時代は変わる。私も変わる。“人の穏やかな歩み”を念頭に描いた、塩谷舞のキャリア

自身の人生のさまざまな局面を丁寧な言葉で紡いできた、文筆家の塩谷舞さん。会社員からフリーランスに転身した背景や、その過程で変化した価値観、時代の変遷に応じた働き方について、お話を伺います。

塩谷舞のキャリア

Webライターとしての躍進、渡米直後に遭遇したパンデミック、帰国して得た新たな暮らしなど、自身の人生の局面を丁寧な言葉で切り取り、発信してきた塩谷舞さん。現在は、noteマガジン「視点」の連載や、2024年4月発売の新刊『小さな声の向こうに』(文藝春秋)の執筆など、精力的に活動されています。前編では、会社員からフリーランスに転身した背景や、その過程で変化した価値観、時代の変遷に応じた働き方について、お話を伺います。

良いものを伝えたい。その思いが、“発信”を生業にする原点だった

――最初に、塩谷さんのキャリアの振り返りからさせてください。大学卒業後、制作会社に入社しWebディレクター・広報として活躍されたのちフリーランスとなり、ニューヨーク生活を経て現在は文筆家としてご活躍されていますよね。最初に社会に出るとき、なぜメディアを選ばれたのでしょうか。

高校生の頃から、「才能がある人たちの存在を、どうしたら世に伝えられるんだろう」「そういう人たちのそばにいたら、どんな景色が見られるんだろう」といったことに、すごく興味があったんです。今の時代ではまだ価値が見出されていないものを見つけて、「ここに良いものがあるよ」と教える。そんな仕事ができないかと考えていたんです。

そういう動機で京都市立芸術大学の美術学部に入りました。美術学部ではありますが、絵を描いたりデザインをしたりするのではなく、学芸員やキュレーター、美術編集者を育てるような学科に通っていたんですね。

それで大学時代からフリーマガジンを立ち上げて、アーティストに取材したり美大生にアンケートをとったり、実践的なことばかりしていました。その後入社した会社は、ITやアート、カルチャーといったことを多く取り扱うメディアを運営していたので、そうした活動から地続きのキャリアを築けるんじゃないかと思ったんです。当時はまだ10人程度の小規模な会社で新卒採用もしていなかったんですが、「即戦力です、働かせてください!」って押しかけて(笑)。そこから試用期間を経て入社しました。

――いわゆる就職活動を経ての入社ではなかったんですね。

はい。最初の2年間は、受託でWebサイトやパンフレットを制作する制作事業部でディレクターとして働いていました。そこで福祉関係から医療関係、美容や金融などあらゆるジャンルのクライアントの制作を経験したことで、アートシーンだけではなく社会のことや大きなお金の流れについて勉強することができたのは良かったですね。

塩谷さん_インタビュー中写真

――ただその時期、多忙すぎて休職したこともあったそうで。

当時は今ほど労働の問題が注目されていなくて、ハードワーカーが賞賛される風潮もまだまだあった頃でした。毎日3時間くらいの睡眠で、1人で大量の案件を回すのが当たり前で。それで心身がついていかなくなって、しばらく休ませてもらうことになりました。「辞めようかな」「東京で働くのはもうしんどいな」と思っていたんですが、親には「石の上にも三年」というよくある言葉で励まされてしまう。

だけど同じ仕事をこのまま1年やるのは納得できなかった。それで社長に直談判して、会社自体の広報をやらせてもらうことになりました。会社には、ものすごく文化に造詣が深くて魅力的な人が多かったんです。それは大きな資産なのに、そうした知見を活かす機会の少ない受託業務ばかりやっていることは、クライアント側にとっても、社員にとってもミスマッチなんじゃないかな、と。もっとこの会社の個性を前面に出していったらいいのではないかと思っていました。そうして念願の広報になり、最後の1年間は会社のブログをやったりプレスリリースを打ったり、あちこちで会社の強みを説明して回っていましたね。

パラレルワークを選んだことが、伝え方を見つめ直す契機に

――2010年代の半ば頃ですよね。当時、塩谷さんのお名前をネットで見かけることが増えていったのを記憶しています。ご活躍の中で退職・独立を決められたわけですが、もともといずれは個人で仕事がしたいと考えていたのでしょうか?

いつか独立する、というのは入社前から心に決めていました。今のようにエッセイストになるとはまったく思っていなかったんですけど、自分個人でメディア力を身に付けていずれは独立したいな、と。でも会社員として働いていると、「目の前にいる人たちのためにがんばりたい」とか「引き受けたからには手を抜けない」とかやっぱり考えるんですよね。そういう中で辞めるのは迷いもありました。

ただ、広報をはじめて1年ほどが経ち、会社の問い合わせ窓口に入ってくる仕事の内容がガラリと変わっていった実感があって。もちろん当時の時流や、会社の方針転換、社員の強みなどの要素が複合的に組み合わさった成果ではあったのですが、自分自身でも仕事に大きな達成感を得られたんですね。「嫌だから辞めたい」と思っていた1年前と違って、成果を残すことができたんだから、もう次の仕事を始めてもいいだろう、といった気持ちになれたんです。だから気持ちよく辞めることができたかな、とは思っています。もちろん、つらい職場環境から逃げることも時には必要だとは思いますが。

塩谷舞さん_読書中写真

――その後フリーランスになると同時に、お菓子のスタートアップ企業のオウンドメディア編集長に就任されます。なぜこのお仕事を始めたのでしょうか?

私は結構、臆病者なんです。会社員の頃から私のSNSは多くの方にフォローいただいていましたし、制作の仕事もご相談いただいてはいたんですけど、フリーになったら本当に生活していけるのか? という不安は残っていたんですよね。そのときに声をかけてもらったのが、そのスタートアップ企業ですね。

最初は「社員にならないか」というご相談だったんですが、フリーランスとして他の仕事もしたかったので、パラレルワーク(複数の本業を持つ働き方)にできないか、と。それで週に2〜3回はオフィスに行きオウンドメディアの編集をやったり広報の仕事を手伝ったりする働き方になりました。一定の収入がそこで担保できたことは、精神的な安心にすごくつながりましたね。

それに、会社員時代は受託としてクライアントのお金で何かをする立場だったのが、今度は事業会社。まだ会社の規模も小さかったので、実際に商売の現場を近くで見ることができたんです。お菓子が潰れて悲しんでいるお客さまからの電話に対応している子が隣の席にいたり、実際にお菓子を焼かせてもらってどれだけ衛生に気をつけているかを知ったり。今まで広告や広報で何かを伝えることをしてきたけれど、本当のところはどれだけ最後までちゃんと伝えられていたのかな、と考えるようになりました。

「どう食べてもらうかまでコミュニケーションしなきゃいけないのに、それよりもインパクト重視の広告ばかり作っていたな」「コミュニケーションのちゃんとした在り方って何だろう」って。オウンドメディアの仕事をする中でそういうことを勉強させてもらいました。

前進だけが、進歩じゃない。取りこぼしを掬うことで得られる共感

――受託のお仕事から始まってオウンドメディアの中に入って、そして今の塩谷さんは自身の感性や考えを発信するエッセイを書かれています。キャリアを振り返ると、いわばどんどん内側に入っていくような流れだったのかなと思いました。

それはあるかもしれません。でも面白いもので、内側にも社会があるのだと、すごく思うんです。私は日本という気候風土の中で育った身体を持ち、日本社会で育まれた思想を持っている。だからヨーロッパで生活すると水や気候が合わないことがあったり、女性としての振る舞いで違和感を抱くことがいろいろあったりする。そう考えると、自分の内側といっても本当に個性と呼べるものはどれぐらいなのか。ほとんどが時代や環境によるもので、純粋に個性と呼べるものって一握り。時代や環境、周囲の空気というものが自分を形作っているのだと思わされます。

だから、自分が書いているけれど時代に書かせてもらっているというか、内側のことを書いているけれど社会とより深くつながっていくような感覚があるんです。ある種、他者をインタビューするときと同じように、自分自身にある癖や個性、嫌なところなんかも観察していく。もちろん自分の話になるので狭くはなるんですけど、そこに別の客観的なデータなどを重ねて論じることもできます。自分のことと社会のことを切り分けるのではなく、そこは限りなく地続きなものであると捉えています。

塩谷舞さん_タイピング

――以前にnoteで「三年に一度図らずも転職をしているようだ」という旨を書かれていました。転職や新しいことへの挑戦はしていても、究極的には同じことをしているようなイメージでしょうか。

そうですね。自分は一人の人間なので、そんなに急に変わったことはできないなと思います。でも一方で、時代の流れは絶対に変わっていく。3年前には最適な方法だと思っていたものが今は受け入れられなくなっていたり、今の自分の信念に照らせば手放さなければいけないものが出てきたり。だからフリーランスになってからも、Webディレクターをやり、SNSコンサルタントをやり、ライターをやり……と微妙にマイナーチェンジを繰り返していて、今はエッセイスト。ある意味では、私は自分がやっていることにこだわりがないんです。

文章を書くことはもちろん好きだけれど、同時に情報や気持ちを伝えるための術でもあります。そうした術が、動画や写真になることもある。そのときの気分に一番適した媒体を選んでいるように思います。気分というのは、私自身の気分でもあり、時代の気分でもあるのかもしれません。

逆に言うと、だからこそWebから紙媒体に戻って本を書かせてもらったんだと思います。20代の頃はIT産業の中にいたので「新しいものを使わなきゃ」「テクノロジーをどんどんキャッチアップしなきゃ」って思っていました。でもそうやって社会全体が新しいものばかりを追いかけていると、これまでの人類の営みを残したり、愛したりする人が少なくなってしまう。そうした気持ちを抱いてからは、消費スピードが比較的ゆっくりとした本の世界に活動の軸足を置いています。どんどん先に進もうとするのではなく、時代が取りこぼしたものを掬いたいと思っています。

【プロフィール】
塩谷舞(しおたにまい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊。会社員を経て、2015年より独立。2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。オピニオンメディアmilieuを自主運営。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。著書に『ここじゃない世界に行きたかった』『小さな声の向こうに』(文藝春秋)。
個人サイト
X:ciotan

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