人気番組「フリースタイルダンジョン」の審査員を務め、今年デビュー10周年のキャリアを持つ人気ラッパーであり、主宰レーベル「DREAM BOY」の代表取締役という2つの顔を持つKEN THE 390さん。
実はアーティストとして活躍する前は、会社員をしていた異色の経歴の持ち主。そんな彼はどんな道のりを歩んで、現在に至ったのでしょうか? 好きなことを仕事にする決意やそのバックグラウンドにスポットを当て、お話しを伺いました。
もともとはラップを仕事にしたいとは思わなかった
-KEN THE 390さんといえば、アーティスト活動以外にレーベルの代表も務めていますが、具体的にはどんなことをされているのですか?
ウチは音楽レーベルとアーティトマネージメントの両方をやっていて、自分の音源を含めて所属アーティストの原盤制作、ライブやイベントなどのマネージメントが主な業務です。最近はどん兵衛のCMをはじめ、企業がCMでラップを使いたいときの音源の制作を行ったりもしています。
-そもそも、HIPHOPに興味を持ったのはいつごろでしょうか?
高校2年生のころですね。当時はミクスチャー音楽がはやってたんですよ。後ろはバンドでボーカルはラップみたいな、そういうのがすごい好きになって。高校では友達とバンドを組んでレッチリなんかをカバーをしてました。そうすると自然にロックの音楽だけじゃなくて、HIPHOPも聴くようになり、気づけばラップの方が好きになっていましたね。
-当時はDragon Ashがミリオンヒットを記録したり、RIP SLYMEが注目され出して、まさにHIPHOP全盛期でしたよね。高校時代はYOU THE ROCK★やRHYMESTERを聴いて影響されたのだとか。
スゴかったですね! 他にはエアージャムとかも人気のころで、Hi-STANDARDもはやっていて。音楽的にはHIPHOPもすごいし、メロコアもすごいしみたいな。
-高校卒業後、早稲田大学に進学されたわけですが、すでに将来のビジョンは定まっていたのですか?
全然なかったですね。高校が進学校だったので、クラスメイトはみんな当たり前のように受験する感じで、俺もなんの疑問を抱かずに受験をしていて。これが受かれば、やっと入試勉強から解放されるぞ!みたいな、狭い視野で勉強してましたね。
-大学生活を振り返ると、どんな4年間でしたか?
大学生活はほとんどラップしかしてないですね。高校のころ、周りはみんなバンドが好きだったし、HIPHOPがはやっているといっても、聴いている子は3人くらいだったんですよ。だから自分たちが好きな音楽は超マイナーだなって思ってたんです。
だけど大学生になってHIPHOPのサークルに入ったら、ラップ好きなやつがすげーいる!みたいな。そういうサークルのメンバーで音楽を始めたり、クラブに行ったりすると急に世界が広がっちゃって。
世代も上下するし、大人もたくさんいるし、あらゆる人に出会える。高校の文化祭の規模感しか知らなかった分、刺激があって、うわー楽しい!って。
-そのとき、そのまま就活せずに、ラッパーになりたいとは思わなかったのですか。
大学3年生まではラップばかりやってましたけど、それでお金をもらったことはなかったし、CDを出す予定もない。音楽が仕事になる実感は全然なかったんです。
だから、胸ぐらいまで伸びていた髪の毛も切って、みんなと同じタイミングで就活を始めましたね。それでも音楽は続けていきたいから、忙しくてもいいんだけど、自由が利きそうな仕事がいいなと思ってOB訪問をしながら探しました。
仕事以外のすべての時間をラップに注ぎ込んでた日々
-大学卒業後はリクルートに就職されたわけですけれど、決めた理由はやはり仕事と音楽が両立できそうだと思ったから?
決めた理由は面接してくれた人が自分に合っているなと思ったからです。会社で決めたというよりも、こういう人たちと働いた方がしっくりくると思ったからです。
-実際、両立はできていたのですか?
激務でしたけど、忙しかったからラップもすごいやってたんだと思うんです。それが自分にとっての息抜きというか。俺は当時もそうだし、今もそうなんですけど、趣味がラップしかないんですよ。会社から帰宅して、みんながテレビ見ている時間に俺はひたすらリリックを書く、みたいな生活でしたね。
-仕事の付き合いで、飲み会の誘いなどもあったのでは?
帰って早くリリックを書きたいから、飲み会はほとんど断ってました。四半期に一度の飲み会は行くんですけど、帰りにちょっと飲んでいかない?みたいなのは全部、拒んでました。
-会社員時代、ライブは月にどの程度していたのですか?
基本的に毎週末やっていたんじゃないですかね、金曜か土曜は必ずライブをしてました。平日はMCバトル行って、そのまま寝ないで会社へ行ったりもして。それが社会人1年目でした。
-同世代のラッパーも同じように働きながら、ライブ活動をしていたのですか。
バイトをしてる人は山ほどいたんですけど、社会人をやってる人はほとんどいなかったんじゃないですかね。当時MCバトルに出ると、めっちゃディスられましたもん。「お前は会社員やりながらラップをやりやがって」って。
だけど、俺は寝ないでそのまま会社へ行くのに、お前は帰って寝るんだろう?みたいな。逆に負けたくないなと思いましたね。
-退職をしようと思ったのはいつごろですか?
会社員になって2年目が終わるぐらい。まだラップだけで食えるほどじゃなかったけど、物理的にすごく忙しくなってきて、土日はライブで地方へ行ったりしなきゃいけないし、リリースするCDの締め切りにも迫られてましたね。忙しいときは朝、会社へ行って、その後はスーツのままスタジオへ行って、始発で家に帰って1時間くらい寝て、また仕事へ行く…みたいな生活がずっと続いている時期があって。
昼休み中に寝たり、トイレでも寝てましたね。それで会社にもレーベルにも迷惑をかけるんじゃないかと思い始めて。締め切りは間に合わないし、リクルートも2年くらいやっていると自分で決める仕事も多かったから、眠そうな顔で仕事をミスったらシャレにならないし。どっちか選ばなければいけないなと思ったとき、迷いなく音楽を選びました。
-退職直後はすぐ音楽活動が忙しくなった?
辞めた直後は働いていた時間が丸々空くので、そんなに忙しくなかったですね。ラップでもらえるお金なんてバイト代ぐらいだったし、普通にご飯食べて家賃払ったらラップのお金じゃ足りないので、貯めてたお金からちょっとずつ使う生活でした。
ちょうど貯金がなくなるころにもらえるお金も増えてきて、「ラップだけで食べていけるかもしれないな」と。メジャーの話が来たのも会社を辞めて、1年後ぐらいで、ちゃんと回り始めたのがその時期です。
もともと、お金は全然使わなかったんですよ。30歳まで海外に行ったことなかったし、スノーボードも行ったことないし、車も買わなかったし、飲みにもいかなかった(笑)。
サラリーマン時代のスキルが今生きている
-そして、リクルートを退職して3年後に、今のレーベルを立ち上げたんですよね。
エイベックスと2年周期で契約していて、3年目になって次をどうしよう、みたいなタイミングでしたね。アルバムにかけられる制作費は落ちてましたし、これなら所属していても、自分で運営しても収入は変わらないんじゃないかと。
それにHIPHOPはもっとやりたいことをやった方が面白いのになと思って立ち上げました。
-自身でレーベルを運営するメリットは何ですか。
100%自分で決められるところじゃないですかね。メジャーの良さは逆にいろんな人が絡んでいるところだと思っていて。メジャーでの活動はロボットみたいなものだと思うんです。自分の手じゃないんですよね、巨大なロボットの手だから右に動かしたいと思ったときにちゃんと操縦できるとめちゃくちゃパワーが出るけど、それが伝わらないとうまく動かないっていう。
俺はそのときにロボットをうまく操縦できていると思っていなかったので、これなら自力で動かした方がいいなと思ったんですよ。だったら自分で一度行けるところまで走って行きたいなって。
-実際にレーベルを運営してみて気づいたたことはありますか。
単なるアーティストのときは、なんで大人たちはこういうことを言ってくるのかとか、つまらないことはやりたくない、っていろんな企画を突っぱねていたんですけど、自分でレーベルを持つようになって、お互いの落とし所が分かってきました。
そのままやってもHIPHOP的にはカッコよくないから、じゃあこういうアプローチをしてみようとか、腹を割って相談できるとお互いにいいんですよね。コミュニケーションって当たり前のことなんですけど、自分のレーベルを持ったことで、お互いの相乗効果が出せるようになった。
-リクルート時代の経験が、今の仕事に生かされたことはありますか。
企画書を出さなきゃいけないこともあるし、自分でお金のやり取りもしなきゃいけないし、それって会社員をやってなかったら難しかったんじゃないかと思います。普通にエクセルを作れるとか、俺らなりのマーケティングを考えてあげられるってすごく重要なんですよ。
まさか、サラリーマン時代の経験なんて役に立たないと思っていたんですけど、意外に生かされてるなって思います。当時はサラリーマンをやっている自分に負い目を感じることもあったのですけど、時間が経つと武器になることがあるんだと気づかされました。今は社会人ラッパーといえば…って選ばれて仕事が来ることも多いし、それができるのは俺しかいないと思うので、あのときに頑張って良かったなと思いますね。
-ちなみに今年でデビュー10周年になりますが、HIPHOPのスタンスは変わりましたか。
基本的には人がどうこうよりも、自分がやろうよという姿勢は変わらないですね。
今やっていることに「意味があることか」を決めるのは、未来の自分
-KEN THE 390さんがHIPHOPを表現する上で根底にあるものは何でしょうか?
“自分にやれることをやる”ということだと思います。HIPHOPシーンからしたら、俺みたいに「進学校へ通って大学にも行きました」っていうだけで、ギョッとされる感じが昔は特にあったんですよ。
結局、そういう自分を負い目に感じるか、それを個性だと思って開き直って、じゃあそんな自分がシーンの中で何をやるか考えられるのか、二者択一だと思っていて。どんな立場にいて、どんな不遇の環境でもプラスに変えるために、自分の価値観の中で何ができるのか追求することこそラップの良さだと思うんです。どんな環境の人でもコンプレックスを抱えていて、それをパワーにしていくっていうのがいいんじゃないですかね。
-最後に、自分のやりたいことを仕事にするとは?
まずは、1回流されてもいいので、現状で頑張ることが何よりも大事じゃないかなと思います。やりたいことって自分に力がつかないと中々出てこない気がします。
一度、自分が今いるところで3年ぐらい、踏ん張ったり、もがいた方が将来的に自分のやりたいことの糧になる。今の環境が自分のやりたいことかどうか悩むのも大事ですが、とにかく現状を精一杯取り組んだ上で、何ができて何ができないかが分からないと、本当にやりたいことはやれない。
-まさに石の上にも3年ってことですね。
それは絶対そうだと思います。俺は音楽業界という普通の会社員とは違う仕事を選びましたけど、そのときやってたことが5年とか10年経つとプラスになっていっぱい出てきて。あのとき、ああしていたらよかったとか、あのときの俺は上司にとってここがダメな社員だったとか。レーベルを持つようになるとすごい分かりました。
例えば、クリエイティブな仕事をやりたいけど、営業職だから関係ないと割り切るのは違うぞって。関係あるかないかを決めるのは今の自分ではないからって思いますね。そして、今やれることを全力でやった方がいい。やりたくないことだとしても絶対に何かにつながるから、そこで頑張らなかったらやりたいことが見つかっても多分頑張れないんだよって。
まとめ
「今の自分がいるところで精一杯頑張って一生懸命もがいた方が、自分のやりたいことにつながる」という話しがとても印象的でした。
自分が興味のあることを仕事にするために、寝る時間も惜しまず、並々ならぬ努力を積んできたKEN THE 390さんだからこそ、今も確立されたポジションで、活躍の場所があるのではないでしょうか。あなたの持つ個性が、実は未知なる可能性の鍵を握っているかもしれませんね。
識者プロフィール
KEN THE 390
アーティスト兼、株式会社DREAM BOYS代表取締役CEO。1981年生まれ。会社員を経て、2010年に「NEW ORDER」でメジャーデビュー。その後、2011年に自身が代表取締役を務める「DREAM BOY」を設立。2015年よりテレビ番組「フリースタイルダンジョン」で審査員としてレギュラー出演。2016年10月26日にデビュー10周年を記念した「KEN THE 390 ALL TIME BEST ~THE 10th ANNIVERSARY~」をリリースする。
※この記事は2016/10/28にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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