居場所に悩んだら、「そこにいる自分」が好きかを問うてみる

うれしかったり楽しかったり、あるいは悲しかったり苦しかったり。「はたらく」とはそんな瞬間の積み重ねです。そして、その一瞬一瞬の連なりが、人生を彩っていきます。この連載では、各分野で活躍している人に「はたらくこと」についてのエッセイを寄稿してもらいます。第6回の寄稿者は、女性の生きづらさや多様性社会についての取材を続けるライターのニシブマリエさんです。

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写真/今城秀和

昼休みの1時間は、必ず一人で過ごすと決めていた。会社員の頃の話だ。

前半の30分はうどん屋に直行し、肉うどんを流し込む。そして後半30分は昼寝をする。会議室、カフェ、トイレの個室など、一人になれる場所を探しては、いつもひたすら午睡にいそしんだ。

「コーヒーナップ」という技も身に付けた。コーヒーを飲んだ直後に15分ほど眠ると、目覚める頃にカフェインが効き始め、すっきり目覚められるという昼寝術だ。

それほど昼寝には命をかけていた。昼寝をしないと、午後の生産性が爆下がりする体質なのだ。誰かからランチに誘われると、昼寝とその人とを天秤にかけ、3回に2回は誘いを断った。

昼を一人で過ごす理由はそれだけではなかった。「会社員の私」をやり続けるには、エネルギーの充填が必要だったからだ。

「得意なこと」と「苦手なこと」の間には、「できるけど疲れること」があると言われる。私にとって会社員生活は、今振り返ると「できるけど疲れること」だったのかもしれない。

「会社員の私」というマスクを装着して

フリーランスになってまもなく3年。今は企業の広報をしたり、ときに海外に赴いてジャーナリストのまね事をしたりしながら、しっくりくる日々を送っている。フリーになったとて毎日は悔しいことや悲しいことで溢れているし、収入は山あり谷あり。年金だって国民年金のみの一階建てなので将来に不安はあるが、このはたらき方はとても気楽だ。

まず嫌いな人との仕事を断る自由があるし、がんばれば承認欲求も満たされる。昼間っからアイスクリームだって食べちゃうし、昼寝もし放題。そしてなにより「会社員の私」をやる必要がない。

とは言いつつも、会社員が向いていなかったわけではない。むしろ新卒入社してから6年も続いたくらいなので、けっこう器用にやれていたと思う。

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写真/井上秀兵

私が新卒入社したのは、伸び盛りの人材広告会社。初めは法人営業の部署に配属された。新人に課されたミッションは、顧客の新規開拓。営業リストを渡され、毎日ひたすらテレアポをした。

いつまでたっても仕事内容に愛着が湧かず、3年目のとき逃げるように広報に異動した。広報の仕事は自分に合っていた。プレスリリース、メディアキャラバン、社内報、記者会見。オーソドックスな広報業務を一通り経験させてもらった。営業時代は「考えるな、動け」という組織だったので、就業時間内に「考える」ことが許されることがありがたかった。ただ、いつもどこか息苦しくて、どこかイライラしていた。

なぜ社風の合わない会社に入社したのか。これに尽きるのだが、私はずっと、社会人になることは「自分らしさ」を諦めることだと思っていた。今なら、働きづらさの原因を単なるミスマッチとして処理できるだろうが、当時は適応できない自分の側に問題を探していた。

一つひとつの小さなズレが積み重なり、次第に自分の中に他人のような人格ができあがっていく。
例えば、本当はエッジィなファッションが好きなのに、ステレオタイプな“広報”らしく、品のあるワンピースに30デニールの黒ストッキングを履き、パールのピアスをぶらさげていたこと。それから、権力者による1ミリも面白くないジョークに、手を叩いて喜ぶ素振りを見せていたこと。

取るに足らないことのようにも思えるが、着る服一つとっても自分に嘘をつき続けることはしんどい。「うん」と思っていないことに「うん」と言うとき、一つずつ大切なものを失っていくような気がした。

心地よい分人を選ぶという考え方

「分人主義」という考え方がある。分人主義とは、作家の平野啓一郎さんが『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社)という著書の中で提唱した概念。「個人」というのは複数の「分人」からできているという考え方だ。コミュニティによって自分の態度が変わるのは自然なことで、「本当の自分」なんていう首尾一貫した自己はない。しかし同時にそれら全てが「本当の自分」だということを説いている。

これに照らし合わせると、「会社員の私」という人格も私の分人で、「本当の自分」ということになる。

え、超いやだ、“あれ”を私認定したくない……と瞬間的に拒否反応が出たのだが、前述の本には、こうも書いてあった。

いろいろな分人を認識するからこそ、自分の好きな分人を選ぶことができる。愛とは「その人といるときの自分の分人が好き」という状態、他者を経由した自己肯定の状態のことなのだと。(ここでいう愛とは、必ずしも恋愛ではなく、家族愛、友愛、師弟愛、郷土愛など、あらゆる関係性のことを指す)

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写真/井上秀兵

目から鱗だった。そうか、コミュニティによって変わる自分を分人として客観視することで、心地よい分人を選ぶことができるのか。

自分の状況に置き換えてみると、「会社員の私」という分人として過ごす時間が長くなったことで、私の中のほかの分人たちは肩身狭そうにしていた。違和感を自覚できているうちに軌道修正をしなければと、こっそりと準備を重ね、退職を申し出た。自分が何をするかは自分で決めたい。そんな思いから、転職ではなく独立をすることに決めた。

地続きで「私」な毎日も、実はしんどい

退職を明るみにしたとき、いろんな人が引き留めてくれた。「フリーランス」という得体の知れない働き方に、きっと心配してくれたんだと思う。(しかし経営者の友人や、すでにフリーになっていた友人からは祝福され、背中を押された)

私ももちろん不安だった。不安を打ち消すため、独立する前に少し転職活動もしてみた。当時はバブル期並みの有効求人倍率だったことも手伝い、するすると複数社からオファーがきた。

私を欲しい会社は世の中にちゃんとある。フリーで失敗したらまた就職すればいいんだから、とりあえず半年間はフリーでがんばってみよう。それくらいの軽い気持ちで開業届を出した。人生で初めて「ふつう」のレールから降りた瞬間だった。

初めのうちは、確かに孤独だった。家の中で一人パソコンに向かい、無音の中で12時間近く文字をタイプし続ける。友達と遊んでいるときも常に仕事のことが頭を離れず、オンとオフの境界が曖昧になっていった。

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写真/井上秀兵

「会社員の私」という役になることは、実はありがたい側面もあったんだ。自宅で働いていると、仕事で失敗しても、失恋しても、体調が悪くても、いつも地続きで「私」だから、ネガポジの切り替えを上手くできない。属す場所がなくなったことで社会との接続もなくなり、糸の切れた凧のような気分だった。

はたらく先にあってほしいものは何か

しかし独立からまもなく3年という今、私は少しも寂しくない。同志と呼べる存在がたくさんできて、いつもそばに誰かを感じている。何かに悩んだとき、相談したい人がちゃんと浮かんでくる。

きっかけになったのは、「発信」を始めたことだと思う。

ライターという職業柄、発信はするに越したことはない。独立を機に、塩漬けにしていたTwitterとInstagramを再開し、Facebookの投稿は「友人のみ」から「全体に公開」へと切り替えた。日々の小さな喜びや怒りを言葉にすることで、思いを自分の中から外に出すことを心掛けた。

すると少しずつ仲間が増えていき、記事や投稿に共感してくれた人から仕事のオファーをいただいたりもした。自分は何をしたい人なのかを言語化することで、「BEING(どうありたいか)」と「DOING(何をするか)」が重なり始めた。

今私が孤独を感じていないのは、「仲間」とは単なる会社単位の共同体ではないことに気付いたからだ。所属する組織が違っても、住んでいる地域、年齢、バックグラウンドが違っても、より良い未来を目指す人たちはみんな同志だ。それぞれ担うパートが違うだけで。

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写真/井上秀兵

会社に所属しながらも孤独だったあのとき、私は「目指したい未来」を見ていなかった。だから営業成績も、競合他社とのレースも、全てが他人事だった。自分がはたらく先にほしい未来を探していなかったから。

会社員だろうが、フリーランスだろうが、はたらき方はなんだっていい。私がありたい「分人」であるために必要なのは、はたらく先にあってほしいものを見つけることだった。それが見つかるだけで、見える景色がガラリと変わる。私は、誰とどんな世界をつくりたいのか。

それをおぼろげながらも見つけた今、私は少しも孤独ではない。

文=ニシブマリエ
ライター。会社員経験を経て、フリーランスという生き方を選ぶ。女性の生きづらさ、多様性社会、フェミニズムなどを主軸に、国内外での取材活動を続けている。
@marie_nsb

編集=五十嵐大+TAPE

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