自分の強みを見つけるには、心がえぐられる痛い言葉を受け止める。大木亜希子の仕事観とは?

小説家の大木亜希子さんは、これまで女優やアイドル、会社員とさまざまな仕事を経験してきました。その仕事観には、我々にも通ずる新しいはたらき方のヒントが隠されているのではないでしょうか。これからの時代のはたらき方や、自分の強みの見つけ方を大木亜希子さんにお聞きしました。

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女優、アイドルを辞めて味わった巨大な敗北感。その先で大木亜希子が見つけたキャリアのヒント

ゼロから始めた社会人生活「会議の裏でビジネス用語をググってた」

――アイドルから会社員になり、新しい環境ではたらくのはとても勇気がいることだったと思うのですが、どのように仕事を覚えていったのですか。

大木:恥も外聞もかなぐり捨てて、とにかくすべてを吸収することに徹していました。ビジネスメールの打ち方や、請求書の作り方が書かれたビジネス基礎の本を買って、メモ帳に内容を書き込んで会社のロッカーに貼り、毎朝自分で見直して「よし私は今日も行ける」と言い聞かせていました。

あと文章を書くスキルについては、上手だなと思った人の記事を毎日ノートに「写経」して、文体やリズム感を覚えていました。そして、いいと思った記事はスマホのメモ帳に入れておいて、自分だったらどういうタイトルをつけるか研究したり、上手な文章を書くライターさんに連絡をとり、懇願して文章について教わったり。アイドル時代と同じように、あらゆることを吸収するつもりでゼロから勉強していました

――そこまで努力できるのは本当にすごいですね。

大木:劣等感でなんとか頑張れたのかもしれないです。会社員になる前、私は「一般的な社会人は大学を卒業してすぐ会社に入社して、みんなどんどん仕事を覚えて上達している」と思っていました。私は25歳で会社員になったので、自分は他の人と違って何も知らない新参者なのだという劣等感でいっぱいでした。

たとえば入社して直後の会議で、「ブリッジ」とか「フィックス」みたいなビジネス用語を交えて話されて、まったく意味が分からなかったんです。だから、その言葉が分かったフリをしながら、裏でググって意味を調べ、なんとか得意先の話についていこうとしました。

――そこに新しいチャレンジや今までと異なる環境に挑戦しようとしている人へのヒントがありそうですね。

大木:新しい環境に飛び込むとき、最初だけはハッタリでいいんじゃないかって思います。ただ、大事なのはハッタリで終わらせないこと

「本物」になるために素直にわからないことは質問しつつ、自分に振られた仕事は弱気なところを見せずに堂々とやりきる。そういう姿勢を怒る人はいないはずですし、続けていればいずれ仕事にも慣れていくと思います。

心がえぐられる痛い言葉をまっすぐ受け取る

――当時の大木さんのように、現在キャリアについて悩んでいて、自分の強みを模索しているような人にとって、その状況から脱するきっかけのようなものはあるのでしょうか。

大木:自分の人生を振り返ったときに大事にしていたのは、自分の核心を突く痛い言葉を誰かから言われたときに、無視したり反論したりせずに「言われて嫌だったな」という痛みを受け入れて「たしかに、それも一理あるな」と捉えることです。実はこれが自分を知る一番の近道ですが、多くの人はなかなかできません。

私は19歳の頃、NHKの朝ドラのオーディションを次から次へと受けていました。その時点で大きな仕事はしていなかったので、審査員からほとんど相手にされませんでした。私ではなく、隣にいる期待の新人女優にばかり質問される。あるときそれが本当に嫌になっちゃって、オーディションでセリフが飛んじゃったんですよね。頑張ることに疲れたし、実際、私のことなんて誰も見てないって思って。

そのとき、審査員から「セリフくらい覚えてこい!」って怒鳴られたんですが、当時の私は腐っていたからまったく響かなくて。その日の夜に母に電話して、この話をしました。私は、母なら自分の味方をしてくれると思い「結局、審査員の見る目がないんだよね」って言うと彼女から「その考えだけはやめろ!」と強く怒られて。

「人が自分を見る目がない」ではなく「自分が何を学ぶか」「何を反省するべきか」を大事にすべきと言われました。とても悔しいし敗北感がありましたが、その言葉は深く心に残って、事あるごとに自分に言い聞かせてきました。苦言を呈してくれる人の言葉に、いつも答えがあると思うんです。

――痛いところを突かれると、できるだけ聞かなかったことにしてしまいますよね。

大木:最近でもたくさんあります。現在は小説家として活動しているのですが、文芸の編集者はとても鋭くて、私が一番言われたくないようなことをビシッと指摘します。言われた瞬間はもう寝込むくらいつらい。だけど、それが真実だから受け入れるしかありません。

もっとも大事なのは、核心から逃げないこと。恋愛にも甘えず、お酒にも逃げず、孤独を受け止める。それでしか道は開けないのかなって思いますね。

――大木さんはどうして逃げずに受け止められるようになったんですか?

大木:やはり過去の経験と敗北があったからだと思います。今でも自分はすごいなんて一切思わないですが、女優、アイドル、会社員のすべてで敗北を味わってきて、「今度は、自分ができることに身を捧げよう」と決めていますし、常に最善を尽くそうとしていて。厳しい言葉を言われたときに受け止めることが、自分を救う方法だと信じています。

夢はなかなか叶わない。でも使命は見つけられた

――今は「人生100年時代」とも言われ、同じ会社に一生勤める終身雇用制も限界を迎えつつあります。そんなこれからの時代、大木さんはどのようなはたらき方で生きていくといいと考えますか?

大木:大前提として、誰にも寄りかからないようにキャリアを確立することが大事だと思います。性別に関わらず「結婚すれば安泰」という時代は、終わっていると思いますので……。そこで、誰にも依存しないために、複数のコミュニティを持つことをオススメします。

私だったら、タレント業、作家業、ライター業の3つ。それと今は不定期ですが、趣味でスナックのママをやっています。これはお金にはならないけど、人と話す訓練にもなるし、何かあったら戻れる心のよりどころになる。

パラレルワークという言葉が最近流行っているけれど、それよりも、心の安定を得るためにいくつものコミュニティに所属するのがよいと思うんです。そこで自分の才能を実験し、違うなと思ったら辞めてまた次のチャレンジをしていくとよいのではないでしょうか。キャリアって、人と同じじゃなくて自由でいいんだと思います。

――大木さんにおけるスナックのように、心のよりどころも重要な意味を持つんですね。

大木:もうひとつ、私は「夢ではなく使命で生きる」という考え方が大事だと思っていて。私にとって、夢とはファンタジーであり、誰もが自分の理想像として掲げているもの。一方で、使命は人から言われて初めて気づく、誰かの役に立てる得意分野です。

女優やアイドル、スポーツ選手になりたいなどの夢を叶えるのは、多くの場合、めちゃくちゃ競争率が高い。私は10代で夢を叶えるために努力しましたが、敗北しました。だけど「使命」については、その人にしかない何かが必ずあると私は思っているんです。たとえば「人の話を聞くのが上手」とか、「街角でゴミを拾える気遣いができる」とかもそう。具体的で現実に根差した人の役に立つ得意分野は、誰しも必ず一つは絶対あります。

私はキャリアの最初で夢に生き、敗れたことで、進むべき道を見失いました。でもきっと多くの人が、どこかの段階で夢に敗れます。そこからが「使命」の出番です。夢のためにお金を捨てるのではなく、お金の面でも精神的な面でも折り合いをつけられる、自分の使命を探してみるんです。私は作家という職業が自分の天職であり、使命だと確信しています。だから、どんな大変なことがあってもへっちゃらなんです。

現状に悩んでいる人に対して、今すぐ会社を辞めて夢に飛び込んでしまえとか、お金がなくたって生きていけるとか、そんなきれい事を私の口からはとても言えません。
そうではなくて、どんなわずかなことでもいいから、自分の使命を探してみることで、自分の目指すべき場所が見つかるのではないかと思います。

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女優、アイドルを辞めて味わった巨大な敗北感。その先で大木亜希子が見つけたキャリアのヒント

【プロフィール】
大木亜希子●2005年に女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演した後、10年にアイドルグループ・SDN48のメンバーとして活動開始。12年に卒業。15年からWebメディア『しらべぇ』編集部に入社。18年にはフリーライターとして独立。現在は作家業を中心に活動。著書に『シナプス』(講談社)、『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)がある。

取材・文=弥富文次
写真=萩原昌晃
編集=小林雄大

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