弱音を吐いて、他人の力を借りてもいい。アスリートとして過酷な経験を積んだ大山加奈が語るはたらくヒント

元バレーボール日本代表選手の大山加奈さんは26歳の若さで現役を引退して以降、バレーボール界を変えるために教育に関する講演やバレーボールの体験授業、メディア出演など幅広いジャンルで精力的に活動しています。アスリートとしての経験を生かしながらセカンドキャリアを歩む大山さんの軌跡をたどることで、われわれにも通じるはたらくヒントが見えてくるのではないでしょうか。

※インタビュー前編はこちら
自分に矢印を向けてみる。元バレーボール女子日本代表・大山加奈が現役時代に学んだ努力の方向性

順風満帆とはいえない経験をしたからこそ伝えられることがある

――現役時代に思い描いていた人生設計と、いま現在のキャリアは想像とどれくらい違っていますか。

大山:トルコリーグからお声がかかったことをきっかけに、海外でプレーをするのも良いかもと思ったことはありました。ただ、そうは言っても現役時代はその日その日を乗り越えるのに精一杯で、将来のことを考えている余裕はありませんでした。また、いまではスポーツ選手のデュアルキャリアが推奨されていますが、当時はバレーボール以外のことを考えるのはあまり推奨されていない雰囲気だったんです。

――バレーボール界を変えたいという思いは、現役時代からお持ちだったのですか。また、大山さんが考えるバレーボール界の良い環境についても教えてください。

大山:漠然とではありますが、現役時代からバレーボール界の雰囲気を変えたいとは考えていました。怒られたり、厳しすぎる練習や人間関係によってバレーボールを嫌いになったり、辞めてしまう人もいました。もし当時とは違う環境だったら、私自身もバレーボールから離れたいと悩むことはなかったのではないか、もっと成長できたのではないかと思うこともありました。そう考えると、やはりバレーボールを好きな人がずっと楽しんで続けられる環境がベストなのだと思います。

腰の怪我の再発で、再び心がポキッと折れた

――バレーボールを嫌いになっていた時期があるとのことですが、再度バレーボールを好きになったきっかけは何だったのですか。

大山: 私は腰に怪我を負い、思うようにプレーすることができなくなりました。ですが長いリハビリ期間を経て、一度はそれを克服することができたんです。長い間悩みの種だった腰の痛みがなくなったことが嬉しくて、同じ怪我で苦しんでいる人に勇気を与えることが私の使命なのかもしれないと思ったら、一度嫌いになったバレーボールをまた好きになることができました。

――新たな目的ができたわけですね。

大山:これからの私のバレーボール人生は、上り調子になるだろうと思っていました。バレーボール選手としての明るい未来を夢見ていたんです。しかし、また腰に痛みを感じるようになり、心がポキッと折れてしまい……。バレーボールに費やす熱を失い、このままバレーボール界を去ろうとまで思っていました。会社にもバレーボールをやめると話し、これからどんな仕事をしようか考えたこともあります。子どもが好きなので、保育士になろうかなと思っていました。

――保育士にはならず、バレーボール界を盛り上げるための活動に尽力するに至った経緯を教えてください。

大山:現役を引退すると決めてから少し時間が経った頃、バレーボールで得たものの多さを思い出しました。自信、仲間、目標に向かって努力することの大切さ、仲間とチームを作っていく楽しさや苦しさなど、自分を成長させてくれるたくさんの学びがありました。

また、怪我や心の不調などの経験を話すことで、次世代への学びにもできると思いました。バレーボールに教えてもらったたくさんの経験を私だけのものにしてはいけない。たくさんの人に共有していかなければいけないと思い、バレーボール界にとどまることにしました。

――現在、セカンドキャリアとして講演活動やバレーボールの普及活動をされていますが、現役時代にはなかった苦労などはありますか。

大山:自分の経験則だけで子どもたちに指導していいのかと思い、資格を取りました。ずっとバレーボールだけに没頭してきたので、当時は社会人としてできて当たり前のことができませんでした。

それこそパソコンも使えませんでしたし、名刺交換や電話対応などの仕方もこのときに社長秘書から教えてもらいました。社会人としての一般常識を一から覚えなければならなかったのは大変でしたが、それでも苦労という感じはあまりなく、むしろ新しい知識を取り入れることを楽しんでいました。

どんな自分にも価値はある。「〇〇だからこうすべき」という考えは止めて

――過去のつらい経験を乗り越えたいま、はたらく上で気をつけているのはどんなところですか。

大山:信頼できる相手に弱音を吐くことと、他人が求める自分の役割に囚われ過ぎないよう意識しています。自分は何かの役割を持っていて、その役割にふさわしい振る舞いをすべきだと考えている人は多いと思います。

でも、人は誰でもありのままで価値があるんです。もっと肩の力を抜いて、もっと多角的に物事を考えられれば、今も未来もきっと楽しいものになるのではないでしょうか。

――大山さんにとって「はたらく」とはどのような意味合いを持つものでしょうか。

大山:“傍(はた)を楽(らく)にする”ものだと思っています。これはNPO法人フローレンスを立ち上げた駒崎弘樹さんの著書の中にあった言葉なんですが、ストンと落ちました。身近な人を幸せにすることがはたらくことの本質なのではないかと思います。

仕事もプライベートも大事にすることが幸せにつながる

――「はたらく」上で大切にしている言葉はありますか。

大山:「借りた力も自分の力」という、仕事関係の方に教えてもらった言葉に元気づけられました。育児と仕事の両立がすごく大変で、でも誰かに任せず自分で全部頑張らないといけないと気を張っていたのですが、他人の力を借りられることもまた自分の力なのだと思ったら、心が軽くなりました。大変なときには他人の力を借りても良いんです。そして、この先余力ができたら自分の力を貸せば良い。一人ひとりの力をつなぎあわせていくことが大切です。

――バレーボール選手、会社員、講演活動など、いろいろなジャンルの仕事をしてきた大山さんですが、だからこそ忘れてはならない大切なマインドとはなんだと思いますか。

大山:仕事とプライベート、どちらも同じように優先することではないでしょうか。自分のことも他人のことも幸せにするためには、どちらか一方を優先するのではなく、どちらも同じベクトルで大切にしなければなりません。

他人のために頑張ることと自分のために頑張ること、これらはどちらも同じように大切です。どちらかがおろそかにならないように心掛けていれば、心が折れてしまうことはなくなると思います。

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自分に矢印を向けてみる。元バレーボール女子日本代表・大山加奈が現役時代に学んだ努力の方向性

【プロフィール】
大山加奈●小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。2001年に全日本代表に選出、03年に東レアローズ女子バレーボール部に入部、04年にアテネ五輪に出場。10年に現役を引退後は、全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍する。

取材・文=小林ユリ

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