約40年続く、社会人としてのキャリア。今、あなたは仕事を通して”やりたいこと”が形にできていますか?
学生の頃、誰もが憧れや目標を持っていたはずなのに、気づけば「安定」を求めたり、仕事を言い訳にしたりして、”やりたいこと”からどんどん遠ざかっていってしまいます。1日8時間の仕事を楽しいものにするには、自分の”やりたいこと”を形にできていた方がいいはず。
今回、株式会社トレンダーズの霜田明寛さんに、”やりたいこと”を形にする方法について伺ってきました。
【プロフィール】霜田明寛
1985年生まれ、東京都出身。早稲田大学商学部卒業。アナウンサー志望で3年間チャレンジするも挫折。その経験から『面接で泣いていた落ちこぼれ就活生が半年でテレビの女子アナに内定した理由』(日経BP社)などの著書を執筆。2013年にトレンダーズ株式会社入社、現在もニュースサイト『ソーシャルトレンドニュース』・“オトナ童貞のための文化系マガジン”チェリーの編集長として勤務している。
ジャニーズのオーディションを受け、大学はアナウンス研究会へ。夢を叶えるために行動し続けた、学生時代
霜田:これまで色々な仕事を経験してきたんですけど、最初は「ジャニーズになる」ことが僕の夢というか、憧れだったんです!
─えっ、ジャニーズですか?(笑)
霜田:15歳のときに初めてジャニーズを見たら、すごく衝撃を受けまして。高校に入学するまでは、「偏差値を高めれば人生って上手くいくんじゃないか」と思っていたんですね。
だから、ずっと偏差値を高める努力をし続けてきて、結果的に共学の中で日本一偏差値が高い高校に入れました。でも高校に入学し、ジャニーズのアーティストを見たときに考え方が変わりました。
同い年なのに自分の名前で仕事をしていて、活躍している。「自分もこっちの道に進みたい」と思ったんです。
─人生、学力だけが全てではないと。
霜田:そうですね。もちろん「偏差値が必要ない」とは思わないですけど、15歳まで偏差値を高める努力をしてきたので、偏差値を高めることは一旦怠ってもいいだろうと。そこから「自分の名前で仕事をしていきたい」という思いが強くなっていきました。
で、それから履歴書を出し続け、大学入学直後にジャニーズ事務所のオーディションを受けることまではできました。
─大学ではどういったことをされていたんですか?
霜田:大学1年生の頃は、アナウンス研究会というサークルに入り、ひたすらサークル活動をしていました。
─アナウンス研究会ですか?
霜田:ジャニーズ事務所のオーディションに落ちてしまったとき、就職のことも踏まえ、改めて自分の名前で仕事ができる職業を考えてみたんです。
もちろん、会社に属して働くことも考えたのですが、”会社”という組織の中で自分の名前で仕事ができるようになるのは30歳を過ぎた頃かなと。
今でこそ、フリーランスという働き方が浸透しつつありますが、自分が学生の頃は「フリーランス」はまだまだ一般的ではなかったんです。そのような状況の中、僕は仮に就職したとしても、できるだけ若い時期に自分の名前で仕事がしたかったんですね。
22~23歳くらいの年齢で、”自分”という名前を出して勝負ができる仕事って、アナウンサーくらいじゃないですか。そういう計算が働き、大学入学後はアナウンス研究会に入りました。
─確かにアナウンサーだったら、入社してすぐに24時間テレビのエンドロールに名前が出ますもんね。
霜田:そうなんですよ!その狙いもあって、アナウンサー研究会に入りました。(笑)
アナウンサーへの応募は全滅。八方塞がりの状況に光を見出してくれた一枚の履歴書
─大学2年生からは、どんなことをされていたんですか?
霜田:アナウンス研究会に入ったとはいえ、「何か行動しなければ……」という思いはずっと持ち続けていました。今考えると浅はかなのですが、何をやるのか、色々考えた結果、浮かんできた考えが「起業」だったんです。
─起業ですか?
霜田:ちょうど大学2年生の頃、ホリエモンの買収騒動があったり、藤田晋さんの『渋谷で働く社長の告白』が販売されたり、起業への注目度が高まりつつあったので、学生起業家選手権に応募。優秀賞をとると、助成金がもらえたので、その資金を使って起業することにしました。
─どんな事業を立ち上げたんでしょうか?
霜田:クーポン事業です。当時はガラケーが主流で、通信料を気にしている時代だったので、駅前のポスターの写真を撮り、その画像を見せたらお会計が安くなるというクーポン事業を立ち上げました。
約1年くらい事業を続けていたのですが、立ちいかなくなり、一旦休眠。その後は、普通に就職活動です。
─就職活動はもちろんアナウンサー試験が中心だったんですよね?
霜田:ほぼテレビ局だけを受けていましたね。
─ただ、霜田さんの経歴を見るとファーストキャリアは「芸人」。一体、どのような経緯で芸人になったのでしょうか?
霜田:地方局のアナウンサー試験で最終面接まで進んでいた頃だったのですが、その間に、ネットサーフィンをしていたら、芸能事務所の「司会者部門」の募集を見つけて。
募集を見つけた瞬間に「アナウンサーも司会者も同じだろ!」と、半ばヤケクソで書き損じの履歴書を出してみたんです。
─芸能事務所への応募は、そんな経緯だったんですね。
霜田:そのとき受けていたある地方局のアナウンサー試験は、「内定だったら電話で連絡する」と言われていて。面接が終わった次の日くらいに非通知で電話がかかってきたんです!
─おおお!結果は?
霜田:「よっしゃ!」と思って勢いよく電話に出たら、芸能事務所からの電話で。「オーディション受けに来てください」と(笑)。それで、そのままオーディションを受けに行き、芸人になったという感じです。
─アナウンサーと芸人も、「自分の名前で仕事をする」という部分では変わらなかった。
霜田:そうですね。もうジャニーズ事務所に入れる可能性がないことは鏡を見て気づける年齢になっていたので……(笑)。芸人だったら行けるんじゃないか、という甘い考えなんですけど、そこから芸人として約2年ほど活動しましたね。
─2年ですか?意外と短かったんですね。
霜田:芸能事務所が想像以上に大変で……。ふと、「今後どうしようかな?」と考えているときに、学生が本を書いたら出版されるかもしれないコンテスト『出版甲子園』のポスターを見つけて。
ちょっと興味があったので応募してみたら、準グランプリを獲得し、書籍化される話になり芸能事務所での活動は終わりました。その書籍化された本が『パンチラ見せれば通るわよっ! テレビ局就活の極意』(サンクチュアリ出版)』というテレビ局向けの就活本です。
追い込まれた状況だからこそ、自分の思いを形にできた。本を出版してから始まった、自分のキャリア
─アナウンサーから本の著者へ。偶然とはいえ、「自分の名前で仕事をしていく」という思いが形にできた。
霜田:多分、人間って後がない状況に追い込まれると必死になるんですよ。自分の場合、「若いうちに”自分”という人間で勝負をする」という目標から逆算していくと、そんなに時間がないなと思ったんです。『出版甲子園』への応募がラストチャンスだという思いはありました。
だから、1冊目の『パンチラ見せれば通るわよっ! テレビ局就活の極意』は、「この本が出せなければ自分の目標から遠ざかっていく……」と、相当追い込まれながら書いたんです。でも、クオリティは相当高かったと思いますよ。
大ベストセラーになったわけではないんですけど、その本を出版してから大学や企業から講演の依頼がきたり、テレビ局から内定を貰う子が出たり、色んなことが起こったんです。振り返ってみると、後がない状況に追い込まれたからこそ、最高の仕事ができたんだな、と思っています。
─後がない状況に追い込まれたことが、頑張れる一つのきっかけになったと。
霜田:多くの人は「追い込まれること=悪い」というイメージを抱いてしまいがちだと思うんですけど、自分は逆で。追い込まれると、良いアウトプットが出るんだと本を出版してから思うようになりました。自分の想像通りのキャリアを歩むことはできていなかったですけど、すごく良い経験だったと思います。
その経験をしてからですかね、自分のキャリアが始まったという意識を持てたのは。これまでは、すごく曖昧だったんですけど、自分のアウトププットに対して評価をしてもらい対価も貰えた。そこで、きちんと社会の中で生きていかなくてはいけないという意識を持つことができましたね。
─本の出版が、自分の名前で仕事をする初めての経験になったんですね。
霜田:そうですね。1冊目の本を出版して、初めて自分の名前で仕事をすることができたなと思っています。本を出版した年齢も23歳だったので、色々あったけどギリギリ新卒1年目中に社会に関われた、くらいのイメージです。
そこからは、「自分の作品の価値を上げるためにはどうすればいいか?」をひたすら考え、行動していくようにしました。
─結果的に、行動し続けたからこそ、自分の”やりたいこと”が形にできているような気がします。
霜田:結局、やりたいことだけをやっていると、一つの能力がどんどん磨かれてくるんですね。多分、大学卒業してすぐに会社に入ってしまったら、一つのスキルを伸ばすのではなく、全てのスキルを満遍なく伸ばしていくことになっていたと思うんです。
その結果、どこにでも行ける汎用性の高い人間になれるとは思うんですけど、その先に自分の”やりたいこと”ができる道はなさそうだなと。どちらかといえば、僕は突出した一つのスキルを持っている人間になりたかったので、やりたいことだけに時間を使えたことは良かったなと思います。
誰の意見を聞き入れるのか。これを明確にし、その意見を取り入れていくことが大切になる。
─その後、3冊目の本を出し、27歳のときにトレンダーズへ。これまでIT/Webの領域で働いた経験がない中、なぜトレンダーズに入社しようと思ったんでしょうか?
霜田:トレンダーズに入社する前の年に、雑誌のライターを経験していたんですけど、書いた記事がWebメディアに転載されて、ヤフトピに載るということを2回続けて経験したんです。
雑誌で書いた記事に対しては反応があまり無かったのに、同じものがWebメディアに掲載されたら多くの人から反応をもらえた。そのときに、「雑誌で記事を書く仕事も続けていきたいけど、Webでの記事の書き方も勉強できる環境はないかな……」と思ったんです。それでご縁があって、トレンダーズに入社しましたね。
─そこからはもう、編集/ライターの仕事が中心になっていったんですか?
霜田:そうですね。トレンダーズは副業することが認められているので、個人での雑誌の連載などの仕事もしていますけど、基本はメディアの運営/編集に携わってます。
とはいえ、トレンダーズに入ってからも”やりたいこと”はあって。それが「自分の意志でニュースサイトをひとつ立ち上げたい」というもので、今年の3月にようやく形にすることができました。そのサイト名は永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン『チェリー』です(笑)。
─では最後に。これまで”やりたいこと”を形にし続けてきた霜田さんですが、どうすれば自分の”やりたいこと”を形にできると思いますか?
霜田:全員の言うことを聞かないことですかね。あとは、「この人の言うことだったら聞いてもいい」という人を見つけることだと思います。
特に20代の前半の頃はまだ世界が狭く、世の中にどれだけスゴい人がいるのかに気付かないまま、偶然上司になった人の意見を「正しい」と思って聞いてしまいがち。でも、その世界しか知らない人たちの意見ほど怖いものってないと思うんですよ。「その世界での正解が、他の世界でも正解だと思い込んでいるのって怖くない?」と。
逆に誰の意見も聞かずに100%自分の意見で行動してしまうと失敗してしまうことがあると思うので、誰の意見を聞き入れるのか。これを決めて、その人の意見を取り入れていくことが大切だと思います。
※この記事は2016/11/04にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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