある企業の社員に向けて『会社の外で仕事がしたいですか?』というアンケートをとった時、7割ほどが『したい』と回答していました。みんな、新しい刺激を求めてオフィスの外に憧れを抱いているのかもしれませんね。

働く場所を選ぶことは、自分の働き方を選ぶことです。それは今後のキャリアやステップアップと関係してきます。一つの場所にとどまるのではなく、ぜひ自分の働く場所を模索してみてください。例えば会社の自分のデスクにずっといるのではなく、試しに空いてるスペース使ってみる。それだけで効率や居心地が変わるかもしれません。ご紹介した漫画家さんのように、働く空間に意味を見いだして、用途によってワーキングスペースを選択してほしいと思います。そうすることで、働き方や人生の可能性を広げてみてほしい、そう願っています」

仕事に追われ、つい足早になっていた歩みを緩めれば、普段は気づかず通り過ぎていたものが目に留まります。アートに限らず心惹かれるモノや場所をご自身で見つけて、その時に湧き上がった感情をぜひ素直な言葉で表してみてください。そうすることで視野が広がり、感性は研ぎ澄まされ、仕事だけでなくあなたの人生をもきっと豊かにしてくれることでしょう。


(取材・文・編集:東京通信社)

識者プロフィール


東里雅海(あいざと・まさみ)
1993年生まれ。大学在学中に複数の新規事業立ち上げに携わる。企業に内定を得るが卒業後には起業家への道を選択。現在は、はたらく人の創造性を解放するためにはたらける美術館の立ち上げを行う。はたらける美術館館長としてビジネスマンへ向けたアートの翻訳に奮闘中。
はたらける美術館:http://art-housee.com/yoyogi/

※この記事は2017/11/22にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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