プロ野球で2度戦力外→パティシエで大成功! 小林敦司から学ぶ逆境力

代官山にある「 Dining」でオーナーとして働く小林敦司さんは、元プロ野球選手。

プロ野球で2度戦力外→パティシエで大成功! 小林敦司から学ぶ逆境力

代官山にある「2-3cafe Dining」でオーナーとして働く小林敦司さんは、元プロ野球選手。

1990年にピッチャーとして広島東洋カープにドラフト5位で指名され、主に中継ぎ投手として活躍しました。しかし2000年にカープを戦力外となり、千葉ロッテマリーンズに移籍するも、1年で戦力外通告を受けてプロ野球界を引退。その後カフェオーナーへの転身を成功させた、ユニークな経歴の持ち主です。

小林さんはどのようにして、2度の戦力外通告という逆境をはねのけていったのでしょうか? 今回は小林さんから、“逆境力”をテーマに話を聞きました。

カフェには野球とは違った楽しさがある

 

キッチンで作業する小林さん



――小林さんの現在のお仕事を教えてください。


小林敦司(以下、小林):「2-3cafe Dining」のオーナーです。ただ、オーナーといっても、仕込みもするし、料理、接客もする。いわば「2-3」の全てが仕事だといえます(笑)。

経営に関しては、客入りが厳しいときもあれば良いときもありますが、毎日楽しいです。仕込みをしているときは特に楽しいですね。仕込みができるということは、前日たくさんのお客さんに来ていただけたということですし、今日も来ていただけるという自信でもありますから。また、細かいスケジュールは自分で決められるので、ストレスなく仕事もできていると思います。

――カフェの楽しさは、プロ野球時代の楽しさとは違いますか?

小林:野球選手だった毎日も楽しかったのですが、今の楽しさとは少し違います。選手時代は自分が一軍にいても二軍にても、毎日が勝負でした。成績によっては戦力外通告だって受けるかもしれない。そういったプレッシャーのなかで仕事をしていた、というのが現在との一番の違いだと思います。

一度もレギュラーでなかったのにドラフト指名された


――小林さんは小さいころからプロ野球選手になるのが夢だったのですか?

小林:実をいうと夢というわけではありませんでした。小学校2年生のときに少年野球チームに入り、中学生のときはシニアリーグ、高校は拓殖大学紅陵高校の野球部で甲子園を目指して野球をしていました。しかし、中学と高校のときは一度もレギュラーになれませんでした。

高校時代、一学年上の先輩に、千葉県ナンバーワンといわれたピッチャーであり僕が目標にしていたエースがいたのですが、その先輩でさえドラフトは6位指名でした。ですから自分がプロになるなんてことは想像だにしていなくて、高校の進路相談では大学進学を選んでいました。

そしたらある日、野球部の監督に呼び出され「ドラフトで指名するという話が来ている」という話を聞かされ「えっ?」って。そのとき初めて、プロを意識するようになりました。

――なぜスカウトは、小林さんをプロの世界に抜擢したのでしょうか?

小林:僕が通っていた高校は強豪校だったので、練習試合でもプロのスカウトが来ていたんですね。それで、ある練習試合で自分がたまたまいいピッチングをしたのを見ていたようです。そのことを気に留めてくれたスカウトの方が、僕をプロの世界に引き抜いてくださったみたいです。

そんな経験から、うちで働いている若い子には「誰がどこで見てるか分からないから、常に一生懸命でいなさい」とよく言っています(笑)。

戦力外は素直に受け止めることができた


――プロ野球の門をくぐるも、なかなか一軍に昇格できなかったんですよね。

小林:最初は二軍の試合でさえ投げられない状態でした。さらに2年目に肘を壊してしまい、1年間全く投げられなくなってしまいました。そうなるといよいよ戦力外通告が近くなる。でも、そのときはなんとかチームに残していただけて。

このままじゃだめだと思い、巨人の斎藤雅樹さんのピッチングフォームをまねして、練習中にサイドスローで投げていたら、たまたま自分にフィットしたので、サイドスローに転向しました。それから一軍でも登板できるようになっていきました。今思うと、崖っぷちに立たされていたから、自分のスタイルを思い切って変えられたんだと思います。

――その後、広島東洋カープの中継ぎピッチャーとして活躍されますが、2000年に戦力外通告を受けますよね。そのときはどんな気持ちでしたか?

小林:自分の成績を見て覚悟はできていたので、素直に受け止めることはできました。ただ体は元気だったので、続けていたいという気持ちがあり、千葉ロッテマリーンズに入りました。それでも1年で戦力外通告を受けてしまい、プロとして続けることを諦めました。

野球もケーキ作りも、実力があれば戦える

 

「2-3cafe Dining」お薦めの自家製ベイクド・チーズケーキ



――引退を決めてから、次に向かうべき道をどのように決めたのですか?

小林:広島東洋カープのスカウトの方からは「カープに関わる仕事に就くこともできるかもしれない」とお誘いがあったのですが、もともとは父親が経営していた和食屋さんを継ごうと決めていたので、気持ちのシフトは自然とできていました。

――和食からさらに一転してパティシエの修行を始められますが、なぜパティシエの道を選んだのでしょうか?

小林:父親が何十年と続けてきたお店に、突然現れた息子の自分が乗っかっていることに違和感を持ったからです。それで、もともと興味があったカフェの仕事で独立したいと思うようになり、タルトケーキの老舗「キルフェボン」に修行のためアルバイトで入りました。

――基本からケーキ作りを学ぶのは大変ではなかったですか?

小林:ケーキ作りをそれまで全くしてこなかったので、修行は本当に大変でした。でも辞めてしまったら自分には何も残っていないと分かっていたので、なんとか頑張れました。僕がキルフェボンにアルバイトで入ったのは33歳のときだったんですけど、先輩にあたる人はほとんどが20代前半の女の子で、もちろん怒られたりもするんです。それが一番つらかったですね。

時には、行きたくないと思う日もありました。でも野球と同じで、実力さえあれば年齢は関係なく、戦力としてプレーできる。どこの業種も同じですよね。だったら諦めてしまうのではなく、ケーキをちゃんと作れるようになって、怒られないよう早く一人前になろうと考えたんです。

結局、キルフェボンでは5年弱くらい働きました。もちろん辞めるころは怒られることもなく、むしろ後輩の指導をする立場になっていました(笑)。

――キルフェボンでの修行の次は何をしていたのですか?

小林:その次には、カフェでアルバイトを始めました。カフェを自分で開くために、ノウハウを知りたかったんです。また掛け持ちで、評判のレストランでのアルバイトも始めました。やはり一流のレストランでしか学べないことも多くあると思ったので。そうして経験を積んでいるうちに、自分のお店を持ちたいという気持ちが大きくなり「2-3cafe Dining」を始めました。

退くことができないからこそ、前に進めた


――プロ2年目で肘を壊したとき、戦力外通告を受けたとき、カフェでの修行時代など、苦境や逆境に立たされたときに小林さんを突き動かしたものはなんだったのでしょうか?

小林:ひとつは、背水の陣だったこと。つまり“退路”がなかったことです。退くことができないからこそ、前に進めたのだと思います。

選手時代はいつ戦力外通告を受けてもおかしくない状況でしたし、カフェの夢にしたって、この道を閉ざしてしまったら僕に残るものは何もありません。新しい道を選んだところで、何かを新しく始めるには年を取りすぎている。だから、自分の決めた目標にまい進していくことしか選択肢がなかったんです。

――野球からパティシエという全くの異業種の道を選ぶことに不安を感じることはありませんでしたか?

小林:それはもう毎日不安でしたよ(笑)。でも、一刻も早く技術を習得して一年でも早くお店を出したかったので、不安を忘れるくらい仕事に集中するようにしていました。

――いくつもの試練を乗り越え念願の「2-3cafe Dining」を開店させた小林さんですが、次の目標はなんなのでしょうか?

小林:ハワイでお店を出すことです。理由は……ハワイが好きだから(笑)。でもハワイでお店を開くのって、とっても難しいことなんです。ほとんど実現不可能というくらい。だからいまは若干挫折気味です(笑)。ただ、こうして自分の夢を人に言うことで、道が開けると思っているので、夢を聞かれるといつもそう言っています。

――小林さんなら、いつかハワイの夢もかなってしまう気がします。そんな小林さんにとって“逆境力”とはなんですか?

小林:仕事に対して、目の色変えて、休まずに徹底的に向き合うことですかね。

厳しい言い方かもしれませんが、逆境にいるならそのくらい頑張らないと目標を達成することはできないと思います。本当に目標を達成したいなら生半可な覚悟じゃできないんですよ。それは僕が身をもって体験してきたことです。

――店名である「2-3」というのは、野球でいうと「2ストライク、3ボール」と追い込まれている状況のように感じます。なぜそのような店名をつけられたのでしょうか?

小林:「2-3」と聞くとピッチャーが追い込まれていると思うかもしれませんが、僕としてはバッターを追い込んでいる有利な状態なんです。ストライクゾーンが広がり、バッターも振りやすくなる。だから、自分の投げやすい状況にちなんで店名をつけました。もちろん、球数が増えるので「2-3」まで引っ張るのは本当はよくないことなんですけど…(笑)。

逆境こそ「有利な状態」だと信じる


いかがだったでしょうか? 逆境というのはピッチャーでいうところの「2ストライク、3ボール」なのかもしれません。そこで弱気になるのではなく、小林さんのように「追い込んでいる有利な状態」と思えば、その状況はきっと力になるはずです。


最後に、小林さんから逆境に直面している若者にメッセージをいただきました。

「僕がプロになれたのは、たまたま練習試合での良いピッチングをスカウトに見ていただけたからです。人はどこで何を見ているか分からないものです。だから逆境にいるときこそ、心遣いを欠かさないようにしてほしいと思います。人の好みなんて分からないので、誠実にいつも一生懸命でいれば、必ず新しい出会いや機会が生まれるはずです」(小林)

皆さんも逆境に立たされたときは、「2ストライク、3ボール」のマウンドに立ったと思い、一球入魂してみてください。


識者プロフィール
小林敦司(こばやし・あつし) 1972年12月8日、東京都北区出身。拓大紅陵高から、1990年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。95年に1軍昇格し初勝利、主に中継ぎ投手として活躍。96年に右ひざ靭帯(じんたい)の再建手術を受け、復帰後の99年には自己最多の30試合に登板。小林幹英投手との継投パターンは「あつかんリレー」と呼ばれた。2000年千葉ロッテマリーンズへ移籍。01年引退。その後、キルフェボンやカフェ、レストランで修行に励み、2011年に代官山に「2-3cafe Dining」を開店。自家製ベイクド・チーズケーキや生パスタ、トマト鍋(通称、カープ鍋)などで、若者たちから人気を集める。

※この記事は2015/11/27にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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