【為末大の未来の授業Vol.3】日本人論 -日本人の世界観は孤立している?-

為末大/元プロ陸上選手。1978年広島生まれ。

【為末大の未来の授業Vol.3】日本人論 -日本人の世界観は孤立している?-

為末大/元プロ陸上選手。1978年広島生まれ。

2001年のエドモントン世界選手権において、男子400mハードルで日本人初の銅メダルを獲得。05年ヘルシンキ世界選手権にて、再び銅メダルを獲得。トラック種目で2つのメダル獲得は日本人初。12年に現役引退を表明し、現在は株式会社R.project取締役としても活躍。著書に『走る哲学』(扶桑社新書)、『走りながら考える』(ダイヤモンド社)、『諦める力』(プレジデント社)など。

為末大の未来の授業<時間割>


(1)現代キャリア学 -理想に近づくには遠回りも必要?-
(2)職業選択学 -選択、それすなわち他を選ばないことなり-
(3)日本人論 -日本人の世界観は孤立している?-
(4)為末流人生哲学 成功体験で得た自信の脆さ-

アメリカで知った日本人の弱点


僕は24歳の頃と、引退直前のロンドン五輪を目指した30歳から34歳までの間をアメリカでトレーニングしました。そこでアメリカ人選手と直にふれあう中で、彼らは自分が何をしたいか、何者になりたいか、という教育が徹底されているということを感じました。そういう背景もあってか、個人が感じる人生に対する幸福度は、日本で暮らす人に比べて高いのではないかと思ったんです。一方の日本人は、個人より周囲を重んじる傾向があると言えます。そのため、少なからず個人の想いを犠牲にしてしまっている部分があるように思います。


もちろん、この国民性は、災害が起きたときにお互いを助け合ったり、統率して動ける力でもあり、優れた気質であることは間違いありません。それでも、これからの時代を考えたとき、日本人ももう少し個々人の幸せを考えるフェーズに移行してもいいのではないかなって思うんです。

個々人の幸せのフォーマットを考える時代


日本人は島国で、他国と隣接していない地理的事情もあってか、海外に行くときに「世界へ飛び出していく」なんて言葉を使いますが、その感覚自体がグローバルではないと思うんです。なぜなら私たち日本人も世界を構成している一要素であるにも関わらず、その認識がないことを示しているから。そもそも日本人というのは、「世界にはいろんな国があって、いろんな人がいて、どうにも一筋縄ではいかないのだ」ということを実感ベースで感じたことがあまりないんですよ。最近では日本国内について考えてみても、社会が多様化していく中で、幸せの定義がかなり人によって変わってきています。

これまでの日本は、社会に敷いてあるレールに乗って生きていれば、ある程度までは無難かつ快適に生きていくことができました。でも、これからはそのレールもなくなって、「自分が何をしたいか」「何を幸せと感じるか」を個々人で自分の胸に手をあてて考えて、歩を進めていかないといけない時代になったんだと思うんです。

今できることを問え


日本で暮らしていると、物質的にも経済的にもある程度満たされていることがほとんどだと思います。だからこそ逆に今の20代は、言いようのない閉塞感や停滞感を感じている気がするんですよ。でも、人生の中で完璧に満たされたり、完璧に幸せだと思う瞬間なんて、本当に一瞬なんですね。個人的には、物理的に何でも手に入る時代に生まれているからこそ、その瞬間が簡単にやってくると錯覚してしまっている部分も少なからずあるのかなって感じているのです。


先日、ロンドンオリンピックの取材で、経由先のフランスのシャルル・ド・ゴール空港に降り立ったときに、空港内で見つけた片足義足の女性が写ったパラリンピックの広告がやけに目に留まったんです。そこには「今何ができないか、ではなく、今何ができるかを問う」というコピーが書かれていたんですよ。もちろん、今自分に足りないものがあって、目指したい場所や理想がある、というハングリーな精神を持つことは大切なんだけど、それと同時に、実は身の周りに小さな幸せが転がっていて、自分も意外と色々なものを持っているという認識を持つこともとても大事で。理想の姿と、今ある自分をある程度肯定する部分、両方のバランスが生きていく上で、必要なのかなって思いますね。

本日の授業のおさらい


1.日本も世界の、構成要素のひとつであることを自覚しよう
2.人生の安心安全のレールは存在しない。自分にとっての幸せの定義を熟考しよう
3.理想にこだわりすぎて、今の自分にできることを見失ってはならない

※この記事は2013/07/10にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています

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