知る人ぞ知る小説の神様・横光利一。問題作『機械』が描く、人間の深淵【三分で読める名作劇場 #4】

偉大なる文豪たちが遺した、名作文学の数々。社会人ともなれば、教養としてある程度は読んでおきたいもの。けれど、忙しさやハードルの高さを言い訳にして、なかなか手がつけられていない人もいることでしょう。そんな人たちに向けて、文豪の作品に詳しい文筆家の菊池良さんが、押さえておくべき名作を一冊ずつ解説します。第4回で取り上げるのは、横光利一の『機械』です。

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忘れられた?「小説の神様」が書く問題作

「横光利一」と聞いて、その名前を知っている人は多くないかもしれません。しかし、川端康成と同時代に生きたこの作家は、当時の文学好きにとってはカリスマ的存在で「小説の神様」とも呼ばれていました。太宰治などのほかの文豪と比べて、一般的な知名度は低いかもしれませんが、文学史においてはとても重要な存在です。

その代表作である『機械』はこんな物語です。

「私」はネームプレート製造所で働いている。「私」はそこで劇薬を使用する仕事をさせられており、薬の刺激で喉がおかしくなって夜も眠れなくなる状態だった。同僚の軽部は「私」を敵視して、監視や嫌がらせをしてくる。軽部は「私」が製造所の製法を盗もうとしているのではないかと疑っているのだ。「私」もだんだんと疑心暗鬼になっていき、新しく入ってきた屋敷という職人が、製造所の製法を盗もうとしているのではないかと、今度は自分が疑い出し、製造所に不穏な空気が満ちていく。

これは1930年に発表された作品(今から90年前!)で、雑誌に載るとすぐさま反響がありました。この作品で横光は「新心理主義」という新しい手法を取り入れています。人間の心の動きをとても細かく書き込んだのです。作品のなかでは人間の心の流れがとても緻密に、それこそ機械のように書き込まれていて、最後は自分自身の存在が曖昧になっていきます。改行が少なく、文体から常に不穏な空気が流れており、ある種のホラー小説のようにも読めます。

約100年前の実験精神に、私たちも見習うべきところがある

横光は川端とともに、「新感覚派」と呼ばれ、新しい文学を書く人物だと目されていました。彼らは比喩を巧みに用いるとともに、映画や海外文学などの新しい文化に影響された文章を書きました。

川端は今では伝統的な作家として地位を盤石にしていますが、若手のころは横光らと雑誌『文芸時代』を発行し、上の世代とは違う新しい文学を打ち立てようとしていました。横光と川端という才能ある二人の作家の交流は、生涯つづいています。

横光の作風は「モダニズム文学」というジャンルに分類されます。西洋などの新しい文化を取り入れて、それまでにない文学を書こうとしました。当時、日本ではプロレタリア文学という思想性の強い文学が盛り上がっており、それまでの文学を圧倒する勢いでした。横光らはその状況に対して、芸術性を重んじた文学を作ろうと対抗したのです。

横光は旺盛な創作欲で、小説だけではなく、演劇や映画の制作にも関わりました。

海外にも積極的に行き、中国の上海に一カ月滞在して『上海』を、フランスを中心にヨーロッパに数カ月滞在(このとき、フランスで若き日の岡本太郎とも会っています)して『旅愁』(未完)を書きました。

また、彼は「純粋小説」という概念を提唱しました。それは芸術性の高い純文学でありながら、大衆的な要素を持つ小説のことです。横光はその実践として『家族会議』という作品を新聞に連載しました。

常に新しいものを取り込み、実験精神を持って小説を作り上げるのが横光の作風でした。そんな彼の姿勢がカリスマ視され、「小説の神様」とも呼ばれていたのです。

現代では海外旅行することも珍しくなく、横光の提唱した芸術性の強い大衆小説もたくさん書かれているかのように思えます。しかし、約100年前という時代に海外を見に行き、新しいものにチャレンジしていった横光のような旺盛な探究心を、はたして私たちは持っているでしょうか。横光が残した実験的な作品を読むと、そう問いかけられているような気がします。

『機械』は原稿用紙50枚ほどの短編で、Webサイト「青空文庫」(著作権の切れた作家の文章を公開するサイト)で読むこともできます。

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『機械・春は馬車に乗って』
著者:横光利一
新潮社

文=菊池良
文筆家。文豪たちの作品を愛し、それにまつわる書籍を執筆。主な著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』『もし文豪たちがカップ焼きそばの 作り方を書いたら 青のりMAX』『芥川賞ぜんぶ読む』など。@kossetsu
編集=五十嵐 大+TAPE

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