はたらくことは楽しくなった、でもずっと大変。月収10万円から再スタートした私のはたらく人生

うれしかったり楽しかったり、あるいは悲しかったり苦しかったり。「はたらく」とはそんな瞬間の積み重ねです。そして、その一瞬一瞬の連なりが、人生を彩っていきます。この連載では、各分野で活躍している人に「はたらくこと」についてのエッセイを寄稿してもらいます。第1回の寄稿者は、『はたらく人の結婚しない生き方』の著者であり、編集プロダクション・プレスラボの代表に就任したばかりの池田園子さんです。

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社内の会議中(撮影:齋藤大輔)

「アンタみたいなブサイクは、一生結婚できんかもしれん。だから、自分で稼げる人間にならんといけんよ」

14歳だった。

腫れぼったい顔、太い手足……外見コンプレックスに執着し、勉強を疎かにしてダイエットに励む私に、母はそう言い放った。

当時41歳の母は、今の私より8歳上だけど、30代も40代もたいして変わらない。人は一生、未熟者。成熟しきった大人なんて、フィクションの世界にしかいない。

だから、娘に定型的な幸せを得てほしくて、できるだけ優秀な学校へ進学し、食べていくのに困らない職業に就いてほしいと願うあまり、娘を傷つけ得る言葉を投下する余裕のなさも仕方ない。でも、「ブサイク」だとか「一生結婚できん」なんて言葉は呪いだし、脅しだよ。

はたらくことが楽しくなかった会社員時代

27歳のときに結婚した。でも、2年後に離婚。母の予想は半分だけ的中した。

それはさておき、「自分で稼げる人間にならんと」は、結果的に良提案だったと思う。東京でひとりで生きていくには、自分を食べさせるだけの稼ぎがないと成立しづらい。富豪の愛人になって月額数十万円の手当をもらって生活できるような美貌や唯一無二さは私にはないからだ。

高校時代の3分の2を孤立して過ごした。同じクラスに友達がひとりもいない生活は病む。地元には居場所なんてないから、自分を知る人がいない都会に出て、人生を再スタートしたい——そんな思いで勉強して、大学進学を機に上京し、大手IT企業に入社した。

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その頃から「はたらくこと」は当たり前だった。はたらかない選択肢はない。東京でのひとり暮らしを続けたいし、欲しいモノや体験も手に入れたいから、はたらくしかない。

IT企業を選んだのは、IT分野に興味があったのはもちろんだけど、月30万円(額面)と初任給が高めだったことも引き金になった。はたらくことの対価であるお金に惹かれていた。

ただ、給与に見合うだけのはたらきは全然できていない。IT企業時代、私は同じチームの先輩から「この子はアカンわ」と呆れられていた。

言われたことしかしないし、合コンがある日は早々と帰るし、責任感もなければやる気もない。あるのはおしゃれすることへの気合いだけ……ってオイ! そんな子と一緒にはたらきたくないわ。

いつも仕事と真剣に向き合っていた先輩に「何か手伝います!」くらい言えなかったのか? 先輩から直接吸収できたこともたくさんあっただろうに! と23歳の怠け者で愚かな自分をどつきたくなる

あの頃、はたらくことを楽しいと感じたことはない。ただ、定期的な収入が欲しかったし、華やかな業界にいられること、面白い先輩や同期たちと仕事外のコミュニケーションができることにしか関心がなかった。

月収10万円だけど希望でいっぱい

はたらくことへの意識ががらりと変わったのは、会社員を辞めてフリーランスになってからだ。25歳の冬、フリーライターを名乗り始めたとき、月収は10万円程度だった。家賃11万円超の部屋に住み続けていたから、生きてるだけで赤字垂れ流し状態。

それでもはたらくことが楽しかったし、若気の至りなるもののせいで、将来への不安は感じなかった。

書いた記事を読んだ人から感想をもらえたこと。
編集部から「たくさん読まれたよ」といった言葉を掛けられたこと。
自分の考えた企画が通ったこと。
記事をSNSで発信すると別の媒体から声を掛けてもらえたこと。
仕事を通じてたくさんの素晴らしい出会いを得たこと。

自ら「やりたい」と思ったことが、すべてではなくても、または理想通りではなくても、大なり小なり形になって、自身の気持ちや環境にプラスの影響が出るようになったのだ。

たくさんの失敗と不義理と後悔と

雑食系フリーライターを4年、Webメディア「DRESS」編集長を4年。会社員としては3年ももたなかったけれど、自分に合ったスタイルではたらき続けている。今年からは縁あって小さな会社の2代目社長になった。

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こうやって書くと、「キャリアがすごい」「ステップアップしている」なんて言われることもあるけれど、まったくそんなことはなくて、偶然舞い込んだ話を興味があるから引き受けているだけだ。

どの局面でも、目の前のことを真剣にやってきた。ただ、「顔じゃない(=分不相応)」仕事を新たにやるわけだから、各時期でそれはもう数え切れないくらい、失敗や不義理を重ねてきて、「穴があったら入りたい」と頻繁に思う。

フリーライター時代、「ライター生命オワタ」と血の気が引いて、倒れそうになった出来事がある。私の代わりに関係各所へ頭を下げ、救ってくれたのはお世話になっていた編集者だ。

編集長時代もたくさんの失敗をしている。私の配慮や確認が足りなかったために記事が炎上したり、心理的・時間的余裕がなくて雑な対応をとった相手に怒られたり……我が器の小ささや不出来に恥じ入る日々。

そんな経験を糧にしてくれたのは、一緒にはたらいていた人たちで、うまくいかなかったことを今度はどう良くしていくかなど、建設的な話をすることができた。

はたらくって大変。でも楽しい

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社内の会議中(撮影:齋藤大輔)

新米社長になって1カ月経ち、はたらくことは相変わらず楽しい。はたらかない選択肢は今もない(大好きな大相撲の世界に、相撲部屋の女将として入り込みたいが、残念ながらその可能性は0.001%以下だと断言できる)。だけど、楽しいことばかりじゃない。

はたらくことは面白いけど、つらさもあるよね。というのが変わらない本音だ。人生や恋愛が「こう進めば最高!」とはならないのと同様、仕事だってそう簡単に思い通りにはいかない。

基本的には「何にも期待せずに生きれば、うれしいことがあったときに、幸福感マシマシになる」と思って生きているけれど、仕事をする中でほんのり期待してしまう瞬間がある。そのあと「期待した自分がバカだった」と自戒するのが常だけど。

はたらいていると、考え事は尽きない。あのとき、ああ言えばよかった、あの失言を取り消したい、ああ振る舞えばよかった、と思うことだらけだし。

「何もかもが順調で、自分も完璧。トラブルや心配事はゼロ!」なんて瞬間は来ないのだと思う。はたらくことは感情や意思を持った、自分とはまったく違う人たちとの関わり合いだから。

はたらくのは大変。だけど、それが面白い。この世のあらゆることは表裏一体の関係にある

「どうしてこんなことになったんだろう」「どんな対応をするのがベターだろう」

仕事で何か揉め事が発生したとき、いつもそうやって考えてきた。異なる状況下で起きた問題と向き合って、自分の頭で考えてなんとか解決に持っていくという脳の筋トレ。これこそが、はたらくことで得られる大きな刺激だし、昨日の自分よりも成長させるきっかけになる。

はたらくことで手にする宝物

「毎月決まった額のお金が欲しい。はたらくこと=お金のため」と捉えていたあの頃の私はもういない。まあ、今も独り身で、東京での暮らしを成立させたいから、ある程度のお金は必要だけれど。

今の自分にとって、はたらくことは生活であり、日常だ。はたらくことが起点になって、人とのつながりやチャンス、新たな興味関心など、あらゆる物事を手にしている。

だから、私たちのはたらくはつづく。

文=池田園子
プレスラボ代表取締役。編集者。2009年楽天入社。2012年ライターとして独立。2016年から4年「DRESS」編集長を務める。相撲とプロレスが好きでコンテンツ制作に携わることも。2020年2月代表交代に伴い現職。池田園子 (@sonoko0511) | Twitter

編集=五十嵐大+TAPE

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