世界一の20代バリスタ・井崎英典に学ぶ、型破りチャンピオン流「一点集中突破術」

カフェやバール、そのカウンター越しでコーヒーをいれるスペシャリスト「バリスタ」。実は日本人で唯一“世界一”の称号を持つバリスタがいることをあなたはご存知でしょうか?

世界一の20代バリスタ・井崎英典に学ぶ、型破りチャンピオン流「一点集中突破術」

カフェやバール、そのカウンター越しでコーヒーをいれるスペシャリスト「バリスタ」。実は日本人で唯一“世界一”の称号を持つバリスタがいることをあなたはご存知でしょうか?

その世界一のバリスタは井崎英典さん。24歳のときにアジア人初の世界チャンピオンに輝いた井崎さんは現在、「コーヒー・エヴァンジェリスト」として、コーヒーとバリスタの地位向上ために、バリスタのトレーニングやコーヒーチェーン向けセミナー、プロモーションに製品開発など、世界中を飛び回って活躍しています。

なぜ井崎さんは若くして世界一という大きな夢をつかめたのでしょうか。その秘密に迫ります!

ビジネスパーソンにおすすめの一杯



まずはコーヒーのプロフェッショナルである井崎さんに、ビジネスパーソンがオフィスで飲むべきおすすめのコーヒーについて教えていただきました。「シャキッと目が覚めて、仕事がはかどるような一杯」とリクエストしたところ……。

「コーヒー豆の焙煎度合いが浅く、カフェインがたくさん入っているものが良いですね。また、ランチのあとはおなかがもたれないよう、エスプレッソを飲んで締めていくといいですよ。エスプレッソは消化を促す効果があるんです。

食後、コーヒー店に寄って、エスプレッソをササッと飲んで立ち去る……そんなオツなコーヒーの飲み方ができるビジネスパーソンは、バリスタから見てもカッコイイと思います」

というアドバイスをいただきました。さて、そんな井崎さんですが、なぜ、なにをきっかけにバリスタへの道を志したのでしょうか?

世界チャンピオンになってモテたい!

 


「地元の博多で親父がコーヒー店を営んでいたので、コーヒーは身近な存在でした。夏休みに普通の家庭だったら冷蔵庫を開ければ麦茶があるところを、うちでは水出しコーヒーが当たり前のように入っていた。父の世代は日本にスペシャルティーコーヒーが入ってきた世代で、僕は日頃から品評会で1位になるようなコーヒーを飲んで育ちました」

そんな少年時代を過ごし、井崎さんはスポーツ推薦で高校に進学するため一人暮らしを始めます。しかし、若さゆえに遊びほうけてしまい高校を1年で中退。鳶職や何でも屋などのバイトをしながら人生に迷っていたとき、父親に「うちのコーヒー店を手伝ってみるか?」と誘われ、コーヒーの世界に足を踏み入れたそうです。

では、そこからなぜバリスタを目指すことになったのでしょうか。

「当時、まだ認知が低かったバリスタの存在を知り、なんだか『モテそう』という邪な気持ちで始めました(笑)。また、『バリスタ・マガジン』という世界で一番読まれている業界紙の表紙を飾りたかったんです。どうやら世界チャンピオンになれば表紙に載れることが分かり、そこからバリスタの世界チャンピオンを目指すことになりました」

単純明快な理由で16歳のときに描いたバリスタ世界チャンピオンの夢。その翌年に行われたジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)に初出場すると、参加160人中24位という好成績をおさめます。このとき、井崎さんは確かな手応えを感じたそう。

「最高の気分でした。まわりの人たちが僕を認めてくれたのかなと。今までゴリゴリの体育会系の世界で育ってきたこともあって、僕は人一倍、承認欲求が強かったのだと思います。『こんな俺でも認めてくれる、ここは俺が唯一輝ける場所だ』――その感覚が今でも自分のベースにあります」

目の前のチャンスをこなすだけ

 

イタリアのエスプレッソマシンメーカーのプロモーションと教育に関するプレゼン風景。人前でも堂々とした姿がかっこいい。



JBCで好成績をおさめた後、井崎さんはまず、どんなことから始めたのでしょうか? 「まずは眉毛を生やすことからでしたね(笑)」と前置きをして、こう続けました。

「あいさつ、マナー、そして掃除です。高校も中退してしまっていたので、正直なところ僕には後がなかった。だから目の前にある仕事をひたすら一生懸命にやるだけ。何をしたからうまくいった……ということではなく、僕はただ目の前に与えられたチャンスをひたすらこなしただけなんです」

それから井崎さんは通信制の高校に通い、大検を取得して2009年に法政大学国際文化学部国際文化学科に入学。バリスタの仕事を続けながら学生に戻りました。

「今までちゃんと勉強をしたことがなくて、当時はアルファベットもまともに言えませんでした。大会の後、初めて東京に来たときに、純粋にそんな自分が『恥ずかしい』と思ったんです。今まで自分は『やらなくてもできるからいい』とか、それっぽい理由をつけて逃げていただけだと。

コーヒーは世界中の人が飲んでいるため、とてもグローバルな産業で、石油の次に貿易取引額が多い。そんな業界で生きていくためには英語は必要不可欠です。もっと自分の見識を深めたいと思いました」

急がば回れ、無駄は人生を豊かにする



その後、イギリスへ1年語学留学。帰国後もビジネススクールに通ったり、メンタルトレーニングを受けるなど、自分に必要なスキルを身につけることに徹底的に時間を費やしました。

さらに大学入学と同時に、「コーヒーの品質、品揃えは世界一」という、長野県小諸市の丸山珈琲でも働き始めていた井崎さん。平日は大学に通い、金曜の夜に長野へ出発し、週末は丸山珈琲で修業をする……そんなハードスケジュールを黙々とこなしていたそうです。

「苦しかったり、つらくて泣いたこともありましたが、一度も辞めたいと思ったことはありませんでしたね。当時、丸山社長に『世界は人とのつながりでできている。どんな世界にも礼節があるから、それだけは忘れるな』と教えられ、今もその言葉は自分の中に生きています。

最近やたらと『いかに効率よく生きるか』なんて話を見聞きしますが、いい意味での“無駄”って大事だと思うんです。例えば僕は大切な人にはお中元やお歳暮を贈り、お世話になった丸山珈琲がある長野県小諸市まで足を運んで顔を見せるようにしています。いい無駄があるからこそ人生が豊かになる。僕は高校も中退して遠回りばかりしてきましたが、遠回りしたからこそ気づけたものも多かったんです」

栄光と挫折…「自分らしく」あるために

 

教え子であるオーストラリア代表のSasa Sesticさんがワールドバリスタチャンピオンシップにて優勝。みんなの笑顔が溢れる。



そして2012年、大学4年生のとき23歳でJBC史上最年少優勝。日本一のバリスタとなります。しかし、翌年2013年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)では、なんと予選落ちで敗退という結果に……。

「絶望的な気持ちになりましたよ。年に一度、たった15分間の競技時間のために1年もかけて莫大(ばくだい)なエネルギーを費やしてきたのに……。ただ、敗因は“自分を持っていなかった”ことだと気づきました。それまでは人の言うことを聞きすぎて、自分の考えを反映させていなかった。“みんなの井崎英典”になろうとしていたんです。

でも結果として、誰も責任をとってくれない。だから自分が腹の底から正しいと思えることしかやらないと決めたんです。それからは、自分の信頼できる人の言うことだけを聞いて突き進みました。

『Be Yourself』(あなたらしくなれ)という言葉が確信をついていて、みんな誰かになろうとする。でも僕はみんなそれぞれ違っていいと思うんです。自分らしくあり続けることって、頭では分かっていても難しいこと。だから何か重大な決断を下す前に、本当に自分が正しいと思っているか何度も自分に問いかけています」

そこで翌年のWBCに向けて、井崎さんは前年の優勝者、ピート・リカータ氏にコーチングを依頼。ロジカルで戦略的なトレーニングを受け、ついに2014年、24歳でバリスタの世界チャンピオンに輝くという夢を果たしました。

「信じられませんでした。そこで感じたことは、結果が全てであり最大の恩返しになるということ。僕はいわゆるまわりの意見を尊重しながら教え込まれるのではなく、逆に、必要なものだけを選び、不要なものは取っ払うという方法で成功をつかんだのです。優勝したことでみんな喜んでくれて、そこで恩返しができたと実感しました」

より多くの人にコーヒーとバリスタの価値を

 

中国の武漢にてセミナーの風景



アジア人初のバリスタ世界チャンピオンになり、夢であった「バリスタ・マガジン」の表紙も飾った井崎さん。大会終了後からオファーが殺到し、世界中を飛び回る生活が始まったそうですが、2016年、26歳で「コーヒーの価値を高める」ことを目標に掲げ、「サムライコーヒーエクスペリエンス」を立ち上げます。

なぜコーヒー店でのバリスタではなく、コーヒーのコンサルタント「コーヒー・エヴァンジェリスト」になったのでしょうか?

「丸山珈琲に在籍しながら、1年間世界中で仕事をしました。そこで気づいたことは、会社に属していることで障壁も多くなっていることでした。世界チャンピオンはいわばブランド。そのブランド力を社会・産業に還元していかなければなりません。そのためには、さまざまな仕事を受けなければなりません。

世界チャンピオンというブランドバリューの寿命は短い。ボケっとしている場合じゃないなと。

本当はコーヒーをいれながら話すことが一番好きなのですが、なぜコンサルタントの道を選んだかというと、アジアの成長のため。これは僕の義務だと思っています。アジアは世界的に見てもコーヒー産業が急成長しているエリア。ただ、残念なことにコーヒーの抽出やトレーニング、科学的な側面などの情報がすごく遅れています。コーヒーのコミュニティーは英語が第一言語で、情報のやり取りは英語にて行われます。英語が第二言語であるアジア圏のコーヒー産業は、どうしても最先端の情報が遅れて入ってきがち。だから僕がチャネルとなって、フレッシュな情報をダイレクトに持って行き、それをかみ砕いて教えることが必要だと。成長産業には教育者の存在が何よりも必要なんですよ。

僕がコーヒー屋ではなく、『コーヒー・エヴァンジェリスト』という肩書きなのは、さまざまなチャネルを通してコーヒーやバリスタの価値を理解してもらうためです。そうすることでこの産業の市場を大きくしていくことが、これから僕のやるべきことだと思ったので、コンサルタントという仕事を選びました」

現在、年間200日以上も世界中を飛び回っている井崎さん。今後のビジョンについて聞いてみると……。

「僕は今、ビジョンなんてなくていいと思っているんです。大企業ではなく僕のような個人には、ビジョンよりもミッションが大事かな、と。

自分は何をするためにここにいるのか、というミッションです。僕は仕事をいただくとき、この仕事は、たくさんの人々にコーヒーの価値を伝えられる仕事なのか、自分でなくてはならないのか、必ず自分のミッションと照らし合わせています」

 

人と人をつなぐ一杯のコーヒー



最後に井崎さんにとって、バリスタという仕事の魅力について聞いてみました。

「コーヒーは人と人をつなぐもの。イギリスのコーヒーハウスなど、人は昔からコーヒーをお供に、コーヒーをきっかけにしてコミュニケーションをとってきました。僕も今、たった一杯のコーヒーをきっかけに世界中を旅して仕事をすることができています。

そして、コーヒーを飲んでいるときって平和な空気が流れるんですよね。究極を言ってしまうと、世界中の人々が一緒にコーヒーを飲めば世界平和になるんじゃないかって(笑)。

バリスタはコーヒーの魅力を伝える人です。僕は今、コーヒーをいれていませんが、コーヒーの魅力を伝え続けているので、今でも自分はバリスタだと思っています」

高校中退後、たった8年で世界一のバリスタに成り上がった井崎さん。その成功の秘密は常にゆるぎない「ミッション」を胸に持っていること。そして、目の前のことをひたすらやり遂げるという純粋な行動力が成功をつかんだ秘密だったようです。

16歳の少年の「モテる」というミッション、世界から注目を集めるコーヒー・エヴァンジェリストの「コーヒーとバリスタの価値を伝える」というミッションに変化を遂げ、今日も忙しく世界中を飛び回っています。


(取材・文:ケンジパーマ)

識者プロフィール
井崎英典(いざき・ひでのり)
SAMURAI COFFEE EXPERIENCE代表コンサルタント/コーヒー・エヴァンジェリスト。16歳でバリスタの道を志し、ハニー珈琲を経て(株)丸山珈琲入社。2014年度のワールドバリスタチャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンに輝く。以来コーヒーを通して世界中の人々とつながる喜びを知る。2016年2月に独立し、現在は年間200日以上海外にてコンサルティングに従事。コーヒーを通した他業種とのコラボレーションにも尽力する。珈琲関連機器の製品開発、人材教育、商品開発・監修など多様なコンサルティングを行う。

※この記事は2017/06/27にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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