“思い切り”が人生を切り開くカギ。コットン・きょんが考える、仕事をする上で一番大切なこと

「NHK新人お笑い大賞」優勝、「ABCお笑いグランプリ」3年連続決勝進出、「キングオブコント2022」準優勝など、芸人として数々の功績を残してきたコットン。前編ではボケ担当のきょんさんのインタビューをお届けします。

オズワルドや空気階段と同期のコットン。2012年にコンビを組んでから「ラフレクラン」というコンビ名で活動していましたが、「しくじり先生 俺みたいになるな!!」で改名を発表し、コンビ結成10年目となる節目の年に、「ラフレクラン」から「コットン」へと改名しました。

コミカルなキャラクターで周囲から愛されているボケ担当のきょんさんは、もともとIT系企業の営業マン。会社員という安定の道を捨てて、芸人というまったく違う環境に飛び込んだきょんさんに、新たな一歩を踏み出すために必要なこと、また自分の夢に向かってチャレンジするタイミングについて伺いました。

※相方のコットン・西村さんのインタビューはこちら
会社員でも芸人でも変わらないエンタメへの情熱。コットン・西村真二の仕事への向き合い方

自分の気持ちを見極めるためにIT系企業に就職

――芸人になる前はIT系企業で営業をしていたそうですが、安定した仕事を手放して芸人を目指したのはなぜですか。

きっかけは東日本大震災です。

その日は仕事で栃木に行っていたんですが、電車に乗っているときに地震が発生したんです。脱線は免れましたが、乗っていた電車は大きく傾き、とても怖い思いをしました。その後、近くの避難所に一時的に避難することを余儀なくされ、携帯電話もつながらず不安な気持ちを抱えながら、居合わせた方々と「怖いですね」なんて話したりして。

避難所ではボランティアの方々が豚汁やおにぎりを配ってくれましたが、みんなわれ先にとばかりに人を押しのけておにぎりをもらいに行っていたのがとても印象的で、あの光景は今でも覚えています。人って極限まで追い詰められるとこうなるのかと思いつつ、同時に、人生いつ何があるかわからないんだなとも思いました。

それなら、やっぱり後悔のないように生きたいじゃないですか。そういう経緯があって、芸人になる夢をかなえるために本格的に動き出すことにしたんです。

――昔から芸人になる夢を持っていたということですね。

そうですね。昔から芸能の世界に憧れていて、将来は芸人か役者になりたいと思っていました。一番なりたいのは芸人ですが、役者もいいなという感じ。阿部サダヲさんや竹中直人さんが好きで、お二方のような存在感のある役者になりたいと思った時期もありました。

実は大学3年生のときに、試しにワタナベエンターテインメントを受験してみたんですよ。結果はなんと「授業料全額免除」での合格でした。これは才能があるかもしれないと舞い上がり、入学する気満々で事務所に行くと、他の部分でお金がかかることが発覚。「基本授業料は無料になるけれど、他の部分のお金はかかります」だなんて、話が違うじゃないですか。

きちんと要綱を読んでおけばそんなことはなかったかもしれないんですが、なんだかすっかりおじけづいてしまい、「一度持ち帰って考えます」と返事をしてワタナベエンターテインメントを後にしました。

――芸人か役者を目指していたのに、なぜ一般企業に就職されたのでしょうか。

ぼくが就活をしていたときは、リーマンショックの真っただ中だったんですよ。華やかな芸能の世界に憧れるのは就活から目を背けたいが故の気持ちというか、いわば現実逃避で憧れているだけなのかもしれないとも考えるようになりました。芸能の世界への気持ちが本気なのか逃避なのか、自分の気持ちがわからなくなってしまったんです。

それならまずは社会人として働いてみて、1年後に再度自分の気持ちを確認しようと思い、就活を頑張ることにしました。そして1年後の気持ちがまだ芸能に向いていたなら、行動を起こそうと決めていたんです。

社長賞と新人賞の二冠!退職理由は「飲食関係」!?

――入社した会社では、営業マンとして優秀だったとお伺いしました。それでも会社員を続けるという選択肢はなかったのでしょうか。

入社1年目で社長賞と新人賞を受賞することができました。電話営業からスタートして、ある程度慣れたら次は訪問営業へとステップアップするんですが、ぼくはその期間が最速だったみたいです。ぼく、初任給で38万円あったんですよ。これ、ちょっと自慢なんです。

それでも気持ちは決まっていたので、会社に辞職を伝えることにしました。

すると、別室に呼び出され四天王みたいな威厳のある偉い役職の方々から「辞めないでほしい」と引き止められました。でも、すでに「一番好きなことをやるんだ!」と気持ちが固まっていたので「飲食関係の仕事に就きたい」と必死で説得して会社を辞めました

――自分の将来に向けてステップアップするための足掛かりをつかめたことが自信になったのですね。ところで、きょんさんは芸人・役者のほか、飲食関係の仕事にも憧れていたのですか。

はい。憧れていましたよ、5%くらい!

「芸人になりたいから会社を辞めたい」と素直に言ったら、うまく丸め込まれて辞めさせてもらえなさそうな気がしたので、それらしい理由をつけることにしたんです。

本心は「芸人」。役者にも興味はありましたが、一番やりたいことはなんだろうと自問自答したとき、やっぱり芸人に一番強く憧れを感じていました。一番好きなことにチャレンジしない人生なんてもったいない、と本気で芸人を目指すことにしましたが、それでもいざとなるとやっぱり怖いというか、二の足を踏んでしまう自分がいました。

新しいことを始めるベストタイミングはいつだって“今この瞬間”

――夢に向かってチャレンジすることを決めてから、つらいことや大変な時期もあったと思います。会社員に戻りたいと思ったり、周りと自分を勝手に比べて劣等感に悩んでしまうことはありましたか。

友人たちは、みんなぼくのことを応援してくれました。お金がないときにはご飯をおごってくれたりして、たくさん支えてくれました。そういう環境だったので、誰かと比較してガッカリしたことは一度もありません。

また、自分が一番やりたいことにチャレンジできていたので、仕事を辞めてNSCに入ったことを後悔したこともありません。一番やりたいことをやれているという高揚感から、感覚がまひしていたのかもしれませんが、お金がなくてバイトをしているときも、毎日とても楽しかったし充実していましたし、バイトも芸の肥やしになるだろうと思っていました。

――何事にも全力で、そして前向きに取り組まれているきょんさんが仕事をする上で一番大切にしていることを教えてください。

バイト先の店長から「人生は一度きりなんだから、やりたいことを全力でやったほうがいいよ」とアドバイスをもらったんですが、これは今でも心の支えにしている言葉です。

自分をだましてやりたくないことをやるより、自分の気持ちに従ったほうがいいとぼくは思います。あとはあまりストイックに自分を追い込みすぎず、「やりたいことをやれているんだから、後はどうなってもいいや!」くらい気持ちに余裕を持てるといいかもしれませんね

誰しもやりたいことがあるはずなんです。人生は一度きりですし、そもそも人はいつ死ぬかわかりません。だからやりたくないことをしている暇なんてありません。だからこそ、やりたいことを全力でやる。やっぱりこの一言に尽きるのではないでしょうか。

ぼくは23歳のときにNSCに入学したのですが、あのとき勇気を出して決断して本当に良かったと思っています。

――夢を追いかけるための決断は、やはり早いにこしたことはないと思いますか。

はい。夢をかなえるための決断は早いほうがいいと思います。もし失敗したら、そのときにまた違う道を模索すればいいだけですから。

でも、ある程度年齢が上がってからのリスタートとなると、年齢的なことがネックとなっていろいろな制限が出てくることもあると思うんです。それなら、比較的簡単にやり直しがきく年齢のうちにアクションを起こすほうが得なのではないかと思います。

――ただ、年齢に関わらず、それまでのキャリアを捨てて新しい道に進むときには相応の覚悟が必要になると思います。きょんさんはどれくらい先の未来まで考えてリスタートを切ったのでしょう。

ぼく、計画を立てるのが苦手なんですよ。だから新しいことを始めるときも、そこまで深く考えず、基本的にはフィーリングと直感に従います。一番やりたいこと、好きなことを優先させて行動することが多いですね。

逆に相方のにっくんは人生設計をキッチリ立てているみたいです。何歳までにこれを実現するためにはまず何から始めるべきかをしっかり考えて行動しています。結婚がこのタイミングだったのも、人生設計のうちの一部だったのかもしれませんよね。ぼくもにっくんみたいに、しっかり計画を立てられる性格だったらよかったんですけど。

気合いを入れるために丸刈りにしたことがターニングポイントになった

――一番やりたいことをするために一歩踏み出したと思いますが、会社員時代に身につけたスキルは芸人になった今でも役に立っていますか。

会社員と芸人という職業は毛色がまったく違うので、共通点はあまりありませんね。ただ、怒られても当たられても、そこまで気にせず適度にストレスを受け流せているのは会社員時代のおかげかもしれないなと思います。吉本のなかにも「きょんになら当たってもいいかな」みたいな雰囲気がある気がしますが、うまく受け流しています(笑)。

あとこれは今だから言えることなんですが、昔のにっくんはすごくトガっていて、今のような柔らかい雰囲気ではなかったんですよ。大人ですから真正面から文句を言うようなことはしませんが、自分が違うと思ったことに対しては不満をチラつかせていました。

にっくんはアナウンサーを辞めて芸人になりましたが、もしぼくがアナウンサーになれていたとしたら絶対に辞めません。営業なら辞めますけど、慶應卒の「ミスター慶應」でアナウンサーとなれば話は別! 将来結婚して、子どもが生まれて「パパのお仕事って何?」と聞かれたときに「アナウンサーだよ」って答えたいですよ!(笑)

でも彼はその華麗なキャリアを手放してまで、わざわざ芸人になったんです。つまり、それくらいお笑いに対して熱い人ということ。だから自分の思うようにいかなかったり、思ったように世間から見てもらえないというのは相当なストレスだったのではないかと思います。それがわかるからこそ、少しキツく注意されても「とりあえずにっくんのすべてを受け入れよう」と思っていました

――芸風の方向性やコンビ仲の関係改善など、状況が前進したキッカケは何だったのですか。

ネタへの向き合い方や自分たちの方向性を見出すキッカケとなったのは2019年の「NHK新人お笑い大賞」で優勝したことです。でも、コンビ仲が改善したのは「しくじり先生」の出演以降なのでけっこう最近なんですよ。

にっくんはお笑いに対して並々ならぬ情熱を持った人ですが、周りからはそれを正確に理解してもらえないことがよくありました。以前は「どうせ何でもスマートにできるんでしょ?」と勘違いされやすいキャラだったんです。彼のキャリアの高さが“芸人”という見方をしてもらうための障壁となっていたんだと思います。

でも、「しくじり先生」以降はガラリとキャラが変わり、言われたことを何でも受け入れて、さらにそれを笑いに変えるようになりました。今はぼくより先に、にっくんがボケることも増えてきて、同時に周りからイジってもらえる機会も多くなりました。彼の気持ちに余裕が出てきたことが、横にいるぼくにもひしひしと伝わってきます。

――西村さんはしくじり先生がターニングポイントとなったようですが、きょんさん自身のターニングポイントについても教えてください。

ぼくの場合は、丸刈りにしたことですかね!

ぼく、形から入るタイプなんですよ。勉強しようと思ったらまずは参考書をたくさん並べたり。だから気合いを入れるために、今回も形から入ることにしたんです。10年間ずっと同じヘアスタイルだったので、心機一転、気持ちを新たにするために丸刈りにしました。

実際、丸刈りにしてからキャラが立った気がします。たとえばコント内でカツラを脱ぐシーンがあるとして、やっぱり丸刈りのほうが映えると思うんです。たかがヘアスタイルと思うかもしれませんが、意外と侮れませんよ。外見を変えると、内面もそれに見合ったように自然についてきます。スイッチが入る瞬間を逃さず、自らの手でつかみに行く姿勢が大切だと思います。

――最後に、これからの目標などがあれば教えてください。

昨年の「キングオブコント2021」では準決勝敗退と悔しい思いをしましたが、ネガティブな感情をいつまでも引きずらないように気持ちをしっかり切り替え、その悔しさをバネに「今度はとんでもないネタを2本作ろう」とふたりで話し合ったんです。

今回はかなり早い段階から準備をすることを意識していましたね。その甲斐あって、満足のいくネタができました。「思うようにウケないのが悲しい」と悩んだ過去があるぶん、「キングオブコント2022」で準優勝できたことはとても嬉しい出来事でした。

にっくんはすごく悔しがっていたんですが、僕はけっこう喜んじゃんたんですよね(笑)。でも、またあのステージに立ち、次こそは優勝したいと思っています。

※相方のコットン・西村さんのインタビューはこちら
会社員でも芸人でも変わらないエンタメへの情熱。コットン・西村真二の仕事への向き合い方

【プロフィール】
コットン・きょん●1987年生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、IT系企業に就職。営業マンとして1年目で社長賞と新人賞を獲得するも、芸人を目指してNSCに入学。2012年、NSC東京校17期生の同期・西村真二と「ラフレクラン」を結成。2019年には「NHK新人お笑い大賞」で優勝。「ABCお笑いグランプリ」では2017年から2021年までの4年連続で決勝に進出。2021年4月にはコンビ名を「コットン」に変更。2022年10月に「キングオブコント」では準優勝に輝いた。

文=小林ユリ
撮影=吉岡教雄
取材=山田卓立

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