元美容師・バイク川崎バイクの転身マインド:大切なのは動機より行動

ピン芸人のバイク川崎バイクさんのインタビュー。芸人になる前に美容師として活動されていたBKBさん。前編では美容師時代のはたらき方や、転身のときに必要なマインドを伺いました。

「B・K・B」の頭文字で置き換える芸風が印象的なバイク川崎バイク(通称・BKB)さん。じつは芸人になる前に3年間、美容師としてご活躍されていました。そんなBKBさんに、前編では美容師時代のはたらき方や、転身のときに必要なマインドを伺いました。

※インタビュー後編はこちら
愛され芸人・バイク川崎バイクの「好感を持たれるコミュニケーション術」

人と話す楽しさを認識した美容師時代

──BKBさんは芸人になる前に美容師をされていたそうですね。なぜ美容師になろうと思ったのでしょうか?

強い気持ちがあったわけではなく、めちゃめちゃ軽い動機でしたね。美容師の専門学校は入りやすいという噂も聞いていたし、美容師になれたらカッコいいかなって。自由やし、華やかっぽいし。

──そのモチベーションで美容師さんを志して、大変なことはなかったですか? 美容師は憧れの職業の一つでもあると思うので周りとの温度差を感じそうです。

それを美容学校に行って気付きました。「みんな、おしゃれに目覚めまくっている!」って。だから僕も髪の毛をエメラルドグリーンにした時期があります。当時、スーパーでバイトをしていたので、自己紹介で「スーパーの野菜売り場ではたらいています。『キャベツみたい』ってよく言われます」と言ってスベりました(笑)。でも美容学校自体は楽しかったですよ。

──専門学校を卒業してから3年間美容師としてはたらくわけですが、その3年間は楽しかったですか?それとも大変でしたか?

両方ですね。完全に同じくらいの割合。それなりに「大変」がずっと隣にあって、「楽しい」が勝ることはなかったです。でも「これが社会に出るってことか」という、はたらいていることに対する感慨はありました。初任給が振り込まれたときの喜びも月並みにありましたね。やればやるほど仕事ができるようになるので、成長する楽しさも感じていました。

──反対に大変だったのはどのようなことでしたか?

とにかく覚える技術が多いことです。美容師の仕事は髪を切るだけだと思っていたのですが、奥が深くて。カラーやパーマ、その他「似合わせがどうだ」「頭の形がどうだ」とか。あとは成人式の着物の着付けなど……キャパを完全に超えていましたね。

下積み時代も大変でした。シャンプーをして、スタイリングの準備をしながら掃除をして、ドライヤーをして。その作業を一日中繰り返すのはしんどかったですね。「これは好きじゃなきゃ続かへんな」と思いました。

──そうした大変さを感じながらも3年間続けられたのはどうしてだったのでしょうか?

スタッフに恵まれていたからだと思います。店長が本当の親みたいにかわいがってくれたんです。他のスタッフさんもちゃんと愛を感じる方々で。もちろん厳しいところもありましたが、みんな優しかったです。

──美容師としての仕事の中では、楽しさや喜びはどこに感じていましたか?

お客さんと話をするのは好きでした。他の美容師さんに聞くと、髪を切りながら話をするのが一番大変なことなんだそうです。店長は「黙々と切り続けるだけなら楽なのに」と酔っ払ったときによくぼやいていました。だからアシスタント時代は会話の補助役になることが多かったです。よく「川崎がおったら楽やわ」とか「あの人、難しいお客さんなのに川崎とはよくしゃべってたな」と言われていた記憶があります。

──その話術は美容師時代に培われたものですか? それとも昔から話すのは好きだった?

話すのはもともと嫌いではなかったんでしょうね。と言っても適当にしゃべっているだけですけど。事前に話題を用意していくのではなくて、連想ゲームのように相手としゃべっているだけ。その適当さが良かったのかもしれないです

動機はどうあれ動き出すことが重要。美容師から芸人への転身

──3年間美容師をした後、芸人を目指されます。それまで芸人になりたいと思ったことはあったのですか?

一度もないですね。お笑い番組は好きで見ていましたし、仕事を終えて深夜に帰ってきたらちょうど『内村プロデュース』の放送があるので見ていた記憶はあります。でも自分が芸人になるなんて、一回も想像しなかったです。

──そんなBKBさんが芸人を目指したのはどういったきっかけだったのでしょうか?

美容師として3年間無遅刻無欠勤で頑張ってはいましたが、自分に美容師としてのセンスがあるとは思えなかったんです。美容師としての向上心もなくて、ただただ真面目に言われたことをやっているだけ。そんなときに地元の友達から「NSC行きたいねんけど、一緒に行ってくれへん?」「お笑いの学校やねんけど」って誘われまして。

当時は兵庫に住んでいたのですが、大阪やったら1時間くらいで行けますからね。3年間で貯金もしていたから入学金も払える。さらに今から3年くらい芸人をやって成功しなくても、26歳やったらまだつぶしも利く。手荒れもピークで、しんど過ぎて美容師を辞めたいと思っていたので、ちょうど良かったんです。それで店長と親に相談したらスムーズに話が進んでNSCに通うことになりました。

──美容師という安定した仕事を手放して、不安定な芸人を目指すことに不安はなかったのでしょうか?

どうやったかなあ。葛藤はしたと思います。美容師がめちゃくちゃ嫌やったわけじゃないけど、肉体的にも精神的にもキツいなと思っていた時期でした。だから休憩のつもりでNSCに行ったというのが近いかもしれないですね。仕事を変える上で、「強い動機」が正義というわけではないと思うんですよ。動機はどんなものでも、「動き出す」という行動が素敵なことだと思います。

あとは単純に、芸人になったら結果がすぐに出ると思っていたんです。もちろん「すぐに売れる」とは思っていないけど、NSCに入る人の大半が、多少は自分のことを面白いと思っている。自分もそうでしたから、テレビもすぐ出られると思っていて。入ってからそんなに甘くないと知ることになるんですけど。

周囲とのコミュニケーションに役立った、美容師時代の経験

──厳しい現実を目の当たりにしながら、芸人としての日々が始まります。芸人と美容師では働く環境は全く違うと思うのですが、芸人としてはたらく上で苦労したことはありますか?

最初はとにかく仕事がないこと。ライバルは多過ぎるし、売れ方はもちろん、そもそも仕事のもらい方が分からないですし。はたらく以前に、仕事がないわけですから。お給料をもらえるまでに何年掛かっているか分からないです。でもだからこそ、吉本から初めて給料が振り込まれたときはうれしかったですね。美容師のときの初任給とはまた違う感慨がありました。

──今振り返って、美容師だった経験が芸人として役に立っているなと思うことはありますか?

「美容師をやっていた」という経験そのものです。芸人って過去の経歴や特技が全て仕事になるので。元美容師としてテレビにも何回か出ましたし、今はYouTubeで「美容室チャンネル」もやっています。

一時期は散髪をバイトにしていたんですよ。ただし散髪屋に勤めていたわけではなく、芸人が控えている楽屋で切る「芸人美容師」です。月に30人くらい切っていました。切りながら会話をするので、みんなと仲良くなれるんです。「髪切れるんやろ」「元美容師なんやろ」で、話したことのない先輩ともコミュニケーションが取れるようになって、ネタのダメ出しもその場でもらったりしていました。なんばグランド花月(NGK)の支配人の髪も切りました。それをきっかけに単独ライブを見てもらい、最終的にNGKでの単独ライブにまでこぎつけたんです。

──BKBさんのように、異なる業種・業界に転職したいけど自信がないなど、転身に悩む人に対してアドバイスを送るとしたら?

辞めるのも始めるのもしんどいですよね。でも環境というのは引越しと一緒で慣れます。だから体が健康であれば、あまり深く考えずに挑戦してみたらいいんじゃないかなと思います。

大事なのは自分の肉体と精神の健康です。「転職したい」と思っているということは、おそらくどちらかに問題があるのでしょう。絶対に自分を一番かわいがった方がいいと思います。自分のことをかわいそうだと思ったら、職場を変えた方がいい。とにかく、自分を一番大事にしてほしいです。

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愛され芸人・バイク川崎バイクの「好感を持たれるコミュニケーション術」

【プロフィール】
バイク川崎バイク(ばいくかわさきばいく)
1979年生まれ、兵庫県出身。お笑い芸人。3年間、美容室に勤めた後、NSC大阪に入学。2007年にピン芸人として活動を開始。2014年、「R-1ぐらんぷり2014」決勝に進出。2020年にSNSで発表した小説が『BKBショートショート小説集 電話をしてるふり』として書籍化され、表題作が後に『世にも奇妙な物語』でドラマ化された。現在はnoteにてショートショートの発表、YouTubeの配信など活躍の場を広げている。
https://clinkme.jp/bkb_bkb

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