元AKB48メンバーの島田晴香さんは、現在アイドルのセカンドキャリアをサポートする企業「株式会社Dct」を経営者しています。8年間のアイドル人生のあと、島田さんはロンドンに留学、帰国後は広告代理店にも勤めました。そんな彼女がどんな思いで起業したのか? 前編では自身の経験からセカンドキャリアを踏み出すために必要なことを伺いました。
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やりたいことをどう見つけるか 株式会社Dct 島田晴香の「幸せの探し方」
妖精のような存在だけがアイドルではない。正直な自分を肯定してくれた言葉
──AKB48の加入・卒業、留学、広告代理店勤務、株式会社Dct設立、旅館の若女将(おかみ)と、さまざまな経験や職歴のある島田さん。ご自身の人生の中で一番のターニングポイントを挙げるならいつでしょうか?
AKB48を卒業したときですね。卒業してロンドンへ語学留学に行きました。そこでは時折、人種差別も受けました。またいろんな国の人と話をして、宗教や思想に触れ合うことができました。どれもAKB48メンバーのときにはできなかった経験ですし、そこで世界が開けてガラッと人生が変わった気がします。
──ではまず、そのターニングポイントを含む、AKB48時代から卒業して広告代理店へ就職するまでについて教えてください。島田さんは2009年に9期生としてAKB48に加入し、2017年まで8年間AKB48のメンバーとして活躍されました。AKB48所属時代に人から言われた、一番印象的な言葉は何ですか?
秋元(康)先生が言ってくださった「島田の正直さが好きだ」です。
AKB48は365日ずっとドキュメンタリー用のカメラが密着しています。しかし私はそれを気にせず、メンバーやスタッフさんに思ったことをどんどん言っていたんです。時には「カメラ下げてください!」とも言いました。今思うと、生意気な発言でしたね(笑)。
加入当初はアイドルに対して妖精のようなイメージを勝手にもっていました。でも私のイメージを気にしないような姿が秋元さんの目に留まって「正直さが好きだ」と言ってもらえた。そのとき、自分を肯定してもらえた気がしました。
白が似合うだけがアイドルじゃない。白が似合う人もいれば、黒や赤、黄色が似合う人もいる。それぞれの色があっていい、そしてその中で自分の力を伸ばしていくことが大切なんだということもAKB48時代に学びました。
──島田さんはAKB48に8年間所属されていました。8年間続けられた原動力は何だったと思いますか?
先輩たちが偉大だったことですね。私は9期生なのですが、当時9期生から「AKB48の次世代」と呼ばれていました。プレッシャーもありましたし、「まだまだ先輩たちに追いついていないよね」というファンの方の意見も耳に入ってきていました。先輩たちが作ってくださったAKB48を守りたいし、進化させたいという思いもあり、とにかく先輩たちに追いつけ追い越せという気持ちで必死でした。先輩方が卒業されてから「今のAKB48って誰がいるか分からない」と言われたくないという気持ちから、メンバーそれぞれが個々に自分にできる役割を探して頑張っていたんです。
──そこで島田さんが見つけた役割はどんなことだったのでしょうか?
私は1度しか選抜メンバーに選ばれることがなかったので、後輩を育てることに目を向けるようになりました。新しく入ってきたメンバーや研究生とよくコミュニケーションを取るなどです。コンサートではフロントメンバーを選抜メンバーが引っ張っていくぶん、フロント以外でまとまる部分は私が声をかけたりしました。特に卒業する2年前くらいからは「みんなを支えたい」「後輩に何かを教えたい」という気持ちが強くなっていった気がします。当時の経験が今のセカンドキャリアをサポートする仕事にもつながっているのかもしれません。
──島田さんがご自身の卒業を視野に入れ始めたのはいつですか?
21、22歳のころですね。プライベートの友達が就活を始めて、両親とも「今後どうしていくの?」という会話が増えました。その時期から「自分がやりたいことは何だろう? それは芸能界なのか、違う世界なのか」という自分への問いかけが増えていきました。
ロンドン留学をきっかけに意識したセカンドキャリア
──そこで島田さんは芸能界を引退し、広告代理店へ進むわけですね。芸能界ではない道を選んだのはなぜでしょうか?
AKB48としての活動中も、私は自分のことより後輩や周りのメンバーをケアすることが多かったんです。だから自分が注目を浴びるより、人に寄り添う仕事がしたいんだろうなと思っていました。それで「注目を浴びる芸能界ではない方がいいかもしれない。どんな仕事がしたいんだろう」と考えるようになって。
もともとスポーツが大好きで、AKB48のときもテニス番組に出演させてもらったり、雑誌でテニスの連載をさせてもらっていたりしていたので、スポーツ関係の仕事について調べるようになりました。その中でスポーツマネジメントという仕事を知り、すごく興味が湧きました。
そこで仕事をご一緒していたテニス関係の方にあるスポーツマネジメント会社の採用基準を聞いたんです。そしたら「まずは英語がしゃべれないと何もできない」と言われて。そこでAKB48を卒業してロンドンへ留学することを決めました。
──最初はスポーツマネジメントを目指していたんですね。
はい。でもロンドンで語学を学びながらスポーツ選手とお話をしていく中で、スポーツ選手がみんなセカンドキャリアについて考えていることを知りました。そのときに「自分も今、セカンドキャリアを歩んでいるんだな」ということに気付いたんです。
そのとき初めて「アイドルのセカンドキャリア」について考えるようになりました。そして「先に卒業した先輩たちは、卒業後に何をしているんだろう」と思って調べてみたんです。するとかなり多くの方が芸能界に残っていて、あとはご結婚されて主婦になっている。いわゆる「一般企業」に就職してはたらいている人も若干いますが、そういう人は大抵大学3年生くらいでAKB48を辞めて、就活をして新卒で就職していたんです。
でも大学に進学しているAKB48メンバーはごく一部で、多くは学歴にコンプレックスを抱えている。そうすると自信を持って就活できないのだと思います。また中学や高校から芸能コースのある学校に通っているメンバーも多い。友達も芸能界にいるので、外の世界との接点がない状態のまま年齢を重ねてしまうんです。すると卒業後の選択肢が自然と芸能界に限定されてしまう。
世界はもっと広いのに、芸能界しか視野に入っていないのはもったいないなと思ってしまって。それに気付いてからは、「自分が外の世界で経験したことをプログラムにして、アイドルのセカンドキャリアをサポートする仕事がしたい」と思うようになりました。
──とはいえ、島田さんはAKB48のメンバーとして、ある種の名声を手に入れてきたと思うんです。その名声や、それまで築いてきたキャリアを手放すのに勇気はいりませんでしたか?
他のメンバーにも「何で(キャリアを)捨てちゃったんですか?」とよく言われます。でも私の中では「手放した」とか「捨てた」という感覚はありません。AKB48だったからこそ今この仕事をしているし、広告代理店ではたらいていたときもAKB48のときに培ったコミュニケーション能力が営業に役立ちました。
自信を失いかけた会社員時代。乗り越えたきっかけはプライドを捨てること
──純粋にご自身が幸せになる道を選んだだけということなんですね。アイドルのセカンドキャリアをサポートしたいという答えがみえた島田さんですが、ロンドン留学から帰ってきて、広告代理店に就職されました。
本当は帰国してすぐに起業したいくらいの気持ちでした。でもビジネスをするには社会人として経験が足りないと感じたんです。だからビジネスパーソンとして必要な能力や経験を手に入れるために、まずは会社員生活を始めました。そこでは営業の仕事をしたり、企画を作ったりしました。ビジネスマナーも基本から教えていただきました。
──それまでとは全く違う生活、全く違う仕事内容だったと思いますが、苦労したことはありますか?
すべてが大変でした。できないことが多くて心もズタズタになり、毎晩お酒を飲んで苦痛を和らげていました。はたらく前は「祝土日が休みと決まっていればやりたいこともできるし、予定も組みやすい!」と思っていたのですが、いざはたらき始めると「月曜日が来てほしくない……」と思って(笑)。
パソコンのスキルが全然ないことが一番の苦しさの原因です。人に聞く勇気もなかったので、メールアドレスの設定だけで1日終わってしまう。「資料作っておいて」と言われて、同じ年齢の同僚が1〜2時間で作れる資料に私は1日も2日もかかっていました。「私はこれまで何をしてきたんだろう」と自信を失いかけましたね。
──そのつらい時期をどう乗り越えたのでしょうか?
「恥ずかしい」という気持ちを捨てて人に聞くようにしました。あとはとにかく調べる。それを繰り返しているうちに、徐々に「何が分からないか」が分かるようになってきて、自分に足りないこと、苦手なことが見えてきたのが半年後くらい。そこからは営業もスムーズにできるようになってやりがいを感じるようになりました。
異なる業界に踏み込むために。まずは調べたり人に話したりする時間を設けて
──先ほど「AKB48時代に培ったコミュニケーション能力が営業に生きた」というお話がありましたが、反対に会社員時代に「元AKB48」という肩書きに悩まされたことはありますか?
最初は元AKB48ということを隠していましたし、もし気付かれても軽く流していました。なぜなら「元アイドル」という先入観を持たれてしまうことに不安があったからです。
でもふと「それって私自身がAKB48だったことを恥じていることにならないか」と思って。「私はAKB48になれてよかったと思っているし、アイドルをやってよかったと思っている。だったらアイドルだったことを隠す必要ないな」と思ったんです。
それから気付かれても「え、見ていてくれたんですか? うれしいです」と切り替えるようになって。それが会話を盛り上げるきっかけになることに気付いてからは、むしろ「元AKB48」という肩書きを積極的に生かしていきました。
──それが、先ほどおっしゃっていた「AKB48での名声を手放したという感覚はない」ということにもつながるのかもしれませんね。アイドルに限らず、島田さんのように異業種への転職を考えている人も多いと思います。そういう方にとって大切なものは何だと島田さんは考えますか?
本当は「1歩踏み出す勇気」とか言いたいですが、たぶん私が第三者としてそれを読んだら「いや、その1歩が踏み出せないんです」という気持ちになると思うんです。だから「1歩踏み出す勇気」とまでは言わないです。ただ1歩踏み出すために、まず調べたり周りに話してみたり、何か行動を起こしてみることが0.5歩として大切なのかなと思います。
いまだに転職をネガティブに受け取る人もいるかもしれませんけど、私は全然悪いことだと思っていません。よく「異業種に挑戦するのは大変じゃないですか?」と聞かれます。たしかに「挑戦しなきゃよかった」と思ったこともありますが、今振り返ると「挑戦してよかった」としか思わない。もちろん幸せは人それぞれ違いますので、皆さん自分が思う幸せをつかみ取ってほしいなと思います。
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やりたいことをどう見つけるか 株式会社Dct 島田晴香の「幸せの探し方」
【プロフィール】
島田 晴香(しまだ はるか)
アイドルグループ「AKB48」の第9期生メンバー。同グループ卒業後はロンドンへの単身留学や広告代理店での勤務を経て、2020年にアイドルのセカンドキャリアを支援する株式会社Dctを設立。現在、経営者として活躍する傍ら、地元・熱海で両親が営む「旅館 立花」の若女将(おかみ)として運営をサポートする。
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