全部失って見えた、自分のために生きる人生。31歳・無職の男がスタートアップの役員になるまで

31歳・無職、職歴なし。

全部失って見えた、自分のために生きる人生。31歳・無職の男がスタートアップの役員になるまで

31歳・無職、職歴なし。

まさに崖っぷちともいえる、この状況。あなたは次にどんな選択をしますか?きっと多くの人が”安定”を重要視した選択をしてしまうと思いますが、あえて先の見えない「スタートアップの世界」に身を投じ、人生を180度変えた人もいます。

それが、今回の話の主役である、平栗遵宜さん。司法試験に落ち、昔からの目標であった弁護士への道を絶たれた彼が選択したのは、エンジニアとして生きることでした。未経験ながら、3年間、無我夢中で駆け抜けて手にしたのは「執行役員」という肩書き。

人生のどん底にいた彼を突き動かしたものは何だったのでしょうか?その波乱万丈な人生を紐解きながら、”やりたいこと”を仕事にする方法について迫っていきます。


【プロフィール】
freee 株式会社 執行役員 開発本部長 平栗遵宜氏 1981年生まれ。東大法学部卒業。2012年、10年近いニートライフに終止符を打ち、31歳で初めての会社として選んだのがfreee。プログラミング未経験だったが、ひたすらソースコードを読み解くことで技術を身につけ、「クラウド会計ソフトfreee」のリリースとその後の急成長に貢献。社内部活動は卓球。COOの接待卓球が得意。

ファミレスでダラダラ過ごし、朝まで麻雀……。学生時代、僕はいわゆる「意識低い系」だったんです


平栗,:僕の学生時代は相当ひどかったですよ(笑)。俗に言う、”意識低い系”の大学生でしたから。

-- 意識低い系だったんですね(笑)

平栗:もともとは高かったと思いますよ。父親の仕事が弁護士だったので、自分も同じように弁護士になることを目指していましたし。だから、一浪してでも東京大学法学部に入ったんですけど、なーんか法律の勉強が面白いと思えなかったんですよね。

あまり勉強もせず、友達とファミレスでダラダラと喋り続けたり、朝まで麻雀をして銭湯に入って帰宅したり、自堕落な生活を送っていました。


-- 朝まで麻雀…。典型的な意識低い系の大学ですね。ちなみに法律のどこが面白くなかったんですか?

平栗:法律のことを知らないまま、「弁護士になろう」と思ってしまったことも原因なんですけど、法律って答えがない。これが一番の驚きでしたね。僕は高校時代から数学・物理などの理数科目が好きで、どちらかといえば「答えは一つ」という方が得意だったんです。でも蓋を開けてみたら、そうではなかった。

例えば、誰もがニュースなどで耳にしたことがある「殺人罪」。これにについて話をしようとすると、「人の概念」から話し合わなければいけない。僕からすれば、「そんなの知らん。どっちでもいいじゃないか」と思ってしまうんです。だから勉強にも身が入らず、ダラダラと毎日を過ごしていたのかもしれません。

周りの友達はみんな社会人、でも僕は大学6年生。危機感から勉強を開始。そして司法試験へ

 


平栗:で、気づいたら大学6年生になってまして……。

-- 6年目の大学生活

平栗:もう友人はみんな社会人になってましたね。大学内に遊んでくれる友人もいなかったので、「そろそろ本腰入れて勉強しなければヤバいな」と。そこから本格的に弁護士になることを目指し、東京大学法学部を卒業した後は、千葉大学の法科大学院へ行くことにしました。

そこで2年間、司法試験の合格に向けて勉強を重ね、卒業後に司法試験に臨んだのですが結果は不合格。2回目、3回目と「受験資格」が有効なギリギリの回数まで司法試験にチャレンジしたのですが合格することはできず、僕の「弁護士になる」という道が絶たれました。

-- 約10年間、法律の勉強をしてきたけれど道が絶たれてしまった

平栗:まさに天国と地獄です。合格すれば、弁護士として安定した生活を送れる一方、不合格の場合は31歳で無職、職歴なし。司法試験に落ちてしまった自分は、人生のどん底に突き落とされてしまったわけです。

その事実を知った親からは、相当シビアな反応をされましたね。まぁ、東京大学法学部を出て、無職ですから。当然といえば当然だと思います。


-- そこから新しい道を探ることに

平栗:そうですね。一応、母親から「大阪に戻ってきて働いたら?」と言われたんですけど、それは断りました。

-- それはなぜでしょうか?

平栗:司法試験に落ちたとき、冷静にこれまでの人生を考えたら、親孝行が目的の人生だったなと。「弁護士になる」という目標も、親の弁護士事務所を継ぐという親孝行のためだったんです。

その道が絶たれてしまった今、もう人のために行動するのはやめようと思ったんです。目的が”人のため”になっていると、何かあったとき、自分に言い訳ができてしまう。それでは何事も好転していかないと思ったので、これからの人生は純粋に自分のやりたいと思うことを追求することに決めたんです。

友人の紹介があったから出会えた「freee」という会社。31歳・無職が選んだ道はスタートアップで働く

 


-- やりたいと思うことの追求。何から始めたのでしょうか?

平栗:まずは働き始めようと。そう思ったので、色々と求人サイトを見ていたのですが、31歳・無職、職歴なしでも受け入れてくれる仕事がどれもピンとこなかったんですよね。

「ここまで崖っぷちに立たされた人生、最後は自分が『心からやりたい』と思える仕事をしたい」という思いの方が強かったので、思い切って友人に相談してみることにしました。

そうしたら、友人が「最近、知人がベンチャーを立ち上げたから、仕事がないか聞いてみようか?」と言ってくれて。

-- そのベンチャーが「freee」だった

平栗:そうです。代表の佐々木から、「今度ランチに行きましょう」と連絡がきたので、すぐランチに行きました。その翌日もオフィスへ遊びに行き、そこで「今はエンジニアしか募集してないんだけど、興味あれば働こうよ」と言われ、僕は崖っぷちなので後先のことは一切考えず、二つ返事で「はい!」と返事しました。

-- 安定した会社ではなく、あえてベンチャーを選択

平栗:他の大きな会社だと、31歳で入ったとしても出来ることは限られているんじゃないかと思ったんです。でも、ベンチャーの場合は自分が成長して成果を出せれば、それだけ会社も成長する。まさにアメリカン・ドリームじゃないですか。

31歳・無職で何もない自分にとっては、人生の逆転満塁ホームランを打てる最後のチャンスだと思ったんです。


-- プログラミングの経験はなかったんですよね?

平栗:もちろんありません。だから、オフィスへ遊びに行った帰り道にヨドバシカメラへ行き、Mac Book Airとプログラミングの参考書を数冊買って、すぐさま基礎知識を詰め込んだといった感じです。

あとは代表の佐々木と取締役の横路が書いたソースコードをひたすら読み込んで、プログラミングを勉強していきました。創業したてのスタートアップだったので、本を読んで勉強するほどの時間なんて無かったですよ。

「ここで必死になれなければ俺はダメになる……」という思いがあったからこそ、未経験でもプログラミングの知識を身につけることができ、エンジニアとして成長できたんだと思います。

「仕事ができる人間になりたい」その一心で駆け抜けた、freeeでの3年間

 


-- 何もなかったからこそ、先の見えない中でも頑張れた

平栗:お給料もない、プログラミングの経験もない、会社で働いたこともない。本当に無いものだらけだったので、とにかく”仕事がデキる人間”になりたかったんです。そうすれば、事業の成長に貢献でき、成果も出せるようになるだろうと。

freeeに入社してからは、自分のことは二の次に、「会社の成長」を第一に全ての行動をしました。ほんと会社の役に立って、お給料が貰える人間になりたかったんですよ。

-- 3年間、無我夢中で走り抜けたんですね

平栗:この3年間、全てのことがツラかったし、大変だった。会計ソフトfreee、給与計算ソフトfreeeを開発した後、管理職の仕事に。本当にラクなことは一つもなかったんですけど、すごく充実してました。これだけ濃密に3年もの時間を過ごせる環境は他になかったんだろうなと思います。

無我夢中で駆け抜けてきたからこそ、「この会社はすごく成長してて、入社できたのがラッキーだった」と思えるようになったのは、1年前くらいですね。

どんな自分でも受け入れてくれる場所はある。”やりたいこと”があれば、今あるものを全部捨ててしまえばいい

 


-- 司法試験の不合格を経験し、無職に。そこからスタートアップの役員になるなど、まさに波乱万丈の人生を歩んできてますね。では最後に。そんな平栗さんが考える、”やりたいこと”を形にするために大切なことは何だと思いますか?

平栗:全部捨てるしかないと思います。僕は本当に何もない境遇だったからこそ、この挑戦ができた。もし、普通に就職して家族がいたのであれば、一歩踏み出せていなかったんじゃないかなーと思います。

でも、「今の状況を変えたい」という強い気持ちがあるんだったら、中途半端ではなく全部捨ててやってしまった方がいい。結果、失敗して後悔することもあるかもしれないですけど、そこを自分の責任と受け入れられるのであれば、何かアクションを起こした方がいいんじゃないでしょうか。

自分でいうのもあれですけど、31歳で無職になるような失敗はそんなにあったもんじゃない。多くの人がイメージする失敗は全然小さいものなので、恐れずに挑戦すればいいと思います。そして、そういった人を受け入れてくれる業界は必ずある。だから、自分の”やりたいこと”ができる道に向かって突き進んでいってほしいですね。

(取材・執筆:新國翔大)

※この記事2016/11/04にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています

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